あられの日記

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横浜・掃部山公園の桜

2015年04月16日 00時04分18秒 | 桜散歩
みなとみらい地区の汽車道の桜を楽しんだ後、紅葉坂を上がって掃部山公園(かもんやま公園)へ向いました。
掃部山公園に到着したのは午前9時44分。既にブルーシートが敷いてあり、お花見の場所取りの人も頑張ってます。ちなみに、場所取りの人のいないブルーシートは隅に丸まってました。ブルーシートには「午後2時より○○会社の宴会。午後7時まで」のように書き込んだ紙が貼付けてあります。

説明文発見:掃部山の歴史
江戸時代まで、このあたりは「不動山」と呼ばれる海に面した高台でした。
明治初期には、日本圧の鉄道開通に携わった外国人技師の官舎が建てられ鉄道事業の拠点となりました。鉄道開業後もこの山の地下水が鉄道用水に使われたことなどから「鉄道山」と呼ばれるようになりました。明治17(1884)年、旧彦根藩士(滋賀県)らが一帯を買い取り庭園化し、井伊家に寄贈したことから、井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)にちなみ「掃部山(かもんやま)」となりました。
明治42(1909)年、横浜開港50周年を記念し井伊直弼の銅像が建立され、同時に井伊直弼の子息・直安によって水泉も設置されました。

大正3(1914)年には、井伊家よりこの地は横浜市に寄付され、植樹、設備を整え、掃部山公園として開園しました。
掃部山公園んは現在約200本の八重桜が植えられ、明治以来の桜の名所としても知られています。
関東大震災や戦災で焼けた後も、市民の献木運動で桜や梅が植えられるなど、地域の人から大切に守られてきました。また昭和40(1965)年からは、毎年8月に、伝統芸能や茶道に通じた文化人である井伊直弼をしのび、野点や琴・尺八の演奏などを楽しむ「虫の音を聞く会」が開催され、長きにわたり夏の風物詩として親しまれています。

あれ?なんか別の説明文発見しました。『~(前略)~。当時の銅像は、藤田文蔵、岡崎雪声によって製作され、その姿は「正四位上左近衛権中将」の正装で、高さは約3、6メートルを測りました。しかし、当初の銅像は、昭和18年に金属回収によって撤去され、現銅像は、昭和29年、横浜市の依頼により慶寺丹長が製作したもので、その重畳は約4トンあります。
なお、台石は高さ約6、7メートルあり、創建当初のものが残ってます』だそうで。
銅像と台座のバランスが悪い時、それは大概オリジナルじゃないんだよな~。それ、池上本門寺でも見た。仁王像と山門のバランスが悪い場合も大概オリジナルじゃないんだ。
さて?井伊直弼の像は掃部山公園のてっぺんにありまして…。目の前に「日本庭園」の方向を示す案内板を見つけましたが、それは坂を降りる方向にあります。
ど・どうすっかな~??
今が午後ならパスしたな。でもまだ散歩は始まったばかりです。ここは降りようか?

日本庭園の庭は、桜の花びらが多く浮かんでます。





坂を登ると、途中の斜面にスミレが咲いてました。間に花びらが落ちてます。

この辺りにはかつて彦根藩の藩士が藩主に「この辺りに茶店があればいい」と言われ、かつて茶店があり賑わっていたそうです。茶店を継ぐ人がなく撤去されたとか?横浜ってあちこちに歴史が刻まれ、残ってるのね。

上の画像の右上の広場に井伊直弼の像があります。心惹かれる道ですが、紅葉坂に戻ります。なぜなら、変わった建物を見たんだよ。あれが見たいです。

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