迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―お台場4

2010-12-19 19:54:51 | 浮世見聞記
最後は、海に消えた台場。

“第二台場”は、第五台場のほぼ東、第六台場の南々西にありましたが、戦後、大型船航行の妨げになると云う理由で、昭和28年から36年にかけて撤去され、姿を消しました。

上段写真の、中央部にあったと推測されます。

この第二台場には、明治3年(1870年)に点灯された洋式灯台がありましたが、現在は愛知県の明治村に移転保存されています。


“第七台場”は第四台場同様、財政難による工事中止によって未完成の憂き目を見た、いわゆる“崩れ台場”。

しかも、第四台場がほぼ完成していたのに対して、第七台場はまだ海中での基礎工事の段階であったため、海面に姿を見せることなく終わった、“幻”の台場でもあります。

しかし海中に残った跡地は、明治27年から第二次大戦後まで、牡蛎の養殖地として使用されていましたが、昭和40年に運河拡大工事のため、ついに浚渫撤去されてしまいました。

場所は現在の港区台場一丁目、有明西運河の河口の少し先だったようで、





↑写真の、左手橋脚のやや奥と推測されます。



戦後、敗戦の痛手から立ち直るべく高度経済成長に邁進した当時のニッポンとニッポン人は、同時にそれまで日本人の中にあった日本人らしさを自ら破壊してしまった、と云う話しを聞いたことがあります。

今回、お台場跡地を探訪してみて、国を豊かにするために歴史的建造物をも凄まじい勢いで破壊していった当時の日本人に、彼等の努力があったからこそ現在の自分の生活が在ることを理解しながらも、非人間的であった実態を感じずにはいられませんでした。
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