今年初の展覧会は、英国最高の風景画家、ロンドンはテート美術館からやって来た「ターナー展」。日曜美術館@NHKの録画を見て、とっても見に行きたくなり、混まないうちに行こう!と思い立って…とはいえ、平日ながらけっこう賑わっていました。
ターナーの作品は、いくつか見たことはありますが、これほど作品をまとまって見るのはもちろん初めてであり、めったにない機会です。晩年の、まるで現代美術のような革新的な風景画を描いた印象が強かったのですが、生涯を追って見ていくと、けっこう権威に寄り添いながら、パトロンの注文にも応えた、風景画のみならず神話や物語を題材にした端正な作品も多く描いていたのが意外(!)でした。
それでも、どの作品にも充満している「空気感」は特別だと思いました。その秘密のひとつが本展の出品作品の7割を占める水彩画であるというのが、今回よくわかりました。技法の詳しいことはわからないのですが、水彩画の柔らかく色が混じり合う様子は、しかもいろいろな試みを行っていた痕跡を見れば、それがターナーの作品の独特の画面を生み出していったことは明らかです。若い時の作品は、特に透明感にあふれているような気がしました。
「ピクチャレスク」というのは、キーワードのひとつだと思うのだけど、ターナーの時代、風景を見て「絵にできる」と思えることが、すごく特殊であり新鮮な感覚だったのですね~。そういう意味では、現代は一億総ピクチャレスク、どんなささいな風景にも「絵」を求めてカメラを向けてしまう私たち…。今とは全く違う感覚で、観客に受け入れられていた(のか?)作品たち。それまで低く見られていた風景画の可能性を追求し、地位を押し上げたというターナー、私には「風景」というよりは、空気、光、風、水… そのような自然の営みの美を描き出そうと格闘してきた、という印象が強く残りました。
大きな作品もけっこうたくさんあって、見ごたえのある展覧会です。中でも一番「おっ!」と思ったのは、やはり「レグルス」でした。瞼を切り取られた古代ローマの将軍レグルスが見たであろう、何ものも覆い尽くさんばかりの眩い「光」。それほど激しい色合いではないのに、その意図を知ると、光に圧倒されそうになります。描かれている光に照らされている市井の人々が何気ないだけになおさら。
晩年の「これは何?」という作品をもっと見たかった気はしますが、ターナーの知らなかった面をたくさん見ることのできる貴重な展覧会でした。
展覧会はまだまだ始まったばかり、4月6日(日)まで。神戸市立博物館は、常設展を見るとやっぱ博物館でした!