迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

聞こえないといふ真実。

2018-04-18 19:42:33 | 浮世見聞記
思考や行動のすべてを減退させる大嫌ひな天候が、昼過ぎに霧消していっぺんに陽が差したときには、ホッとする。

摂取に必要なだけの、最低限の分量だけあれば充分であって、それ以上は災ひをもたらすだけの厄介モノだと、我ながら身勝手なことを考へつつ、毎年楽しみにしてゐるご近所のを見に行く。



今年の藤は、今週いっぱいが見頃ださうな。

平常ならば今頃が蕾のはずだが、春の麗らかさを飛ばしていきなり湿り気を含んだ暑さに見舞はれたりと、明らかな天変にさらされてゐる平成三十年である。



『これまでに経験したことのない』

が、もはや常套句になってしまった季節が、いきなり襲来しさうな気がする。


昨夏の佐渡島への旅行で、もはやあの季節には何の計画も立てられなくなったことを痛感した。


いざといふ時、他人(ひと)が流す情報ほど、嘘はない。


自分の目で、

空の“聲”を聞き取ることだ。



“今年はせいぜい、蓄へに充てろ──”


さうでしゃうな。
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