教会史における「新しい歌」 ー賛美と礼拝の歴史神学的考察ー

「新しい歌」がどのように生み出され、受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを歴史的に検証します。

本論② 新約時代における「新しい歌」 とルカの福音書の預言的賛美 <1>

2005-04-09 20:22:16 | 講義
1. 詩と賛美と霊の歌について

◆使徒パウロの獄中書簡(エペソ書、コロサイ書)において、三つの賛美のタイプー「詩と賛美と霊の歌」―について記している。初代教会のキリスト者たちは、集会の中でこのような「詩と賛美と霊の歌」を歌ったのである。

<詩>  
◆プサルモス(ギ)は旧約の詩篇を指すと考えられる。初代教会はユダヤ教のシナゴーグ礼拝における詩篇唱の慣習を受け継いだ。主イエスが弟子たちと歌われた(マタ26:30)のは、過越祭の詩篇(113~118篇)であった。また、パウロとシラスが獄中で賛美したのも詩篇であったと考えられる。
◆旧約時代の捕囚以後、エルサレムに帰還したエズラによって神殿礼拝が復興されダビデの時代以降からの新しい歌は、「詩篇」という形で編集された。それは神殿礼拝においても、また捕囚時代にはじまった新しい礼拝の型としてのシナゴーグ礼拝において用いられた。
◆詩篇は、神に対する感謝と喜びに満ちあふれた心からの賛美であり、それはキリスト教がユダヤ教から受け継いだ<大いなる遺産>であった。詩篇はいつの時代においても、古くして新しい歌の源泉である。クリュソストモス(347-407)は、彼の時代における詩篇歌唱の普及について次のように述べている。「われわれが教会で徹夜の祈りをするときは、ダビデ(詩篇のこと)が最初で最後で中間である。早朝に讃美の歌を歌うときにも、・・修道院でも、乙女が家で糸をつむいでいるときにも、・・人々が神と語ろうとする荒野でも、ダビデは最初で中間で最後である。なんという驚くべきことか。・・ダビデは神を賛美する心をかき立てる。」

<賛美> 
◆ヒュムノス(ギ)は初代教会の頌栄。必ずしも説が一定ではないが、だいたいは、聖書中にある詩篇以外の、ある型を整えて残された賛美の歌とされている。たとえば,マリヤの賛歌(ルカ1章46~55節)、ザカリヤの賛歌(ルカ1章67~79節)、御使いたちの歌(ルカ2章14節)、シメオンの賛歌(ルカ2章29~32節)等は、キリスト教会の最初の賛美である。これらの歌は、伝統的な詩篇をかたどって作られながらも、その内容はキリスト教独自のメッセージが含められた新しい歌である。
◆キリスト教の賛美の歴史に見られる<創作賛美歌>と言われるものは、この部類に入る。

<霊の歌>
◆オーデー(ギ)は、パウロが「霊の」と形容することで「詩篇」や「賛美」と区別している。それは、聖霊によって啓発され、あるいは信仰的感動の表現として生れた即興的な歌であろうと考えられる。「感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」(コロ3章16節)というのは,神の恵みに促されて(鼓舞されて)積極的に歌いなさい、とそのたましいの霊的な状態が「歌う」という行為を誘発した時の方向性を示したものと解釈できる(エペ5章19節)。今日的用語でいうならば、御霊の衝動から湧き出たカリスマ的賛美(異言による歌も含めた)といえる。