あろまだよぅ! (^_^)v

どうってことない毎日をダァラダラと !
Doblogと共に沈んぢゃった、あろまおいる
ドリフターとなって漂流中よ!

うそピョン

2009-08-01 07:22:53 | 雑記帳
 いつも仲睦ましいヒデとロコ
いつだって互いを思いやり、いたわり合う姿はほほえましい
そんな二匹を見ているうちに思い出したことが。。。
ちょうど一年前に既に書いたのだが今いちど




 最近ご近所の皆さんにいろいろご馳走になってばかりだわ。
それなのに私ったら皆さんのことを領民・領民って。。。
エ~ン・え~ん、ゴメンなさいねぇ。
もうこれからは「領民たち」なんてなるべく言わなようにするからね。

ご近所の皆さんの優しさに触れて、思いやる心・いたわりの心
の語源を私なりに考えてみましたぁ! (^_^)v



 それは遡ること戦国時代、貧しいが仲の良い若い足軽の夫婦がいた。
夫はいつの日か妻に楽な暮らし向きをさせたいと願い、一心不乱に槍の稽古に励んだ。

 「いつかこの槍で手柄を立てられるよう頑張ろう!」
朝早くから家を抜けだし、来る日も来る日も妻の喜ぶ顔を想い浮かべては、
重い槍も苦にせず稽古に励んだ。

片や妻は、そんな夫の優しさに応えるべく己に何ができるか考えた末。。。

 「そうだ!これからは毎朝お風呂を沸かして汗を流してもらいましょうっと」
幸い近くで普請があったので山まで薪を拾いに行かなくても木端がたくさんある。
妻はそれを拾い集めてお風呂を沸かすべく、板割りに精をだした。



 うふふふっ、もう解っちゃいましたよねぇ。 この若いひと組の夫婦の互いを気遣う行為
重い槍が思いやりに転じたんです。
そして、労り(いたわり)は板割りが転じたんです。 タブン。。。。。

うふふふっ、何だか書いてるうちにホントにそんな気がしてきたなぁ!
でもねぇ、ウソですよぅ。 これはアロマの創作なんです。

だけど。。。もし近所で普請がなく、山まで薪を取りに行ってたら、
板割りぢゃなく、薪割りになってたかもよ? 
そしたら、今ではこんな場合を指して。。。たきぎわる心って言うのかなぁ? (^_^;)v