旧 自分ブランド「COMME des KAORI」

私が他の誰でもない私になるために・・・
独立系FPを目指す私の成功ノート

しのぶもぢずり たれゆゑに・・・

2009年07月30日 | 自然


珍しい花を発見した!何だろうと思って聞いてみると、ネジバナとのこと。
どこからともなく種が飛んできて、今年初めて我が家に根を下ろしたこの植物。
6月~8月ころ、日当たりのいい草地などに生え、その特徴はなんといっても、20個ほどの花が螺旋状に咲くこと。一説には、花が同一方向について茎が傾いてしまうのを防ぐためにこのように付くのだとか・・・カシコイ!
よく見ると花の一つ一つは可憐でかわいい。ラン科なので、小さいながらも確かにその姿は立派にランである。
芝生の上にもよく生えるらしいので探してみてください。・・・でも小さいので踏まない様に。

花の名前を聞いても「ネジバナ??ねじれ花?」と(?_?)な私。
「そう、捩花(ねじばな)。別名モジズリ。ほら、陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに…って古今和歌集にあるでしょう。その捩摺(もじずり)よ。」
「も?モジズリ??」
あった、あった、「小倉百人一首」の14に!そ
ういえば小学校低学年の時覚えたはず・・・

陸奥の 忍ぶもぢ摺 誰ゆゑに 乱れそめしに 我ならなくに
(みちのくの しのぶもじずりたれゆえに みだれそめにし われならなくに)
河原左大臣

誰のせいでありましょうか。
陸奥の信夫で産する「しのぶもじずり」の乱れ模様のように、
私の心は忍ぶ思いに乱れています。
私のせいではありません。
ほかならぬあなたのせいですよ。

心に秘めた片思い・・・なんとも切ないの歌ではないか~

みちのくの・・・とはまた珍しい。
和歌は貴族文化であったので、その多くが京を舞台にしている。そのなかで、この歌は都から遠く離れた陸奥(東北地方)で詠まれている。
そして忍ぶにかけた
信夫とは!?現在の福島県福島市。信夫郡は編入してなくなった古名である。

しのぶずり
とは模様のある自然の石に布をかぶせ、忍草(しのぶぐさ)の汁を擦りつけて染める染色方法のこと。昔から信夫地方は養蚕と絹織物が盛んで、ここで作られた乱れ模様のすり衣のことをもぢずりというらしい。
こうして
すり染めした絹織物は「信夫絹」「しのぶもちずりとして宮中に献上され高評を得ていたようである。
また、このすり染めの紋様がみだれ染めといわれることから、乱れ心を意味する
乱れそめにしという枕詞が生まれた。
この「しのぶもぢずり」を作るのに使った天然の石は文知摺石(もじずりいし)といわれ、今も福島県福島市山口の文知摺観音堂
に残っている。

この文知摺石には、次のような伝説がある。
「嵯峨天皇の皇子で、河原左大臣こと中納言源融(みなもとのとおる)が按察使(あぜち)として陸奥国に出向いていたが、ある日、文知摺石を訪ねて信夫の里にやってきた。源融は村長の家に泊まり、美しく、気立てのやさしい娘・虎女を見初めてしまう。融の逗留は一ヶ月余りにもおよび、いつしか二人は愛し合うようになっていた。しかし、融のもとへ都に帰るように綴られた文が届き、幸せな日々に区切りを置くことになる。別れを悲しむ虎女に融は再会を約束し、都に旅立った。残された虎女は、融恋しさのあまり、文知摺石を麦草で磨き、ついに融の面影を鏡のようにこの石に映し出すことができた。が、このとき既に虎女は精魂尽き果てており、融との再会を果たすことなく、ついに身をやつし、果てた。」
(「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」より引用)

・・・こうして河原左大臣は「古今和歌集」にこの歌を残したというわけである。


そして時は下り江戸時代。奥の細道松尾芭蕉はこの信夫の里にも立ち寄っている。

早苗とる 手もとや昔 しのぶずり


早苗をとっている早乙女たちの手元を見ていると、昔、しのぶ摺りをした手つきも同じようだったのかと偲ばれることだ。

それからさらに下った平成の世で私はネジバナを眺めながら物思いにふけるのである。


ネジバナ
の小さな花は下から上へ咲き登り、頂上に達する頃に梅雨が明けると言う・・・。
ここ山形では連日天が破れたかのような夕立に見舞われているが、我が家のネジバナによると
もうすぐ梅雨明け・・・期待できそうである。


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