金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【お盆にお墓参り】 久しぶりに、祖母・父・母・兄とゆっくり話が出来ました。

2024-08-20 00:26:35 | 終活

 お盆にお墓参りをしてきました。

 とはいえ、当家のお墓(2024年2月建立)にはまだ誰も入っていないため、その2軒隣りにある実家のお墓参りに行ってきました。

 

 

 祖母が亡くなったのが平成4年2月が亡くなったのが平成27年4月が亡くなったのが令和元年8月、そしてが亡くなったのが令和5年2月。祖母は享年99歳、父は88歳、母は92歳、そして兄が67歳

 兄だけは少し早過ぎた気がしますが、それ以外はけっこうな長寿の家系であります。

 

 祖母とは、祖母が長年勤めていた文化服装学院の校舎によく遊びにいった思い出話を、また父と兄とは、昔飼っていたポインター犬のエルのことを、そしてとは、中学生の頃に旧に食べ物の好き嫌いが無くなったきっかけの話をしました。

 ポインター犬のエルの話は、すでにこのblog(2024年7月2日の記事)でもご紹介していますから、ここでは省略。母と話した「好き嫌いが無くなったきっかけ」について、少しお話ししましょう。

 

 ワタクシが中学1年生の時、我が家でも「卓上のホットプレート」を遂に購入食卓で焼肉パーティが出来る状況になりました。まぁ焼肉と言っても、当時は牛肉ではなく、もっぱら豚肉のバラ肉が主流で、副菜としては、定番の玉ねぎ・もやしの他、ピーマン、生シイタケ、ナス、ニンジンなど。余った野菜類はなんでも焼いて食べるのが実家の流儀。

 そして何と言っても、タレは「エバラ焼肉のたれ」

 当時の「エバラ焼肉のたれ」は、もの凄く尖がっていたタレで、ニンニクとショウガがこれでもかと効いていて、翌日は匂いが取れずに周囲にバレバレ・・という激しいシロモノ。今では、そういうタレは売れなくなったので、大人しい上品なタレに替わってしまいましたが、昭和40年代の日本は、とにかく「スタミナ」をつけてガンガン働く、ガンガン部活に勤しむ、という時代。前進あるのみという時代でした。

 このころのワタクシは、ピーマンとニンジンは食べれるけど積極的には食わず、そしてシイタケとナスについては、その形状と色から食わず嫌いで食さないという少年でした。しかし、「卓上ホットプレート」で熱々に焼いたシイタケやナスを、豚肉と一緒に「エバラ焼肉のたれ」にぶち込んで食してみると、これはもう至福の味。ピーマンやニンジンも同じく、天上の味わいに。

 このホットプレートによる焼き肉が我が家の定番メニューに加わった時が、ワタクシの好き嫌いが無くなった瞬間でありました。それを話すと、母親はしたり顔で笑っておりました。向こうの狙い通りにワタクシが嵌った訳ですから、母のしたり顔は当然でありましょう。

 

 祖母・父・母・兄のほか、ポインター犬のエルや、実家で飼っていた猫(クロ・とら)にも、

「自分は、もう少しこちらで頑張るからね。また時々お参りにくるね」

 と申し伝えて、熱中症にならないうちに帰宅の途につきました。

 

 


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