有田芳生の『酔醒漫録』

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小沢一郎講演メモ(6)ー危機的状況に対応できなかった菅政権批判

2011-10-09 11:41:51 | 参議院

 10月9日(日)今日の予定は板橋区成増から練馬区小竹町あたりを歩くこと。辺見庸さんの講演を聞いたのは1年ぶりだった。昨日の午後、牛込箪笥区民ホールで行われたのは「世界死刑廃止デー」のイベントでのもの。「3・11」が起きてからははじめての講演となった。震災以降、辺見さんは「これまでの言葉では書けない」とどこかで記し、沈黙を守っていた。いちばん印象的だったのは辺見さんの高校時代の教師「タカハシ」さんの記憶だ。朝礼で教師が並んでいても、いつも少し離れて立っていた「タカハシ」さん。群れのただ中にあっても離れて立つ。その「タカハシ」さんがある授業でざわざわする生徒に向かって大声でただ一言叫んだ。「思え~!」。ジョルジョ・アガンベンが「ホモサケル」であらゆる権利を剥奪された「むきだしの生」を分析したように、最後に残された思考すること。辺見さんは大震災後に必要なのは、美談をはじめとしたナショナルヒストリーを作ることではなく、「原真理」「哲学の第一原理」としての「思う」(想う)こと=コギト(私は思考する)だという。今回は辺見さんに挨拶に行くのはやめて地下鉄で新宿へ。紀伊国屋書店で辺見さんが講演で引用していた堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫)を入手。池袋から東武東上線で大山下車。10月末に閉店する「たなべ」へ。「思う」のは「思考する」こと。小沢一郎さんが記者会見で「あなたはどう思うの」としばしば記者に問うのは、「原真理」なのだ。「小沢グループ」の頂点にいながら、その集団からどこか離れているようにも見えるのはなぜか。「独立した個人」だからだろう。「小沢一郎政治塾」でリーダーシップについてこう語っていた。「マスコミは口を開くと『リーダーシップだ』『政策だ』というが、それにいちばん関心がないのはマスコミ。少しでもリーダーシップを発揮しようとする人物が現れると、それを叩いて足を引っ張って潰す。日本はリーダーを好まない歴史的社会だった。日本的なやり方は、波風立てず、和気あいあい。政治の大事なテーマがなんとなく決まる。しかしいったん危機的な情況のときには、誰も責任を取らず、思い切った決断ができない。事なかれ主義になる」。これは一般論を語りながらも実体としては菅政権の批判だ。私にはそうとしか思えなかった。