昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

転載 縄文人の悠久なる旅3

2012-01-13 12:59:34 | 歴史・神秘
1990年国際シンポジュ-ムで南太平洋に浮かぶ島国 バヌアツ共和国で縄文土器が発見されたと発表された。

ニューカレドニアの北、英・仏共同統治領だったニューヘブリデス諸島が1980年に独立し出来た国で、フランスの考古学者がヤムイモ畑から採取した。
漂流や難破で漂着した可能性は低いと考えられ、定住していた可能性も他の角度から研究していた事で証明されている。(分析の結果日本の青森地方の土で製造された土器と判明)

その根拠は当時シベリア・日本・ミクロネシア・ポリネシアに分布する同系の釣り針が太平洋上の島々に点々と存在し、人が移動し、文化も移動したということは、交通線が存在したからこそ、日本からバヌアツに縄文土器の伝播が可能になったのだ。

紀州の串本・潮岬・大島などこの周辺の漁民が江戸時代の鎖国されている以前から、太平洋戦争前まで、毎年オーストラリア沿岸に貝類採取の出稼ぎ漁業を続けていた。
採ってくる物は真珠で、相当古くからこの海域で真珠が採れる事を知っていた事は驚きで、国禁を犯し発覚したら死罪は間違いない危険を犯し、真珠を持ち帰り、ひそかに広島方面の仲介者に渡され、博多で中国人に売却されたと伝えられている。

村から大勢の人が消えることは村人全員で口裏を合わせ、莫大な渡航費用も準備し、遭難や潜水による事故や病気の恐怖と戦う事もいとわずに、彼等は行ったのは費用対効果を考えても十分に引き合ったであろうと考えられる。
紀州和歌山は熊野水軍の本拠地であり、外征海軍を率いた古代豪族の紀(き)氏が繁栄したところである。
この周辺一帯では太平洋の南の彼方に理想郷「補陀落(ふだらく)」信仰がある。

鎌倉時代の「吾妻鏡」によると食料30日分を積んで航行すると理想郷に到達すると有るが、実際の航海に基づくのではないだろうか? たしかに侏儒国(サイパン島)に渡海が可能である。
また、四国の足摺岬や室戸などにも、この信仰が存在する、「倭種の国」が此処にあったとされる事と無関係とは思われない。

魏志倭人伝に、卑弥呼の死後女王の地位についた「台与(とよ)」が魏の皇帝に倭国の特産品として「真珠5000個」を献上したとある、当時中国では道教の不老不死の秘薬として真珠が尊重され、極上品の献上品は国内産ばかりであったとは言い切れず、太古から南太平洋の島々から採取された真珠が混じっていても可笑しくなく、戦前までオーストラリア沿岸の木曜島に真珠取りに往っており、ニューヘブリデス諸島も真珠貝分布地で、紀州漁民の売り捌き先も中国であった。

紀州漁民に伝わった「真珠伝説」は、あるいは卑弥呼の時代までさかのぼるかもしれない。
そうなると縄文人との航路や停泊地も似通っていたであろうと思われる。
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