若くして逝ったCOSMOPOLITE・近藤邦雄

2011-08-23 | 日記

 ( 図録表紙 彫刻家近影 )

15年前の1996年 ( 平成8年 ) 10月2日、埼玉で一人の彫刻家が交通事故に遭った。その12日後、彼は死んだ。1949年 ( 昭和24年 ) 新潟県長岡市生まれの彼の名前は、近藤邦雄。47歳の短い生涯であった。

今は無い長岡現代美術館 ( 日本で最初の “ 現代美術館 ” 1964年開館・1979年閉館 ) で、当時僕はエンリコ・カステラーニ ( 1930年イタリア生  ) の鋭い凹凸のあるキャンバスの作品を見て驚いたことがあったが、年譜をみると彼もまたカステラーニの作品を見ているのだった。この美術館には前田寛治や安井曽太郎など日本の良質な近代絵画、そして海外のコンテンポラリーも展示されていた、中でもこのカステラーニは異質であった。ただキャンバスを、裏から鋭い大きな釘のようなもので何本も突いているだけの、表には何も描かれていない作品だった。それはまるで鋭い白い山々が生まれたてのように規則正しく並んでいるだけであったのである。こんなものが芸術であろうか、または美であるのか、そんな感覚で見ていたのだった。僕は未だ何も知らなかった。しかし死んだ彫刻家は違っていた。

その後彼は、愛知県立芸術大学卒業後、個展のかたわら事あるごとに、まるでボヘミアンのように欧米の、特にイタリア中心に各地を周った。巨匠カステラーニ本人にも知遇を得、イタリアには第二の故郷のごとく、何回も訪れている。死の前年にも東欧やイタリアを旅した。かつて彫刻家が17歳の時見たカステラーニの作品は、彼の太陽になっていたのだったナ…。僕が見たのは当時20歳だった。何を見て何を感じていたのか、僕は何も見ていなかった。同じものを見ていて…。精進と努力と情熱と想像力と知性と勇気と…もう後はどういうボキャブラリーを並べればいいか知らないが、雲と泥の差以上の差である、嘆。

作品はほとんどまとめて、遺族の方が大切に保管されているということだ。遅ればせながらではあったが、僕は彼の作品にめぐり合うことが出来た。それは新潟市美術館で開催された  『  木の詩 ( うた ) ― 近藤邦雄展  』 ( 2003年2月8日-3月23日 ) の図録からであった。近代事務機株式会社社長・駒形豊氏のご好意で図録を拝見することができ、近藤邦雄という彫刻家の存在を知ることができた、感謝致します。見るに、彫刻家は新しいフォルムを発見していたのだった!そしてこの新しいフォルムは扉を開いていたのだった!いつかこの扉の中を瞥見できれば僕は嬉しい。時間を越えて 「 アナザーワールド 」 が飛び出してきそうだ。彫刻家がアメリカの友人に宛てた手紙の、メモの中の言葉を、図録から紹介します。

 「 ARTに必要なのは、哲学と思想だと思う。芸術の道を志す者は、つねにいろいろ考えながら、新しく創造的なIDEAをさがし求めなければいけない。けど、ARTは科学じゃない。むしろ JUSTICE といってもいい。前向きに考えて、その道筋を示すように努めるのがARTISTなんだ。僕らはそれを実行しなくちゃいけない。まさにそれが作家の使命であり、義務だからね。 」

今は亡き若き彫刻家の創造遺産を、今在る若き人々に知的遺産として、なんとか引継げないものだろうか!

作品№957 ( 木彫作品 83×85×80㎝  けやき・油性染料・ワックス 1986 )

 

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