迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

萬事必縁。

2022-02-25 18:15:00 | 浮世見聞記


東京都目黒區上目黒一丁目、東急東橫線と東京メトロ日比谷線の高架橋下をくぐり抜ける時、ふと見上げた先で一本の若木と目が合ふ。

高架線上のあそこになぜ木が……? と思ひかけて、さうか“日比谷線脱線衝突事故”の慰霊碑があるからだ、と氣がつく。


平成十二年(2000年)三月八日の午前九時頃、トンネルから地上へ出て中目黒驛に向ふ電車の最後部が脱線したところへ、中目黒驛を出發してトンネルへ進入しやうとしてゐた電車の側面とが衝突して乗客五名が亡くなり、六十三名が負傷する大事故の現場が、ちゃうどあの場所だったのだ。

どちらも車両の側面が削り取られたやうに大破した有様は衝撃的であり、また亡くなった乗客なかにはボクシングの試合に向かふ途中だった若者も含まれてゐたこと、また一部が血に染まった形見の帽子を受け取った遺族が、洗濯せずそのまま持ってゐたいと強く希望したことなど、胸に突き刺さる話しをいくつも耳にした。


脱線衝突事故が發生した勾配のカーブは、以前から事故の起きる危険性が業界内で指摘されゐたことが、この傷ましい事故をきっかけに報道屋を通じて、一般にも知られるところとなった。

にもかかはらず、どこだかの技量も人望もない御仁が、「あそこは自分も前からアブナイって思ってたんだよねぇ」などと賢しげに語ってゐるのを見て、「ホントかよ」と内心鼻で嗤ったものだ。



それはさておき、事故に偶然はなく、また今日にその若木の存在を知ったのも偶然ではないと、私は信じる。






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