5月3日
急遽、右肩の治療のため西宮に一時帰宅。 治療のため数か月間は入院とリハビリ生活となるため、動ける内に「真田丸」の史跡を訪れた。1614年の大阪冬の陣からすでに400年以上も経っているため真田丸の原型はほとんど留めていなかった。 よって、「真田丸」跡は、古地図と合戦絵図を基にして地形から推測するしかなかった。
現在残っている大阪城の南方に位置する赤丸の当り。
「真田丸」と思われるところは小高いゆるやかな高台になっており現在は学校のグランドになっていた。寺は今も残っていて三つの寺の東側は崖になっていた。高台から下った北側は大阪城の外堀があり、そのあたりは空堀町と呼ばれている。
北向きに望む。道の右側に三つの寺があり、左側は学校のグランドで道の先は緩やかに下っている。
1614年の「大阪の冬の陣」図の真田丸は外堀を隔てて隣接していた。
抜け穴跡
真田幸村像
...to be continued.