アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

感性は感動しない-美術の見方、批評の作法(椹木野衣)

2018-07-29 | 

 

感性は感動しないー美術の見方、批評の作法 (教養みらい選書)

美術批評家の椹木野衣さんの著書はいろいろと読んでいて、特に最近の大著「後美術論」や「震美術論」は(両方とも厚さ4センチくらい!)内容が深くて重層的で、すごくおもしろいんですが、ブログに記すには自分の力量と気合が足りなくて、なかなか取り組めていません。

この新著は、おそらく若い方(中高生とか?)向けへのメッセージとなっているのでしょう、語り口がとっても丁寧で、椹木さんの生い立ちやプライベートも垣間見れて、親密な感情を抱かせてくれる「随想録」となっています。

冒頭に収められている、本のタイトルにもなっている「感性は感動しない」というエッセイは、25校もの大学の入試問題に取り上げられたとのこと、ちょっと歯応えのある文章に、多くの受験生が頭を悩ませ、美術を鑑賞する感性について思いをめぐらせたとすると、それは素敵なことではないでしょうか?!

この本の、特に冒頭のエッセイと第1章「絵の見方、味わい方」には、私が考えて続けている「なぜ美術に惹かれるか?」という問いに対する答えが、とても明確に書かれている気がして、読みながら「そうだ、そうだ」と膝を打ちました。

以前、ヨコトリで押し寄せた「作品は、世界をまるごと切り取っている!」という感動。それをどう受け止めるかは、提示された私に委ねられている。世間の評価に惑わされず、自分の感じるところを信じたいが、自信を持つためには、やはり「本物」「実物」と心ゆくまで向かい合い、必要な知識を補っていくことだ。作品の力を、まるごと「かたまり」として受け取れること、そのような場所。それが私にはたまらなく魅力で必要なんだと思う。

久しぶりに書籍についてブログを書きました。このところ、読書量がメチャメチャ減ってます…。加齢に負けず、もっと本を読みたいのですが。8月には、夏休みの宿題として、ひとつ読書感想文をアップしたいと思います。乞うご期待!

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新版画展 美しき日本の風景

2018-07-20 | 展覧会

京都伊勢丹の美術館「えき」で始まった「新版画展」、大変心待ちにしていました!

先日、浮世絵を創始した「鈴木春信展」に出かけたばかり、江戸時代に民衆の手に芸術をもたらした浮世絵は大流行しましたが、明治時代になると、写真や印刷など、新しいメディアに役割を奪われ、衰退していきました。そこで、一人の版元が、この日本の素晴らしい芸術である浮世絵の再興を目指し、画家らと取り組んで生み出したのが「新版画」です。この版元、渡邊庄三郎の生涯を追った書籍「最後の版元」を読んで以来、「新版画」をとっても見たかったんです!

「新版画」にも美人画や役者絵などのジャンルがありますが、本展では、吉田博、川瀬巴水を中心とした風景画が多く展示されていました。一目見て驚くのは、やはりその色彩の鮮やかさ。どうしても江戸時代の浮世絵は退色していますからネ、風景に見える山の色、水の色、色とりどりの花の色…、その美しさには目を奪われます。巴水の深い青の水の表現は、ホントに美しかったなあ!

この渡邊庄三郎さんのお孫さんが、何と!TV番組の「なんでも鑑定団」に出演されている渡辺章一郎氏で、出かけた日にギャラリートークを聞くことができて楽しかったです。やっぱり彼は画廊の方なので、マーケティングの視点の話が興味深かったです。例えば、吉田博は元々、風景画の画家として大家であったので、版画の世界でも大御所の彼に、おじいさんである庄三郎氏もあまり意見ができず、好きに制作してもらっていたらしい、一方、川瀬巴水には、より良い(売れる?)作品を作るために、いろいろと意見を出して共に作っていたようだ、という話。また、巴水の作品で、降りしきる雪に赤い建物と美しい女性、これはめちゃくちゃ人気がある!とか…。

ところで、新版画と同時代の版画運動に「創作版画」がありました。「新版画」が、共同で創作するものの画師・彫師・摺師で役割分担しているのに対し、「創作版画」はすべてを一人でこなします。以前紹介した「月映」は創作版画ですね。

本展では「創作版画」の作家である小泉癸巳男の『昭和大東京百図絵』を見ることができます。戦前の東京の風景を叙情的に描いたこの代表作により、彼は「昭和の広重」と言われており、会場では歌川広重の類似するテーマの作品が並べて展示されていて、その対比がおもしろいと思いました。「新版画」のように精緻ではなく、とても味のある小泉さんの作品は、かなり気に入ったのですが、絵はがき等が全くなくて残念でした。

前述の本を読んでいただけに、この「新版画」の作品たちには、題材、構図、色使い、色の重ね方、すべてにおいて、かつての浮世絵を再興し、そして超えてやろう!という意気込みがあふれているように感じました。会場には、故ダイアナ妃が気に入って購入した吉田博の作品と、ダイアナ妃のお部屋に飾られている写真が展示されていました。スティーブ・ジョブズ氏も愛好家だったそうです。ホント、浮世絵作品は、手元に置きたくなる気持ち、とってもわかります!

100点もの新版画を堪能できる貴重な機会。展覧会は、8月1日(水)まで。

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ボストン美術館浮世絵名品展 「鈴木春信」

2018-06-23 | 展覧会

あべのハルカス美術館で浮世絵の展覧会を見るのは、これで3回目。鈴木春信ファンの私にとって待ってました!の本展覧会は、ボストン美術館からの里帰り。日本国内では、ほぼまとまって見ることが出来ない春信作品を、何と!600点以上も所蔵しているそうです。そして保存状態が良く、美しい色彩が保たれており、質量ともに世界最高を誇っています。

江戸中期、それまでの紅色を中心とした2,3色摺りの「紅摺絵」から、複雑な多色摺りである美しい「錦絵」が誕生しました。その創成期の第一人者とされているのが鈴木春信です。絵師によって人物画の特徴もいろいろですが、鈴木春信の描く人物は、とても上品でかわいらしい。中性的で、男か女か、その表情から判別するのは難しい。立ち姿はスックとしているのだけど、必要以上にスラリと見せるではなく、頭と体のバランスは日本人らしくて、親しみを感じます。何気ない情景を切り取ったような作品の中には、とてもゆったりと時間が流れている気がします。後の時代の国芳みたいなドラマチックな動的エネルギーとは対極にあるように思います。

今回、会場でじっくり作品を眺めていて、木版画を作る過程で、紙に施されるさまざまな細工に改めて驚かされました。特に、錦絵が誕生した初期だからこそ、絵の具も紙も、高価で質の高い材料が使われていたとのこと。後の時代のように大衆化され量産されたのでは、とてもできない、稀少な凝った作品が作られていたのでしょう。

浮世絵の技法に「空摺り」というものがあります。いわゆる「エンボス」です。作品の中の娘さんの白い着物の表面に、細かい模様がエンボスでくっきりと浮かび上がっている、その凹凸の美しいこと!また「きめ出し」というのは、版木自体に凹面を彫り、紙を当てて叩くことで、ゆるやかな凸面をつくる技法。雪の風景の盛り上がりや、帯と着物に立体感があるのに気付くと、もう震える!これって、ただの絵じゃない!見るだけじゃなくて、絶対触って楽しんでたんじゃないか?わー、触りたい!

浮世絵ってプリントだから、図録でも楽しめるかな~と思ったら大間違いでした。本物に目を近づけてじっくり見るからこその素晴らしさ。ホントは手に取って自分の世界で愛でたい作品ですよね~。

しかしながら、いくら保存状態が良いとはいえ、250年が経過した作品に退色は免れません。ところが!展示されていた「絵本青楼美人合」という彩色摺絵本は、書籍という形態により、とても鮮やかな色彩が残っていて、その華やかな色合いにはうっとりいたしました。今の作品にもたおやかな風合いはありますけど、当時の鮮やかさは、どんなにか見る人を虜にしたことでしょう!!素晴らしい作品たちを堪能し、ますます春信が大好きになりました。

展覧会は、あべのハルカス美術館では6月24日(日)まで。7月7日から福岡市博物館へ巡回いたします。

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色彩の画家 オットー・ネーベル展@京都文化博物館

2018-06-03 | 展覧会

東京で開催されているときから、とても興味を抱いていた展覧会に行ってきました。(Bunkamuraザ・ミュージアムの展覧会サイトがたいそう充実しているので、ぜひご覧ください)

ドイツ・ベルリンに生まれたオットー・ネーベルは、パウル・クレーやカンディンスキーより10~20年若い世代ではありますが、彼らと親密な交流を持つなかで、具象画から抽象画の世界へと飛び立った画家のひとりです。経歴がおもしろくって、キャリアの最初は建築専門学校で建築工事の技術を学んでいたり、その後俳優で活躍した時期もあったり。建築を学んでいた影響か、初期の抽象化されていく風景には、建物が多く描かれ、縦と横の直線が目立ちます。

タイトルに「色彩の画家」と謳われているとおり、作品で用いられている色の美しさが目を引きます。チラシに取り上げられている作品は、「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」の中の「ナポリ」。これは、ネーベルが1931年にイタリアを旅した際に、その景観を自身の視覚感覚によって色や形で表現した色彩の実験帳。さまざまな形状のバリエーション豊かな色の組み合わせ。彼がその地に降り立ったときに感じた取った空や土や風景の色彩、風、音、そんなものが凝縮されているのだろう。実際、展示で見ることができたのは2ページだけだったのだけど、映像で全部紹介されていて、また24枚組の絵ハガキが販売されていましたので、即買い!眺めているとウキウキしてくる美しさです。

展覧会場では、クレーやカンディンスキーの作品も併せて展示されていましたが、比べてみるとネーベルの作品の特徴が際立っていました。それは、絵肌の複雑さです。描かれている形自体はシンプルであっても、目を凝らすと、色面が細かい線やドットで構成されており、まるで細い糸で刺繍したような重層感を感じるのです。あたかも単色でペッタリ塗ることを断固拒否しているような、その色面の作り方は、さまざまな作品を見れば見るほど驚愕!してしまいます。布地を思わせるからか、暖かみを感じました。

※展覧会場では、一部の作品が撮影可でした。

バウハウスから創作のインスピレーションと、偉大な友人たちを得たネーベルは、ナチスから退廃芸術であると弾圧され、スイスのベルンに移り住みます。ベルンでは、1933年から制作・就業を禁じられ、実に10年以上も苦難が続いたとは驚きでした。中立国のスイスにおいても、そのような状況であったとは…。

1952年にはベルン市民となり、大規模な展覧会なども開催したとのことです。晩年には近東を訪ね、そのイメージ(土地の色とか、文字の形とか、だろうか?)を取り入れた作品なども制作し、ますます自由な境地を開いていった様子が作品からも窺えました。そして生涯ずっと、絵肌は重層でした!

本当に眼に美味しいこの展覧会。ぜひ実物を見てほしい!6月24日(日)まで。

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ルドン-秘密の花園@三菱一号館美術館

2018-05-27 | 展覧会

もう終了してしまいましたが、最終日に鑑賞してきました。朝いち、入場までに長い行列ができていました。

オディロン・ルドンは、印象派と同時代でありながら(モネ、ルノワールと同い年!)、全く作風の異なる幻想的な世界を描く画家として知られています。前半生ではモノクロームの作品を追求していましたが、50才を過ぎて、色鮮やかな作品を描くようになりました。本展覧会では、ルドンが描いた「植物」に焦点が当てられていました。

ルドンが描く、ちょっと不気味で怪物的な(一つ目オバケ…?)モチーフ。てっきり内面的な宗教上の何者かと思っていたのですが、この展覧会で、実はルドンは植物学者と親交があり、生物学に興味を抱いていて、もしかしたら顕微鏡とか覗かせてもらったりした中で本当に見えたモノだったのかも?と感じました。科学の力で初めて目に見えるようになる生物の神秘の世界。ルドンって、近代化する時代とともにあった科学の人だったんだ!これは驚きでした。

色彩化したルドンの絵画は、本当に本当にきれいです。絵の具に特徴があるのでしょうか…?とにかくラピスラズリのような青色をはじめ、どの色も混じり気のない宝石のような美しさなのです。もし、私が絵を描く人なら、ルドンのような絵を描けるようになりたい!と熱望することでしょう。ずーっと、うっとり眺めていたくなる、そんな絵。

この展覧会の目玉は、ルドンが依頼されて描いた貴族の城館の食堂を飾った壁画16点。うち1点のパステル画「グラン・ブーケ(大きな花束)」を、三菱一号館美術館が所蔵していますので、本展の開催場所は、ホントここしかないでしょう!展覧会場では、この壁画を、実際の食堂のレイアウトに準じて展示していました。(「グラン・ブーケ」は、美術館の専用室に展示されていますので、写真で登場がちょっと残念!)なんて贅沢な空間だったことでしょう!

昨年、同じ美術館で鑑賞したナビ派展でも、ヴュイヤールの食堂の装飾画に感激いたしましたが、ルドンはナビ派にとってセザンヌやゴーギャンと並ぶ先達だったようです。確かに、平面的、装飾的なところも、私の好みなのかもしれません。

いや~、ルドン、大好きになりました。ちょっとおどろおどろしいイメージがあったのですが、吹っ飛びましたね。はるばる見に行ってよかったです。またどこかで、本物をじっくり鑑賞する機会が来ることを待っています!

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京都・出町座に行ってみた!

2018-05-04 | 映画

ここ1年ほどで、京都のミニシアター系(アート系)映画館をめぐる状況が一変しました。3月末をもって、50年以上の歴史のあった「京都みなみ会館」が建物の老朽化により閉館。滋賀県に越してきてからは、ずいぶんお世話になりましたので、とっても淋しい…。移転後の再開が期待されますが、まだ未定のようです。

そして、ここ数年、非常に元気のあった「立誠シネマ」が、昨年7月に元・立誠小学校での活動を終了して後、出町桝形商店街に場所を移して、新しく「出町座」として、年末に移転オープン!この誕生にあたっては、私も映画館を応援したい!という気持ちからクラウドファンディングにも参加してみました。オープン以来、なかなか機会がなかったのですが、ついに先日、訪ねてまいりました。

京阪電車出町柳駅、地上に出ると、目に飛び込むのは涼やかな川の風景。ここは賀茂川と高野川が合流し三角州を形成している鴨川デルタと呼ばれるところ。飛び石渡りでも有名です。暑いくらいの5月の日差しの中、若者たちが憩っています。お~、なんて気持ちのいいところなんだ!

そこから歩いて10分もかからないところに、昭和の香りがぷんぷん漂う商店街の入口が見えてきます。その手前に、何やら行列が…、そう、有名な「出町ふたば」です。ここの「豆餅」は、風味豊かなあんこがたっぷり、大粒の赤えんどう豆が練り込まれた柔らかい口当たりのお餅が最高に美味しい!しかしながら、きょうはスルー。

そして商店街を進むと「出町座」がお目見えです。新しいのにすっかりなじんだ感のある素敵な外観。この映画館には、カフェとブックストアが併設されていて、映画だけではない文化の発信の場となっています。カフェでサンドウィッチとカフェオレをいただき、いろいろなジャンルに編集されている本たちを眺めます。私のお気に入りのフィルムアート社の本がたくさんあって、楽しかった!

それでも映画が始まるまでに時間があったので、商店街をぶらぶら。鯖寿司が美味しいと評判の「満寿形屋」は、もう夕方なので閉店してましたが、美味しい匂いが充満していた「ふじや鰹節店」で乾物など(これ持って映画館、行く?的な)を購入。古本屋もありました。絵本が前面に出ているのが珍しいな~。久しぶりに古本を眺める楽しさを満喫し、2冊ほどチョイス。何やら楽しいわ~。

ところで、今回、鑑賞した映画は、「ブンミおじさんの森」。タイの映画監督・美術家であるアピチャッポン・ウィーラセタクンが、2010年にカンヌ映画祭でパルムドールを獲得した作品です。Twitterでアート情報をフォローしていると、たびたび見かけるこの監督の名前、ぜひ一度作品を見てみたかったのです。

今、東京・森美術館でアピチャッポンの映像インスタレーションが紹介されているそうですが、今回、出町座で実現した特集上映。彼の名を知らしめた3つの長編作品に合わせ、自選短編集も上映されています。

「ブンミおじさんの森」は、何といえばよいのか、すごく不思議な映像体験でした。自分の中では、ブンミおじさんて沖縄のキムジナーみたいな人?と勝手に想像してたのだけど、そうではなく、家の中で(!)透析を行う重病の人だった。木々で埋め尽くされる森の映像も、思ったより緑が濃くなくて、これこそアジアの森なのかも、と思った。淡々と過ぎる日常の中に、亡き妻の幽霊や、行方不明となり毛むくじゃらの森の猿の精霊となって帰ってきた息子があらわれるのだが、それも当然のことのように受け入れられる。現実にはあり得ない…でも、その現実って何だろう?最後にはブンミおじさんも亡くなってしまうし、死の影がずっと漂ってはいるけど、すべてがナチュラルなのは、人と動物の垣根を越えた「転生」がこの作品のテーマだからなのでしょう。随所にタイ独特の文化や風習が見られるのも興味深いし、最後は、森と程遠い街の食堂のシーンで終わるのもシュール。

続けて、自選短編集も鑑賞。どれも20分以内の短いプログラムでしたが、アピチャッポンは映画監督というより映像アーティストだなと感じました。「音」にもすごくこだわっていたようで、水の音、風で木がざわめく音、が映像の主役でもありました。ブンミおじさんともつながる、死者を弔う行事を再現した作品は、感じ入るものがありました。

理解する、とかじゃなく感じる映像、ぜひ他の作品も見てみたいです。アピチャッポンの映画の上映は5月11日(金)まで。出町座、これからも通うぞ! 

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KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭

2018-04-30 | 展覧会

2013年より毎年、春に開催されている「KYOTOGRAPHIE」。京都を舞台に開催されるこのフォト・フェスティバルは、寺院や歴史的建造物など、美術館とはひと味もふた味も違った空間で、写真芸術を楽しめるのが特徴です。すでに6回目を迎えるのですが、今まで行ったことがなく、今年こそは!と、数ある会場のいくつかを訪ねてきました。

まず訪ねた会場は、室町の「誉田屋源兵衛」。ここは、280年も続く老舗の帯屋さんで、精緻な織で生み出される帯はまさに芸術品、また現当主は現代アーティストとコラボするなど、革新への姿勢も鮮明です。このような機会でないと、なかなか足を踏み入れることはできません。

ここの「竹院の間」で開催されていたのが『深瀬昌久<遊戯>』、アップしているチラシは彼の作品です。深瀬は、60年代より森山大道や荒木経惟らとともに第一線で活躍していたが、92年に転落事故により脳に障害を負い、以降写真家として復活することなく、2012年に亡くなりました。私は今回、この写真家を初めて知りましたが、本展は、約四半世紀ぶりに彼の作品にスポットを当てた貴重な機会です。

作品には引き込まれました。代表作の「烏」や、愛猫を写した「サスケ」など、モノクロームの写真は、どれも孤独感に覆われています。決して美しい姿ではない被写体に、自身を投影させているのか、寄り添うような捉え方に、観る人の共感を誘います。また、写真を媒介にしながら、さまざまな表現を試みている作品たちは、とてもラディカル。そして被写体との新しい関係を探るように、自身を撮り続けている作品を見ていると、どんだけ写真に夢中なんだ!と感心してしまいます。もっと、もっと、新しい表現に挑戦したかったんだろうな…、不慮の事故が残念でなりません。いや~、この写真家の作品をたくさん見ることができて、本当に良かったです。

続いて「竹院の間」の奥にある「黒蔵」ではアフリカの写真家『ロミュアル・ハズメ<ポルト・ノボへの路上で>』が開催されていました。貧困問題をテーマにした社会的な作品もありながらも、アフリカ特有の土の色や空気感、人々が身に着けている衣服の鮮やかな色柄に目が釘付けになりました。この会場が、またモダンで特徴的。塔のような造りで回廊風の2階の奥には小部屋があったり、螺旋階段を上ったところに展示スペースがあったり。作家が来日してインスタレーションを制作されたとのこと、場所の面白さの触発もあったことでしょう。

次に訪れたのは、京都新聞ビル。ここの地下には、もう使われていない印刷工場跡があり、そこで『ローレン・グリーンフィールド<GENERATION WEALTH>』が開催されていました。地下に降りると、プンとインクの匂いがします。踏み入れた跡地の廃墟感は、ハンパない!!そこで、アメリカ人写真家が、自国をはじめとする世界各国の富への欲望を写し取った写真やスライドがこれでもかと展示されています。金満セレブのカラフルで巨大なツルツル写真と、工場跡の廃墟感の対比が凄すぎて、言葉を失いました。おもしろい!! 

写真という芸術の分野は、どちらかというとあまり積極的に見に行ってなかったのだけど、改めておもしろいなあ、と思いました。そこに写っているのは、真実ではないかもしれないけど、事実ではある…。(それも技術が発達している昨今では保証されないかも、ですが)そして、写す人がいて、被写体があって、写しているという事実がある。世の中に止まっているものは何もなくて、常に時間の流れの中で変化しているその中で、ある一瞬を切り取る芸術。無限に思える可能性と表現の限界の狭間で格闘する写真家。深いな~と思いました。

今回巡ったのは3ヵ所ですが、市内15ヵ所で開催されています。他にも、美術館「えき」で蜷川実花さん、細見美術館でラルティーグの展覧会はじめ、各所で関連イベントも開催されていています。京都ならではの楽しい写真祭、おすすめです!会期は、5月13日(日)まで。

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没後50年「藤田嗣治 本のしごと」-文字を装う絵の世界-

2018-04-18 | 展覧会

先日、目黒区美術館で始まったこの展覧会、関西では2月まで西宮大谷記念美術館で開催されていて、いつものごとく閉会ギリギリ最終日に訪ねました。今年、没後50年を迎える藤田嗣治。史上最大?の大規模な回顧展も予定されているようで、秋に京都に来るのを心待ちにしています。

本展は、藤田の画業の中でも、装丁・挿絵など、本にまつわる作品を中心に紹介されており、また、藤田直筆の挿絵入り、大変人間味あふれる手紙の数々を見ることができるのも魅力です。

フランスで画家としての地位を確立した藤田は、絵画だけではなく、本の挿絵の仕事にも積極的に取り組みました。当時、ヨーロッパは挿絵本の興隆の時代で、ピカソやシャガールらの挿絵本も出版され人気を博していたそうです。描かれている挿絵は、油彩画のような彩られた画面の魅力はないけれど、確かな画力で描かれた絵、特に伸びやかな線の美しさにはうっとり。特に素敵だったのは、「イメージとのたたかい」という豪華限定本。使われているのは「眠る女性」という水彩画1点のみですが、ページごとに、この絵の違う部分をクローズアップし、文章とそのレイアウトに響きあっていて、非常に美しい!

また、以前「藤田嗣治 手しごとの家(林 洋子)」という書籍を紹介した記事にも書いたように、藤田が筆マメなことには感心いたします。20才前後に友人に宛てたハガキ、最初の妻へフランスから送った手紙、どれも凝った絵が添えられていて、もらった人はさぞかし喜んだことでしょう。

そして今回の手紙のハイライトは、藤田が戦後、日本を離れてニューヨークへ向かい、妻の君代さんを呼び寄せるまで、日本に滞在していたアメリカ人の友人、シャーマンに宛てて連日のように書いた絵手紙。英語で書かれているので、意味を完全には理解できないけれど、近況や出来事がユーモアたっぷりに書かれた絵が楽しくて、見ていて全然飽きない!全部じっくり見るには時間切れだったのですが、本展のカタログには全部掲載されていたので、即買いしてしまいました。

美しい乳白色の美人画や、ヨーロッパの群像画を思わせる大壁画、そして恐ろしい戦争画、そんな大作を生み出してきた藤田ですが、一方、このような本当に手の中で慈しみたいような小さな作品を、愛すべき作品を、たくさん生み出したのも藤田なのです。本当に魅力的な人!

目黒区美術館では、6月10日(日)まで、その後もベルナール・ビュフェ美術館(静岡県)、東京富士美術館(八王子市)へ巡回いたします。ぜひ、大回顧展と合わせて鑑賞していただきたい! 

チラシを入手し損ねちゃいましたので、書影を掲載しておこう…。会田誠さんによる「藤田嗣治の少女」も興味深い、読みたいです!

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東郷青児展@あべのハルカス美術館

2018-04-11 | 展覧会

甘く憂いを秘めた女性像で人気を博した東郷青児(1897-1978)。昨年より生誕120年を記念して開催されている本展ですが、今年、没後40年でもあるのですね。この展覧会で、初期から晩年の作品までを概観し、すごく「時代」に寄り添った画家だったんだな~と改めて感じました。

時代によって作風の変遷が見られるのですが、私は特に初期の作品が魅力的だなと思いました。10代の頃に描かれた「コントラバスを弾く女」という作品の骨太なこと!その後、二科展で発表された作品は、非常に形態にこだわった、キュビスムのような、未来派のような。当時としては、相当、前衛的だったんでしょうね。写真を見ても、モダンなお姿。そう、ちょうど小倉遊亀さんと同年代なんだ。世間には、どのように受け取られていたのでしょうか。

20代半ばからフランスに留学し、そこでピカソや藤田嗣治などと交流があったとのこと。この頃、描かれている、ちょっと木の人形を思わせる太い手足の人物像が、すごくいいなと思いました。「ベッド」という作品が好きだったのですが、グッズなどには全く取り上げられてなくて残念でした。

帰国して後の戦前のモダニズムの空気は、この画家の作風にすごくマッチしていたように思えました。戦争の足音も聞こえ始めていたのかもしれませんが、この時代の文化の様子は、かなりモダンでおしゃれ。翻訳と装丁を手掛けた書籍の数々、デザインを担当した舞台芸術など、今見ても斬新です。

30年代の転機として、時代の最先端であった百貨店での仕事があげられます。中でも、京都の丸物百貨店で、藤田嗣治とともに対となる壁画を競作、東郷青児の「山の幸」と藤田嗣治の「海の幸」が並べられて展示されていたのは、壮観でした。こんな巨匠の作品たちが、大食堂に飾られていたなんて、めっちゃ贅沢な空間!

戦後の復興の中から、「東郷様式」と言われる美人画を確立させていく作品を見ることができるのですが、この完成された美人画の、画面の滑らかさは凄いものがあります!陶器のようなツルツルの肌、真っ白な髪の毛、表情のなくなった顔の女性像を見ていると、美しく官能的ではあるけれど、血の通っていないサイボーグのよう…。それでいて、存在感のある手足の丸みは、すごく立体感があり、幻想的で不思議な絵です。以前見た「レンピッカ展」のサイボーグのような女性像と重なるところがあるように感じました。

Wikiを見ていたら、歌手デビューしたり、映画に出演したり、数々の浮名も流したりして、けっこうワイドショー的な話題になっていた方のよう??そのへんのところを、もう少し年上の方に聞いてみたいものです。

展覧会は4月15日(日)まで。初期の素晴らしい作品がたくさん見れる貴重な機会、まもなく終了です!

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坂本龍一 with 高谷史郎 設置音楽2 IS YOUR TIME

2018-03-11 | 展覧会

その展示空間に足を踏み入れるのは、ちょっと怖かった。なぜなら、目が慣れていなくて真っ暗だったから。中は広い長方形の空間、両側に背の高いモニターが5台ずつ並べられていて、音と光が瞬いている。そこに映るのは、具体的な映像ではなく、音に連動した電子の軌跡。そして、一番奥にぼんやり浮かび上がって見えてきたのが、小さなグランドピアノだった。

「何がなんだ」って全然わからないまま、この二人が協働してるなんて、絶対見に行かなければ…!と思って新宿までやって来た。音と映像のコラボレーションが展示空間に設置される「設置音楽2」は、昨年、坂本龍一が8年振りに発表したアルバム「async」を携え、ワタリウム美術館で行った展覧会の続編だ。

音と映像のコラボレーションは、約70分ほどでワンサイクルとのこと、水の流れる音や鳥の声など自然の音や人の声や電子音、そしてピアノの音…。緻密に組み立てられたであろう、さまざまな音が映像の光とともに空間を満たす。あちらこちらと音の出るスピーカーも変化するので、自分の立ち位置を変えると、音の聞こえ方も変わる、映像の見え方も変わる。オモシロイ!

ピアノにそっと近づいていって「あっ」と声をあげそうになった。汚れて泥をかぶったYAMAHAのベビーグランド。中を覗くと、高音のピアノ線が切れている。これは、東日本大震災の津波で被災した宮城県名取市の高校のピアノだそうだ。線は一部切れ、躯体は傷ついているけど、フレームがすごくしっかりしていることに、むしろ驚いた。自動で鍵盤を押すことができるよう、がっしりとピストンのような機械に覆われている。スピーカーから流れる、さまざまな音の中で、このピアノが時にかすかに、時にダーンと強く、ナマの音を発するのだ。

例えば、全体の音が止んで静寂が訪れた時、ピアノの低音がダーンダーンと鳴ったり、そのタイミングが絶妙すぎて、てっきりプログラムに組み入れられていると思ったら、それは全くの偶然だった。このピアノの音は、世界中で起こっている地震の揺れを音に置き換えたもの、ひっきりなし発せられるピアノの音に、地球の奥にうごめくエネルギーを感じる。

どうも、ピアノが怪我をしてギプスをつけられている子に見えて、何だか傍を離れがたかった。先のブログに書いたように、ピアノについての本を読んでいたから、ある意味「無残」な姿が悲しくもあり、それでも音を発することのできる強さに胸が締めつけられるようでもあり…。何とも言えない気持ちになった。坂本さんは、このピアノは「自然によって調律された」とおっしゃっている。

五感が揺さぶられる、素晴らしい空間を味わい、ホントに感動しました。ちょうど京都で坂本龍一のドキュメンタリー「CODA」が始まるので、それを見て記事を書こうと思っていて遅くなりました。結局、家の事情で見に行けなかったのですが、3月10日夜にNHKで坂本さんとこの津波ピアノをめぐるドキュメンタリーが放映されます。それを待ってると、展覧会が終わっちゃうからネ。ぜひ、この稀有な体験を多くの人に味わっていただきたい!

展覧会は3月11日(日)まで。絶対、行くべし!!

※坂本龍一さんと津波ピアノのドキュメンタリーを見て、訂正と追記。

会場に並んでいたモニターは両側5台ずつの計10台、スピーカーが14台でした。訂正します。また、津波で被災したピアノとは、私は流されたと思い込んでいましたが、体育館で水に浸かり、あれほどの重量が水に浮かんだということです。被災直後に体育館で坂本さんが奏でたピアノの音は、殊の外美しかった。高校の音楽の先生が、体育館と一緒に壊されなくて本当に良かった、と言われていたのが印象的でした。

津波ピアノは、この後、世界中で展示されるということです。東京展は3/11で終了、お見逃しなく!

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