有田芳生の『酔醒漫録』

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小沢一郎講演メモ(終)ー「現在あるものの社会学」としての「対抗神話」を

2011-10-10 11:54:24 | 参議院

 10月10日(月)ある大臣経験者が「アリタはやっぱり小沢支持じゃないか」と語ったと聞いた。参議院昨年当選組の有志で小沢さんを招いて「政治原論」の講演をしていただいたことをさしている。そのときの挨拶でも語ったが、有志には代表選で小沢と書いたものもいれば、菅と書いたものもいた。永田町の狭い視野で、しかも2項対立の「小沢VS反小沢」でしか物事が見られない者が大臣を経験するぐらいだから、政治家水準を推して知るべしだ。昨年の代表選で「小沢一郎」と書いたのは、拉致問題への質問の回答が菅さんより具体的だったから。朝日新聞の政治欄が小沢一郎流の「三権分立」批判を書いていた。国会での証人喚問や政倫審出席と裁判とは両立するという論だ。法律論は立場によっていくらでも解釈ができる。テレビの討論番組で政倫審を作ったのは小沢一郎だと批判する者がいた。だから出席せよとの議論だが、あまりにも単純にすぎる。政倫審とは、成り立ちを振り返っても、捜査の対象にはなっていないけれど、説明をしなければならない問題が生じたときに開くものだ。小沢問題はすでに捜査対象となり、2度の不起訴処分を経て、「市民感覚」なる不透明な強制起訴により裁判がはじまっている。いまは裁判の進行を待てばいい。それを証人喚問だ、やれ政倫審だと騒ぐことは、語りはしない本音では党派的思惑なのだ。外岡秀俊さんの「オルレアンのうわさ」(「みすず」)を読んでいて、原発問題だけでなく小沢問題もしかりと思う鋭い指摘があった。噂は「孵化」「増殖」「転移」の過程を経て行く。ここでは「政治とカネ」の神話的作用だ。それに対して「対抗神話」で反論することによって噂は勢いを失う。ところが噂をなかったことにしようとする忘却の「反・対抗神話」によって、地下に潜ってしまう。ことあるごとに浮上する根拠である。外岡さんは1969年にフランスで発生した根拠なき「反ユダヤ」の噂を分析したエドガール・モランの著作を紹介。再読のきっかけは開沼博さんの『「フクシマ」論』だと書いている。テーマは原発震災だが、「現在あるものの社会学」として「小沢ケース」にも当てはまると思った次第だ。ただし執拗な一方向の報道によって、「対抗神話」はまだまだ弱いのだが。野田政権が接近する経済界について、かつて経団連に呼ばれたときに語ったという内容を紹介して「小沢一郎政治塾」での講演メモを終わる。「結局、最後はお上頼み。昔、経済が右肩上がりのときは、『政治は三流、経済は一流』と言っていたのに、ひとたび経済がダメになると何とかしてくれと言ってきた。それで私は『あんたたち、政治は三流なんだから、政治に頼むな』と言った。だから嫌われたんだ」。


小沢一郎講演メモ(6)ー危機的状況に対応できなかった菅政権批判

2011-10-09 11:41:51 | 参議院

 10月9日(日)今日の予定は板橋区成増から練馬区小竹町あたりを歩くこと。辺見庸さんの講演を聞いたのは1年ぶりだった。昨日の午後、牛込箪笥区民ホールで行われたのは「世界死刑廃止デー」のイベントでのもの。「3・11」が起きてからははじめての講演となった。震災以降、辺見さんは「これまでの言葉では書けない」とどこかで記し、沈黙を守っていた。いちばん印象的だったのは辺見さんの高校時代の教師「タカハシ」さんの記憶だ。朝礼で教師が並んでいても、いつも少し離れて立っていた「タカハシ」さん。群れのただ中にあっても離れて立つ。その「タカハシ」さんがある授業でざわざわする生徒に向かって大声でただ一言叫んだ。「思え~!」。ジョルジョ・アガンベンが「ホモサケル」であらゆる権利を剥奪された「むきだしの生」を分析したように、最後に残された思考すること。辺見さんは大震災後に必要なのは、美談をはじめとしたナショナルヒストリーを作ることではなく、「原真理」「哲学の第一原理」としての「思う」(想う)こと=コギト(私は思考する)だという。今回は辺見さんに挨拶に行くのはやめて地下鉄で新宿へ。紀伊国屋書店で辺見さんが講演で引用していた堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫)を入手。池袋から東武東上線で大山下車。10月末に閉店する「たなべ」へ。「思う」のは「思考する」こと。小沢一郎さんが記者会見で「あなたはどう思うの」としばしば記者に問うのは、「原真理」なのだ。「小沢グループ」の頂点にいながら、その集団からどこか離れているようにも見えるのはなぜか。「独立した個人」だからだろう。「小沢一郎政治塾」でリーダーシップについてこう語っていた。「マスコミは口を開くと『リーダーシップだ』『政策だ』というが、それにいちばん関心がないのはマスコミ。少しでもリーダーシップを発揮しようとする人物が現れると、それを叩いて足を引っ張って潰す。日本はリーダーを好まない歴史的社会だった。日本的なやり方は、波風立てず、和気あいあい。政治の大事なテーマがなんとなく決まる。しかしいったん危機的な情況のときには、誰も責任を取らず、思い切った決断ができない。事なかれ主義になる」。これは一般論を語りながらも実体としては菅政権の批判だ。私にはそうとしか思えなかった。


小沢一郎講演メモ(5)ー日本の「反右派闘争」としての「小沢問題」

2011-10-08 11:57:40 | 参議院

 10月8日(土)昨夜は神保町の東京堂書店で藤原新也さんの講演を聞いた。集英社から出た『書行無常』がテーマだったので、原発震災の話はいっさいなかった。大震災翌日にお会いしたとき、名作『メメント・モリ』の制作過程や取材方法について聞いた。記された言葉はすべて即興だと聞いて驚いた。「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」。この名言も写真を見つめながら出てきた言葉だという。出合い頭に浮かんだイメージが文字として固まる。『書行無常』もまた同じ方法で渋谷からインド、中国へと向かった。藤原さんの講演を聞く前に絶望的な、しかし歴史の事実を描いた映画を見た。ワン・ビン監督の「無言歌」だ。中国の文化大革命はあまねく知られる歴史的事実だ。しかし1950年代の「反右派闘争」はあまり知られていない。1949年の中国革命は中国人のみならず「もうひとつの世界」をめざす人たちに大きな希望を与えた。56年に毛沢東は「自由な批判」を歓迎すると発言。「百花斉放、百花争鳴」キャンペーンだ。ところが57年には党への批判を理由に100万人以上が「右派」だと断定され、「反右派闘争」が開始される。砂漠などに追いやられた人たちの多くは過酷な強制労働で生命を失う……。この作品を見ていて、政治とはかくも非情なものかと思う。民主主義的衣装をまとうこの日本でも、形態は異なるとはいえ、「非情」がまかりとおっている。政権交代を実現した立役者は、総理を経験した鳩山由紀夫、菅直人であり、小沢一郎である。ところが小沢さんは裁判を理由に党規約にもない裁判が終わるまでの党員権停止処分が申し渡された。党員権停止処分は最長で6か月だから執行部による規約違反である。小沢さんは「政治塾」でこんな発言をしている。「まだ民主主義が定着していない国や民主主義とは異なる政治体制の国は、経済の破綻が政治的な混乱・動乱につながる可能性がある。日本も例外ではないが、日本以上に混乱と動乱が予想されるのは中国。高成長のバブルがはじけると、政治的な自由を求めた大衆の不満に加えて、ただでさえ存在する貧富の格差に不況が追い討ちをかけ、共産党一党独裁は不可能になると私は思っている。以前から中国の指導者にも伝えているが、共産党一党独裁の政治体制と市場経済は絶対両立しない。必ず矛盾をきたす。そういう動乱の時代は私が死んでからにして欲しいと思うが(笑)、ここ数年なのか分からないが、それほど遠くない将来にそういう結果が出てくるのではないか。日本がまずしっかりして、中国のソフトランディングをはからなければならない」。小沢一郎をめぐる現代日本の問題もまた、党内外の民主主義の成熟度が問われている。小沢問題は日本で起きている「反右派闘争」なのである。


小沢一郎講演メモ(4)ー小沢報道にみる「政局部」の貧困な現状

2011-10-07 10:49:24 | 参議院

 10月7日(金)小沢一郎裁判がはじまった。メディアの報道内容もそれぞれだ。1面を比較すると、たとえば「毎日」は「陸山会事件 小沢元代表喚問拒否」、「朝日」は「小沢氏、検察を批判」との見出しで、さらに「検察審査会調書を誤信 弁護側」と、小沢サイドの主張を紹介。とくに社会面では記者会見の内容を詳しく報じ、「ニコニコ動画」などについても触れている。批判的コメントもふくめ、検察官役の指定弁護士、小沢弁護団の主張がよくわかる紙面になっている。「赤旗」は「小沢氏 元秘書と共謀」と検察の主張に沿った報道で、「小沢=悪」論による演繹的手法の報道に終始する傾向的な内容だ。客観証拠がなく、しかも強制起訴した根拠となった調書が東京地裁で却下されている。小沢裁判の根拠が破綻しているのに疑惑だけをふりまく報道は、デマゴギーといってもいい。裁判の意見陳述で小沢さんはこう述べている。「震災や原発事故の復旧はいまだなされておらず、世界経済も混迷状態にあります。偏狭なナショナリズムやテロが台頭し、日本の将来が暗澹(あんたん)たるものになる。国家権力の乱用をやめ、民主主義を取り戻さなければなりません」。これは「小沢一郎政治塾」で語った主張でもある。そこではユーロ危機がアメリカにも波及し、不況に入りつつあると分析。中国も民主主義が成熟していないから、経済危機が政治的混乱をもたらすと断言。「この数年で政治的動乱が起こるのではないか。半年、1年でキザシが出てくる」と語った。中国の支援とコントロールがあるから北朝鮮の体制も維持されている。そこにも影響が出てくる。したがって中国がソフトランディングできるように日本が役割を果さなくてはならない。日米関係は「同盟」にふさわしい現状ではない。アメリカは大事な問題ほど情報を与えないからだ。「世界と日本は未曾有の危機に直面しつつある。何をなすべきか。政治の責任はきわめて大きい」。ある新聞は小沢さんが総選挙に触れ、いま解散すればどの政党も過半数をとれないとの予測を記事にした。しかしこの部分は世界的経済危機に関連して、選挙の結果で日本の経済も混乱に陥る、だから政治のリーダーシップが大切だという文脈のなかで語られたものだ。「政治部」ならぬ「政局部」(丸山眞男)報道の限界である。


小沢一郎講演メモ(3)ー小沢初公判に口が重い民主党議員のなぜ?

2011-10-06 08:46:50 | 参議院

10月6日(木)広報委員会のメンバーとして「『プレス民主』改革私案」を書く。夕方には銀座の伊東屋でモレスキンのルールドノートを買う。雨のなかを汐留の劇団四季「海」へ。「オペラ座の怪人」を観る。4年前の参議院選挙前にロンドンで、昨年1月にニューヨークで観たが、劇団四季も本場にひけをとらない力演だ。「オペラ座の怪人」という名作ができて25年という。幕間にスマートフォンを見ると通信社から電話が入っていた。6日からはじまる小沢一郎裁判のコメントを求められた。東京第5検察審査会の議論そのものがーいまごろ指定弁護士が新聞取材に応じて審議内容をコメントしようとー「ブラックボックス」で信用できないこと、東京地検が二度も不起訴にせざるをえなかったこと、秘書の「推定有罪」裁判とは別で無罪だと思う、ただし客観証拠に基づく公正な裁判であること、「推認」による政治裁判でないことを望むと語った。Y記者によると「民主党議員の多くの口が重い。中間派と言われる議員でも語りたがらない」という。世論の批判を恐れているのだろうか。おかしなことだ。「小沢一郎政治塾」の講演は約40分。その冒頭で小沢さんはとても大切な問題を取り上げた。大震災以降の日本について「未曾有」という言い方をするが、どこまで本気かという問題だ。現実認識と言葉の乖離は国会でいつも感じてきた違和感でもある。菅前首相だけでなく、野田政権になってからも枕詞として使われる「未曾有」というフレーズ。根本には認識論の課題がある。「危機だ、危機だというけれど現実の政治のなかに生かされているか」という深刻な問題である。小沢さんは大震災と原発震災を区別する。とくに原発の危機を第一義的に処理することが「最大の問題」だとする。原発問題を処理しなければ復旧も復興も進まない。政府の責任はそこにあるというのだ。「未曾有の危機と誰もが言うが、しゃべっている本人も聞いている人も本当にそう思っているとは思えない。『ゆでガエル』の話、知ってます?カエルは徐々に温めるとそれに適応していくが、ある段階で耐えられなくなった時にはすでにゆで上っている。日本はどうも、それと同じ状況にある」。時代認識をこう語る小沢一郎議員に対する裁判がはじまる。好悪は別にして戦後日本の政治に深い影響力を与えてきた政治家だ。ロッキード事件以来と評される裁判は情報洪水が必至。そのなかで何が事実なのかをしっかりと見つめる必要がある。記者も政治家も有権者もまた「自立した日本人」でありたいものだ。


小沢一郎講演メモ(2)ー松木謙公が暴露した菅直人の「酔っ払い電話」

2011-10-05 11:55:25 | 参議院

 10月5日(水)昨夕は議員会館から神保町に出て東京堂書店などを歩いた。「萱」で常連と話をして4年前の選挙でもポスターを貼ってくれた「Jティップルバー」にも顔を出した。ここでも出版社の常連などと雑談。「カッコいい男48歳説」なるものを聞いた。どんなに素敵な男性でも48歳になれば、女性たちが引き潮のように去って行くというのだ。ホントかな。10月29日、30日に「2011 神田カレーグランプリ」が開催される。神田界隈のカレー店約20が出店して自慢の味を競いあう。「地域グルメ・東日本大震災復興支援イベント」も同時開催される。場所は小川広場で、11時から17時まで。「Jティップルバー」も出店する。駅のキオスクで「日刊ゲンダイ」を買う。「難局に小沢一郎をなぜ重用しないのか」とのタイトルで、「大マスコミが伝えない 小沢一郎憂国論」という記事も掲載されていたからだ。3日に行われた「政治塾」での講演が大きく報じられている。記事を書いたK記者に電話をすると、記事に引用された発言はテープに基づいたものという。私がメモしたものから記憶をたどるより正確なので、引用させてもらう。講演本体を紹介する前にもうひとつだけ塾生の質問をとりあげる。「田中(角栄)、竹下(登)、金丸(信)の人物論を語りましたが、政権交代からの3人の人物評を」というものだ。「鳩山、菅、野田」総理の評価を聞きたいという。「それは避けたい」と小沢さんは断りながら、ご自身が身近に見てきた「田中、竹下、金丸」の政治手法について語った。「足して2で割る」政治である。小沢さんは田中角栄という政治家は「行動力や決断力が評価されるが、語られないもうひとつがある」という。それが「調整力」だ。ひとの話をよく聞き、結論では調整する。竹下登は「自分の意見があるのかと思うほど、ただただひとの話を聞いている。しかし結論は足して2で割る」。金丸信も同じ手法だったというのだ。その話を聞きながら6月末に小沢さんから聞いたことを思い出した。菅首相(当時)の人物評である。「政治塾」では名前を出さなかったが、やはり「調整力」の問題だ。菅政権の歴史的総括はいずれ為されるにせよ、国会「内部」から見続けて思うのは、その世代を代表する「一点突破」的手法だったことだ。そのため余計な党内対立を招き、政権交代に期待した有権者からも自民党的体質を思い起こさせた。内閣不信任案に賛成して民主党を除籍された松木謙公さんが『日本をだめにしたこの民主党議員たち』(日本文芸社)を出した。その冒頭では菅直人首相が代表選前夜に酔って海江田万里陣営の事務所に電話をかけ、小沢一郎批判を語ったことを紹介している。事実なら菅直人という人物を象徴するエピソードである。


小沢一郎講演メモ(1)ーー小沢流「ストレス解消法」

2011-10-04 10:59:27 | 参議院

10月4日(火)国会が閉幕したとはいえ、議員の仕事に休みはない。昨日は千駄ケ谷の駅で降りて日本青年館に向かった。朝だからだろう。反原発の集会が行われた明治公園にほとんど人影はない。建物の近くに行くと警察官やSPなどの姿が目立った。小沢一郎元代表が講演するからである。「役職がなくなってもずっとこれなんだよ」ご本人からそう聞いたことを思い出した。たしか20年以上続いていると言っていたように記憶する。「小沢一郎政治塾」は、政治家の卵を養成するという性格ではないと知った。講演のあとで質問する塾生の発言を聞いていると、保育士、フリーライター、金融関係などの仕事などさまざまだ。なかには北海道で私の選挙応援をしてくれた松木兼公さんのM秘書の顔もあった。質問のなかである塾生がこんな趣旨のことを語った。「先生には日本のトップリーダーになってもらいたい。これまで私たちを指導してくれたが、こんどは私たちにお願いしてください。甘えてください。何が必要ですか」。笑顔の小沢さんはこう答えた。「さっきも言ったが、インターネットは社会を変える大きな影響力を持っている。だから私に関することも、何が本当なのかをみなさんがネットで広げてもらいたい」。小沢さんはある質問に対して「大衆のなかに、だよ。大衆の信頼をえる努力が必要だ」とも語ったが、そこには若いころに地元回りで総計3万人ぐらいと膝を突き合わせて酒を飲んだという地道な、土着的な活動とともに、ネット時代に視聴者と交流できる新しい力に可能性を見ているのだろう。「ストレスも大変でしょう」という問いにはこう答えていた。「その日にあった(イヤな)ことは寝る前に考えない。早く寝て早く起きることだね」。講演内容は世界と日本の現状と対応。メモに基づいて紹介する(続く)。