あられの日記

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赤穂浪士のお墓

2012年02月27日 05時55分48秒 | 墓所巡り
赤穂浪士は吉良上野介の首を取った足で、泉岳寺にある殿・浅野内匠頭の墓前に供えたのです。
んな訳で、今日は泉岳寺の赤穂浪士のお墓を紹介しますね。
まずトップ画像は、四十七士の墓所遠景です。全景と行きたかったのですが、フレームに納まりませんでした。
配置図もありました。

並べ方は、討ち入り後、赤穂浪士は複数の藩にお預かりとなって、後に切腹を言いつけられ預かりの藩邸で最後を遂げたのです。んで、そのお預けの藩毎に墓はまとまって配置してあるんですよ。
んで、有名は赤穂浪士事件ですが、実は詳しくは知らないんだよね~。なので、現場で探した墓はこれ。

画像右端が堀部安兵衛の墓です。高田の馬場であった仇討ちに助っ人として活躍。それを見込んだのが赤穂の堀部さん。安兵衛は請われて堀部家の養子になりました。
こっちが安兵衛の義父のお墓です。
墓に戒名と生前の名前。そして享年が彫ってあります。みんな戒名が「刃」の文字を冠してあるのが萌え。
大石主税吉金の墓
大石主税は大石内蔵助の息子です。切腹したのは16才。最年少の浪士でした。堀部安兵衛と同じく、伊代松山藩のお預けでした。
大石内蔵助良雄の墓
この画像ではわかりませんが、墓石の手前に石の大きな線香立てがあります。線香立てには大石家の右二ツ巴の家紋が彫り込んであります。みんな絶対見た事あるよ。
最後にこちらのお墓は?
浅野内匠頭長矩の墓
播磨赤穂藩の第三代藩主。『忠臣蔵』の大本となった江戸城松の廊下で吉良上野介に切り掛かった人。時の将軍は第五代徳川綱吉。生類憐みの令を出してる人だから、殿中刃傷は許せないこと。時のお側用人柳沢吉保は綱吉に取り次ぐこともせず、浅野内匠頭は当日切腹(元禄14年3月14日)を命じられております。享年24。短慮ですよね。赤穂藩は改易になってしまうし~。
画像右手には、浅野家の人びとの墓も並んでます。内匠頭の正室阿久里(瑤泉院)のお墓もありました。
ちなみに、『忠臣蔵』の赤穂浪士と言えば四十七士ですが、泉岳寺の赤穂浪士の墓は全部で48基あります。
さて、泉岳寺を満喫した後、門前のお土産屋さんを冷やかす。

これこれ!大石家の家紋二ツ巴紋の入った太鼓です。記念にケヤキに二ツ巴を彫った太鼓のキーポルダーを購入。
限定キューピーの大石内蔵助もありますよ。

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