「 堀口大學 生誕120年展 」 とマリイ・ロオランサン

2011-09-16 | 日記

今年は詩人・堀口大學 ( 1892-1981 ) 没後30年の年に当たり、来年が生誕120年になります。長岡市立中央図書館でその記念展が今年10月9日から30日まで開催されます。素朴な疑問が二つあります。なぜこの記念展を 「 生誕120年展 」 にしたんだろう、今年はまだ生誕119年だというのに。もう一つは、今年がちょうど没後30年なのに、なぜ 「 没後30年展 」 にしなかったのだろう。展覧会タイトルにとても不信感を持っています。また展覧会のサブタイトルが “ 国内屈指 当館所蔵 「 堀口大學コレクション 」 を公開 ” となっていますが、 「 国内屈指 」 の 「 屈指 」 とは何を意味するのだろう。ついでにもう一つあって、詩人の令嬢である堀口すみれ子さんが開催初日にその記念講演をするのですが、サインは当日購入本のみ、と但し書きがありました。彼女の本を所持している僕にとっては、ザンネンな気持ちです。どうして当日に買った本にしか、サインをしてくれないのだろう。

ザンネンに思うのは僕だけだろうか。以前からの所蔵本を持ち寄れば、愛すべきファンが市内に隠れていることを知る、いいチャンスになるというのに。ネットワークを拡げるいい機会だというのに…。 「 すみれ子さんの本をお持ちの方はぜひ持ち下さい! 」 とはならないのかな…。そういうのって面倒くさいのかな…。やってらんないよ!って感じかな…。

展覧会の案内チラシに書いてあることを書きました。ここからは疑心になります。主催者は 「 大學コレクション 」 を精神的矜持としているんだろうか。長岡市民に心から、日本文学史にエポックを作ったライト・バースの詩人を、知ってもらいたいのだろうか。知的遺産の共有とサービスについてもっともっと研究していただきたい。嘘のない、親しみのある展覧会を願うばかりです。

 

                       

ところで僕が所蔵している大學関係の古い文献では、 『 明星 』 と 『 MARIE LAURENCIN 詩画集 』 だけです。ほかにはちょっと見当たりません。 『 明星 』 は1922年 ( 大正11年 ) 1月1日明星発行所の発行。 『 詩画集 』 は1936年6月1日銀座昭森社発行で700部限定 ( 内特製版100部 ) 。僕のは並製600部の449番。有名な訳詩集 『 月下の一群 』 は1925年の発行でしたから大學33歳の時。 『 明星 』 は大學が師と仰いだ、与謝野寛 ( 鉄幹 ) と晶子が作った結社で当時の錚々たる文学者たちが集まっていました。紹介したこの 『 明星 』 で大學は、三つの訳詩を発表しています。すなわち、アポリネールの 「 昨日 」 、ギイ・シャルル・クロの 「 遺言の代りに 」 、ルイ・マンダンの 「 音楽と舞踏 」 。この内アポリネール以外は今日の日本では、あまり知られていません。

                                                

『 詩画集 』 では、ロオランサンの詩が10篇掲載されています。その中の「日本の鶯」を紹介します。これは彼女が大學のことを詠ったものだと思います。それを大學本人が訳しているのですね。

   彼は御飯をいただきます

   彼は歌を歌ひます

   彼は鳥です

   彼は勝手な気まぐれから

   わざとさびしい歌を歌ふ。

 

1924年春の日曜日、大學はパリ・エレディア街12番地のマリイのアパルトマンを訪ねた。七年振りにみるマリイは少し肥って婀娜っぽく、より女らしく落着いていた。サロンが三つ、寝室が二つあったが食堂はなかった。通された部屋は小さなサロンで、家具も壁もカーテンもみんなピンクとグレーであった、かの女の絵画のように。マリイが自分でお茶を淹れてくれた。お茶を注ぎ角砂糖をつまむマリイの手はとてもふくよかであった。襟の詰まった黒いオーガンジーのローブが似合っていた。黒い髪はまるでチャイナの少女のようで、前髪を額に切り下げ、両耳の上でふくらました毛は耳を隠していた。マリイと大學の87年前の会話である。

 「 マリイ、人間の幸福は、何故こんなに重荷なんでせう? 」

 自由がほしくて夫と離別し、たった一人で二つの寝室で寝起きするマリイ。 「 あたし、もう幾年も、食事らしい食事をしたことがないんですの。食事や、食事の時間に縛られるのがいやだからですの。決まった時間に食事をしなければならないやうな習慣を守つてゐたのでは、人間はいつまでも自由になれはしませんわね。」 だから食堂がなかったのだ。自由であるとは不自由も受け入れること。

一枚の白いカンヴァスが部屋の隅にあったので、 「 何を描くつもりですか 」 と訊ねると、

彼女はさびしげに答へて言ふ、 「 ある美しい若い婦人の肖像を描くつもりでしたの。でも、今ではもう、そのカンヴァスも不要ですの。きのふ、そのモデルになる女の方がここへ来て下すつたの。鼻の美しいのが御自慢の奥さんで、是非とも鼻のある肖像を描けとおつしやるの。あたし、暫くその方のお顔をながめながら考へてみたんですけれど、どうしても、あたしには、その方の鼻が見えませんの。それであたし、さう申上げましたの。」

マリイ・ロオランサン ( 1885?-1956 ) は、ドイツやスペインに住もうと、マドリッドで詩を書こうと、バルセロナで絵を描こうと、彼女はふくよかで、艶やかで、女狐のようで、エキゾチックで、時には少女のようにでもあって、アンニュイでエスプリのある正にパリの女であった。  

 

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