迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

てつみちがゆく――海老名鐵道史

2023-06-07 19:40:00 | 鐵路


開業前から氣になってゐた、小田急線海老名驛に隣接するROMANCECAR MUSEUMへ出かける。



目的は“シンカンセン”の原型でもある、初代のSE(3000形)に逢ふこと。



SEとは、“Super Express”の頭文字からとった愛稱で、のちの“夢の超特急”國鐵0系へとつながっていく丸みを帯びた流線型は、後輩のロマンスカー車と比べても見劣りがしないどころか、いつまで見てゐても、飽きない。



これこそが、真實(ほんたう)の“美人”と云ふものだ。



内側に開く扉を入ると、後年の特急車では定番のデッキは無くてすぐに客室、



空氣抵抗を少なくするために重心を低く設計した車内はさすがに小ぢんまりとしてはゐるが、ムダがないので狭苦しさは感じない。

古い邦画で、現役時代の3000形の車内シーンを觀たことがあるが、たしか走行中の車内ではオルゴールが奏でられてゐなかったか。

昭和三十二年(1957年)に誕生したSE3000形は、在来線における高速運転の實驗で最高時速145kmを記録する快挙を成し遂げ、 



現代ニッポン人の行動範囲擴充の礎となった、まさに“偉大なる美人”である。



そしてもふ一か所、海老名驛から東に歩いて約十五分、相模國分寺跡の前に建つ海老名市温故館にて、



「えびな近代鉄道物語」展も併せて觀る。



相模鐵道、かつて國鐵のJR相模線、小田急電鐵の三線が通り、昭和六十二年に國鐵の海老名驛が開業したことで三路線すべての驛がある街となった海老名の、鐵道黎明期の展示資料から、厚木驛がなぜ相模川西岸の厚木市ではなく、東岸の海老名市にあるのかについて、興味を惹かれる。

大正十五年、現在の相模鐵道とJR相模線が當地に驛を設置することになった際、土地の地名「河原口(かわらぐち)」を驛名にしても知名度が低いので、すぐそこの對岸で古くから榮えてゐる「厚木」としたはうが集客が望めると考へた海老名村長にして現JR相模線重役の望月珪治氏は、厚木町助役にして現相模鐵道線重役の中野再五郎氏に理解を求めたところ、中野氏は相模川に鐵橋を架けて厚木まで伸延させる資金が無くて苦慮してゐたところでもあり、鐵橋を架けずに「厚木驛」が造れることは厚木町にとっては損にならぬと踏んで互ひの利害が一致、



かくして厚木の“玄関口”と云ふ位置付けで、現在に至る厚木驛は誕生云々。

――かういふ政治的思惑の交錯する噺が、私にはたまらない。

現在は厚木市の中心となってゐる小田急線「本厚木驛」は、もちろん厚木市にある。



入場無料なのが申し訳ないくらゐに立派なオールカラーの解説パンフレットを良いお土産に、向かひ側の國分寺跡も見物して、もふ少し海老名の小旅を樂しまん。









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