季節

2015-04-11 | 日記

     

昨日夕方の長岡市内、福島江の両岸に咲き始めた桜。雪が消え、また桜の季節である。雪深い土地に生まれ住んで、今の時季が一番いい。自然の風景が一番のご馳走である、ほんとうに美しい季節になった。桜に限ったことではなくて精神的にも、何かから解放されたような枷を外された気持ちにもなって、大地と空と遠くの山々を精神が精神に吸収するのである。深呼吸とは、春の風景を吸い込むことである。ぼくは身を委ねる、川の流れに、花の揺らぎに。花の影におまえが隠れていても、空虚が静かさを脅かしても、美しさがぼくを満たしてることを、ぼくは知っている。肌寒さの中でも花の蕾は熱っぽいし、昨夜目覚める精神は搏動(はくどう)する。

 


Jan Dismas Zelenka

2015-04-08 | 日記

        

先日、CDを整理していたらこんなのがあった。いつ頃買ったのか思い出せないが、もう十年くらい前になるかも知れない。このジャケットには結構印象の強いものがある。しかし、ジャケットの割にはどんな音楽だったかも忘れてしまっていたので、これを “ 再発見 ” した時にも、あまり関心がなかったのである。ま、一応聴いてみれば … と思い直して聴いてみると、これが実にいいのである。チェコ生れの作曲家ヤン・ディスマス・ゼレンカ ( 1679-1745 ) が作った管弦楽曲集である。 J.S.バッハは1685年生まれだから、ゼレンカはバッハと同じ時代の人である。実際、ゼレンカとバッハは面会をしているそうである。最近、音楽のナイトキャップはずっとゼレンカである。

 

 


明るい風景

2015-04-07 | 日記

     

まだ先週の土曜日の風景。雪がまだまだ残っている。夏まであるといいナ、と思う。とても明るい風景! だと思う。明晰性とは関係のない風景だが、またある人には悲しい物語があるかも知れない。

 


空虚

2015-04-06 | 日記

     

四日の土曜日昼前の刈谷田川の流れ。雪融けの季節は水量が多く、流れの音響は大きい。いつかは知らないが、こういう故郷も無くなってしまうに違いない。家も山も川も草木も、勿論ガードレールなんかも無くなって、ただ空の青い空虚だけが覆い尽くすのだろう … 。太陽も水も静止してはいない、不動ではない。この風景は瞬間の世界であるかも知れない、僕も瞬間の生命であり水蒸気のようなものである。あらゆるものが物質で作られているとすれば、物質は無限の中で崩壊して行くのだ。僕は物質で構成された一粒の埃に過ぎない。埃は空中に浮遊し、いつしか消えて行く。雪が季節の到来とともに消えて行くように … 。