あられの日記

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東村山市の野火止用水

2019年07月25日 05時56分43秒 | 歴史散歩
2019.6.16散歩。東村山散策も今日で最終回です。トップ画像は野火止用水をまたいで延びる万年橋のケヤキ。推定樹齢500年。この木は野火止用水を作った時に既に大木でした。用水をまたいで根が伸びてる有様は、巨木好きにお勧めの木です。
さて東村山市の南端に流れる野火止用水。正福寺の国宝・千体地蔵堂の歴史ガイドさんは「子供の頃には用水に水がなくて、底を歩いていた」と語っていた。今はせせらぎが流れていて、用水沿いはいい散歩道です。
あ!アサギマダラ!!なぜ6月にここにいる!?急いで写そうと携帯を構えましたが、見失ってしまった〜。やっちゃったぁ〜。
ところで、野火止用水とは?ご存知ですか?私は以前新座の平林寺さんの紅葉を見物に行った時、敷地に沿って流れてたのを思い出した。
wikiによりますと、「野火止用水は、東京都立川市の玉川用水から埼玉県新座市を通り新河岸川(志木市)に続く用水路である。川越藩主松平信綱は、多摩川の水を羽村から武蔵野台地を通す玉川上水を開削した。その後、玉川上水から領内の野火止(新座市)への分水が許され、承応4年(1655)に主に飲料水や生活用水として利用され、後に田用水としても利用される野火止用水を作らせた。」とあります。これが出来たので新田開発が出来たんですね。
東村山市を流れる野火止用水は、結構大きな木があります。開削当時から立ってる木も幾つか残ってるのですかね?
恩多野野火止水車苑。説明板発見:ここには、1782年(天明2)頃より1951年(昭和26)まで直径7、5メートル、幅0、9メートルの大きな水車(ヤマニ水車と呼ばれていた)があったが、当時は現在ある水車と異なり上流で堰を止め、回し堀で導水し水車を周り、精米、精麦と製粉の動力源として利用してきた。
この水車は東京都の「ふるさと、ふれあい振興事業資金」を活用し農業。生活及び動力源として用水を利用した生活を理解するために設置したものであり、かつてあった水車を再現したものではなく、公園的要素を盛り込んだ庭苑とした。」
公園内にあった東屋でおやつ休憩後、お散歩再開。
大岱稲荷神社に14:51到着。大岱稲荷神社は、京都の伏見稲荷から神霊を勧請されました。
ふむふむふむ。賽銭箱はあれだね。
これが万年橋のケヤキの折れた枝で作った賽銭箱か。
参拝して社殿の飾りを見上げる。
隣は公園で、ここで休憩してもよかったなあ。さっき水車苑で休憩したばかりなのでここは眺めるだけだけど。
説明板発見:神社名:稲荷神社
御祭神:宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
由緒:寛延年間当麻喜重氏の祖先名主当麻喜太郎氏が京都伏見稲荷を勧請し、当村の鎮守に祀せっれた。毎年四月十四日例祭日となっている。
稲荷神社のいわれ:「いなり」の神は五穀成就の神として秋稲穂が立派に稔ると、これを刈り取り束ねて肩に荷って神に捧げたところから、「稲を荷う(になう)」という文字を使った。
宇迦之御魂命を主神としウカとは「清浄或いは立派な食物」の事でこの清浄な食物の根本は稲である。この稲は「生き根」のことで人々の生命を養い育てる力を持っているための名で、すべてのものを生かす力を魂と名付ける。神名は「人々の生命を養い育てる根源の力」を称えたもの。この生命の祖神から御神徳は、
1)人々の生命を守り育ててくれる祖神
2)五穀食物の守り神
3)商売繁昌、商取引の守り神
4)一年中の幸福守護の神
5)人々の不浄、穢れを祓いこれをお守り下さる神等、私達を生かし下さる神と云える。
(参考資料北多摩神社誌)」
野火止用水の岸に残る大きな切株。中央が空洞の跡がある木です。枯死したのかな?
訪問は2019年6月16日で、野火止用水にもあじさいがあった。
わかるかなあ?用水を川魚が群れを作っていた。何かしら?モロコかな?
15時4分新青梅街道に出た。信号待ちをしてると、道の向かいに大きな緑の塊に気づく。あれは小平霊園です。道を渡ると用水が消えた。野火止用水は新青梅街道の向こう側で暗渠になったようだ。西武新宿線久米川駅に到着。さすがに猛暑日とあっては体力が削られてしまい、東村山駅に戻るのをやめてここで散歩を終えた。
コメント
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