ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

記号の笑顔と自販機の声

2015-05-16 11:08:21 | 日々の暮らし・思い出
テルモの活動量計というのとまだ真面目に付き合っているよ。

それの画面のことなんだけど、

毎朝それを手に取ると自動的に記号で作った笑顔が出て来る。

(^^)こんなののもっと嬉しそうなやつ。

ハローと英文字でも出る。

それを見ると悪い気はしない。

自分もニコニコしてそれにおはよう♪と声をかけてる。

人は人間ではないものにも顔を見てしまうとか、

赤ちゃんが笑顔を見ると言語野が活発に動くのは、

喋りたい、この人と付き合いたいとかがあるからとか・・・

いうのを前にテレビでやってたけど、

記号でも嬉しくなってしまうのはいいなぁと思った。


自動販売機で「ありがとうございます」なんていう言葉が出て来るのがあるけど、

あれはあまり嬉しくもなんともない。私はね。

耳に心地よくもない。

かえってしゃらくさいって思っちゃう。

でも、嬉しく思う人もなかにはいるかもしれないし、

反対に記号の笑顔見ても、しゃらくさいって、なる人もいるかも。

・・ここまで書いて、

この記号笑顔と自販機声に対する私の受けとり違いは

どこから来るんだろう???って思った。

活動量計というものに人間を感じて、

自動販売機には人間を感じない・・・そうなんだろうか??

いや、自動販売機には、

「買ってもらったから、お礼を言わなくちゃ・・・言えばいいんだろ!言えば!」

みたいに感じてしまうのに対し、

活動量計はこちらが真夜中を過ぎて初めてそれを手に取れば、

ハロー\(^^)/

一日どれだけ歩こうが、歩かないで一日寝ていたって、

翌朝手に取ればハロー\(^^)/。

きっとそのせい???




どうなんだろう・・・???

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百ヵ日供養

2015-05-16 09:59:56 | 日々の暮らし・思い出
昨日は百ヵ日供養というのをしました。

義父が亡くなってから約100日が過ぎたということです。

早いねぇ。

真冬だったのに、今は春。それも今日は半袖でも大丈夫。

仏壇の隣に葬式の時の遺影が置いてあって、

その方にどうしても、おとうさん、と呼びかけてしまうよ。

仏壇には戒名が書かれてある位牌と、

彼の焼かれた喉仏が入っている小さな箱があるんだけど、

それに向かっておとうさんと呼びかけるのは不自然な感じ。


義父が居ないのが当たり前の暮らし。

近くの街に出かけて、帰りの時間を気にしなくてよくなった時なんかに

義父が居ないということがわかる。

暗くなると不安になったから、おとうさんは。


私たちが居なくなる不安というのを持ってたんだろうと思う。

もうその心配はないね、おとうさん。





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健康ステッパー・ナイスディ

2015-05-16 09:48:09 | 日々の暮らし・思い出
これ、知っている人居るかなぁ・・

BSのコマーシャルでやってた奴で、

ようするに足踏み機械。

踏み下ろす時に圧力を感じるようになってる。

何度かそれを見ていて、夫がそれに興味を示してた。

夫は石橋壊し渡らずタイプなのでなかなか買うと決めない。

そこは私が応援して買おうよ買おうよ!。

で、買ったのであります。

もちろん私も使いたかったからね。

中古とか類似品の安いのとかあったらそれにしようよと言ってたんだけど、

なかったようだったわ。

娘から貰ったレッグマジックサークルはすっかり部屋の風景になってしまい、

今度友人に引き取ってもらうことになっているんだ。

やっぱり・・・ねぇ・・


今度は!?・・・どうなるか???と思いながらチャレンジ。

買ってもう何日にもなるけど、だいたい毎日それに乗っているよ。

彼も私も。

うん、いい感じ。これはヒットかも。

最初はきつかったけど、だんだんもしかしてもしかしてもしかして

脚の筋力がついたのかも、しれない、かもしれない・・・

たとえ部屋の風景になっても、レッグマジックサークルよりずっと

控えめな可愛い大きさだからいいよ・・・

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性能悪化故障頻発

2015-05-16 09:30:41 | ひとの幸福
ここに私が年取っただの、老化だの故障だの書いているけど、

仕事を持って多くの若い人たちの間で生きてる人は

そういうことが頭に浮かぶことは少ないかもしれない。

過疎化一途の田舎のここに住んでいると、

周りはほとんどが自分より年齢が行っている人ばかりで、

年取るとあ~なるのかもしれない・・というような思いがどうしても浮かぶ。

以前、インドの医師ディパック・チョプラさんの言葉を書いたことがある。

周りにいる人を見て、

あ~なると確信するから、実際にあ~なる。

こういったもの。

考えてみれば、そういう老いて衰えている人を見なかったら・・・

例えば、周り中全部の年寄りが若い人と見かけが変わらなかったら、

年取ったらあ~なる、の(あ~)が今とは違うだろう。

年取ったら故障する・性能が悪くなる、というデータが自分の身に付かない。

そんなふうに、人間は自分が思った通りの人になる、のだろう。

実際年老いて性能悪化故障頻発ばかり見ていれば・・・・

どうしたって、そうなる・・・?


あのおとうさんを見て感じてここで10年近く過ごした。

あのおとうさんは・・・こんな年になるまで生きているとは思いもよらんだ・・・

というようなことを言っていたことがある。

彼の母親は40そこそこで亡くなり、

父親も70そこそこで亡くなったようだし、

70代に作った彼の句では、年老いた今・・なんていうのもあるくらいだから、

98まで生きるなんて思ってもいなかったんだろうと思う。

それが、生きた。

あんなに罵倒されてた自分の妻の悪口は一切言わず、

自己主張をせず、口数少なく、人を労り、ケチではなく、

畑はいいなぁと草取りをし、

食事の後はあ~美味かったと言い、

特に不満もなく、

・・・こう書くと宮沢賢治の雨にも負けず、みたいだね。

あの詩ほど積極的じゃないけども。

こういう人を見てたので、あ~なる、と、

私の身に付くことはないような気もする今日この頃です。
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