プログラム

2012-09-09 | 日記

               

昨夜の公演プログラムを掲載しておきます。プログラムはA4サイズ6ページ分で、普通の白黒コピーで普通のコピー紙です。こういうものから見ても劇団運営の大変さが分るように思います。しかし劇団の舞台を観る限り、決して稽古は 「 節約 」 してないように思います。

劇団・エリアゼロのHPは http://www.area-zero.biz です。

 


劇団・Area Zero 公演 「 動物農場 」

2012-09-08 | 日記

       

                  会場のアオーレ長岡・市民交流ホールA

今夜、知人の招待で演劇を観に行った。このホールは初めてで、市松模様に張られた板のデザインが芝居小屋のようで面白かったし、何より観客がこんなにたくさん入っているとは驚きであった、ほぼ満席に近かった。僕らは前から2列目の席に座ったから、役者たちの激しい息づかいが見えて、額の汗も飛び散っているのである。

演し物はジョージ・オーウェル作 「 動物農場 」 で、演出はこの劇団・エリアゼロの主宰者であり役者でもある樋口伸介さん。一地方の活動でありながら、日々の仕事をやりながら一生懸命稽古に励んでいる姿が、その舞台を通して眼前するのである。知人はこの劇団の支援者の一人であったから、団員のことをいろいろ教えていただいた。今回の上演を観させていただき、改めて感謝しています。


“ ミセス・クラインブルー ”

2012-09-07 | 日記

           

2009年制作のトルソー。ガラスボディーの空きビンは、確か沼津市にあった清酒醸造メーカーの空きビンだったように思う。頭部は出雲崎の浜辺で拾ったウキの破片。このウキを全部ブルーに塗って、ビンの蓋に接着したものである。  “ ミセス・クラインブルー ” と名付ける。写真は、玄関のニッチに最近安置した “ ミセス・クラインブルー ” 。ボディーラインのねじれと頭部の傾きとが、どこか高踏的な感じがして気に入っている。台座を19世紀の洋書にしたのも、何となくハイブラウな雰囲気を出して見たかったからである。結果、“ 彼女 ” の乳房と腰のくびれは非世俗的快楽を基準とするのである。ガラスの基準ほど壊れやすいものはないが、しかし壊れやすければ壊れやすいほど儚く生命的である。

         俺は夏の夜明けを抱いた。  ( 小林秀雄訳 『 ランボオ詩集 』 より )

 


映画 『 ローマの休日 』

2012-09-05 | 日記

  

撮影中でのワン・シーン。一昨日は NHKBS で 『 ローマの休日 』 を観た。過去、何回観ただろうか。その都度何か発見があるように思う。たった一日だけの、女と男の出会いと別れの物語である。しかしそのたった一日が、女の心にも男の心にも、愛とは追憶のことである、ということを刻印したのである。人は、追憶によってさえも人を愛することができ、過去の日々を思い出すことによって強く生きられるだろう、とラストシーンでそんなことを思う。掲載した2枚の写真は単にスナップ・ショットに過ぎないけど、これが自分自身の追憶と思えば、こういう何気ないシーンこそが愛の証であり、生きる糧なのである。  


夜のテールライト

2012-09-02 | 日記

               

                  フロントガラス越しに前方のクルマのテールを撮る。

 

1926年11月発行の文芸同人誌 『 山繭 』 に 「 富永太郎 」 と題して、小林秀雄 ( 1902-1983 ) は友人について書く。

“ 然し、白銀の衰弱の線條をもつて、人生を縁取つて逝つた詩人よ! 僕は、君の胸の上で、ランボオの 「 地獄の一季節 」 が、君と共に燒かれた賞讚すべき皮肉を、何と言ひ得よう? 君の苦惱が、生涯を賭して纏縛 ( てんぱく ) した繃帶を引きちぎつて、君の傷口を點檢する事は、恐らく僕に許されてはゐないだらう。 ( 中略 )  「 おい、此處を曲らう。こんな處で血を吐いちや馬鹿々々しいからな 」 ― 僕は、流鼠 ( りゅうざん ) の天使の足どりを眼に浮かべて泣く。彼は、洵 ( まこと ) に 、この不幸なる世紀に於いて、卑陋 ( ひろう ) なる現代日本の産んだ唯一の詩人であった。”