追記『富永太郎』

2016-03-23 | 日記

21日のブログに『富永太郎』(樋口覚著、1986年発行)と題して写真だけ掲載したが、実は、書いた文章が僕の何かの誤操作で全部消えてしまった。なので、同じ文は再現できなかったから写真だけのブログになってしまった。どんなことを書いたかと言えば、それは富永太郎(1901-1925)が画家でもあった、ということである。職業画家とも違って画家にはいろいろあって、僕は、富永の場合は自己探求としての絵画だった、と思う。誰でも使えそうな言葉、“自己探求”。そして、誰にでもそう使われそうにない“自己探求”。生前、彼が「残した詩は全部で37篇」と言われ、それにもかかわらず彼は日本で最初のボオドレリアン(フランスの19世紀の詩人シャルル・ボオドレエルをリスペクトし行動する人のことを言うのであるが…。) なのだった。「我が身」を詩と絵画の両面から表現したモダニスト・富永!(『富永太郎』の表紙の絵は1923年制作の彼自身の木版画である)