あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

琴弾八幡宮の2本の巨木

2019年06月04日 05時53分48秒 | 香川の巨木と神社仏閣
2019.5.5本山寺と琴弾公園周辺の巨木さんぽその4
本山寺で五重塔を堪能。隣接の高良神社さんのクスノキの巨木も楽しんだら讃岐うどんでお昼ごはん。お腹が膨れたところで、次の巨木を目指し出発。道中はかつて高校に通った通学路。あのころの記憶が次々浮かんでくる。けども、肝心の高校はあのころの面影は全くなく、新築校舎になっていた。母が「見物してく?」と声をかけてくれたけど、「ぱ、ぱすで〜」と力なく。車はそのまま進み、財田川へ。あ〜ここ!毎年冬になると、橋と橋の間を走るのが恒例の体育授業でした。
あ。琴弾八幡宮が見えてきた。ここも思い出がたくさんあるなあ。大学の夏休みに自動車運転免許を取ったものの、京都の大学で車に乗らなかったからすっかりペーパードライバーになってしまった私を、父がある日連れてきたのが今日のトップ画像の八幡宮の広い境内です。で、ここで運転の練習をしたのですよ。まさか巨木探訪で戻ってくるとは〜×本日3度目です。故郷にいた頃、どんだけ巨木に興味なかったのか?と呆れますね。まあ、今日の巨木巡りをピックアップポイントは、そんな場所がほとんどなんだけどね。あの頃の記憶がどんどん甦る不思議な感覚です。

そういえば、奥の建物で、おじさんが結婚式を挙げたっけ〜。あ。いかんいかん。故郷というものは、思い出が次々に。
さて、巨木はどこだ?とまあ、実は琴弾八幡宮の巨木は探すまでもない。駐車場にもなってる境内にど〜ん!!
巨木サイトによりますと、琴弾八幡宮のクスノキ:樹高:15メートル 目通り幹囲:6、5メートル。樹齢は不明。
続けて巨木サイトには、「この木はかつてはもっと背が高かったと思われる。その後、何らかの原因により、地上10メートル弱の高さで主幹が折れ、そのあたりから多くの小枝が出たのであろう。若い枝が生長して現在のような丸い樹冠を作ったと想像する。」とありました。
ああ!右奥に見えるのがもひとつの巨木ではなかろうか?

巨大な松!間違いないわ〜。これだわ〜。けど、どうやったらそばに行けるんだろか?

画像構成的には決まってますが、石段は金鎖が張ってあって上がれんから松に近づけそうにないなあ。
形も素晴らしい松ですが、よく見ると真ん中からちょっと上がったところに、大きな枝を切った跡がありますね。
あれ?もしかしてお隣にお社あるんじゃないの?なら反対側からなら近づけるかも?
見えた!笑顔の素敵な狛犬の奥に太い主幹が見えてます。

ふおっ!根元になんかある?
松の巨木が大きすぎて、石像が添え物になってます〜。
見上げる。
老松の堂々たるお姿。幹に植物が着生してますね。ああ、逆光なので、着生してる植物の色がわかるかな?これ?
樹皮もデカイ。うっかり、自分の手を画面に入れ損なってしまったけど、ぼこぼとと表皮に張り付いてるのは手のひらより大きいです。
はい、いつものハイライトになるダンナ。なんとなく表皮の大きさもわかってもらえたかと?
巨木サイトによりますと、琴弾八幡宮のマツ
樹種:クロマツ 樹高:20メートル(現在はもっと高いです) 目通り幹囲:4、5メートル 推定樹齢:不明とあります。関東で何本かクロマツの大木を見ましたが、江戸川区の善養寺の影向の松より樹齢はあるかもしれん。迫力満点な木です。
ただ不安もあった。
松の根元がヤバイ。余裕がない。これさ〜、あまり先を待たず、隣接するお社の基礎を壊す模様です。お社を守るなら、一番簡単なのは松の根を切ることですが、そっちを選択して欲しくないなあ。こんな素晴らしいクロマツは、そうあるものじゃないんだよ。どうなるんだろうなあ。

さて、巨木の紹介はこれくらいにして、実はここはアニメ『結城友奈は勇者である(勇者の章)』(2017-2018)の登場舞台です。登場人物達が通う讃州中学校のモデルとなった中学校が、そばにありまして、琴弾八幡宮が何度も登場してます。だからいわゆる聖地巡礼の場所です。

ついでに、このブログを書くにあたり、琴弾八幡宮を検索したところ。
琴弾八幡宮:
ご祭神:応神天皇 神功皇后 玉依姫命
創建:大宝3年(703)
本殿の様式:入母屋造
歴史:神仏習合の時代には当社が四国八十八ケ所の第68番札所だった。
現在はさぬき十五社の14番目。
伝承では、大宝3年 (703)3月、琴弾山で日証上人が修行していると彼方の空が鳴動し、琴を弾く翁を乗せた船が漂着。その翁は「宇佐より至る八幡大菩薩なり、この地の風光去りがたし」と告げ消え、上人はこのお告げを感得し、里人とおもにその船を神舟とし、琴とともに山頂に運び祀ったのに始まるとされ、社名の「琴弾」はそれに由来する。
大同2年 (807)四国を行脚中の空海が当社に参拝。琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来を描いて安置し、神仏習合の神社となった。
中世には源氏の崇敬を受けた。源頼義は前九年の役に使いをたて願文を納め、その子義家は社殿を造営し、神馬を奉納した。義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、頼朝は一千貫文の土地を寄進した」
ふおおおお〜〜〜!!まさかの義経登場!!
義経は活躍時期が短いので、鎌倉にも所縁のものがない。なのに、まさかの!地元に残ってるなんてぇ〜!!しかも、この時義経が奉納した木の鳥居が現存してるんですよ!琴弾八幡宮の本殿へ上がる石段の途中に残ってるんだとか!し、知らなかったぁ〜〜!!うう。事前に知ってれば、この時本殿に参拝してたのに〜。
自分にがっかりだよ。
ちなみに、お相撲の佐渡ケ嶽部屋の力士の四股名に「琴」の字がついてるのは、「琴」弾八幡宮にちなんでいるんだって。
へえ〜?でもなんで?
調べました。wikiによりますと、佐渡ケ嶽部屋の11代の故郷が琴弾八幡宮がある香川県観音寺市出身なんだって。で「琴」の字は「今に王になるという意味」だと。で、現在も佐渡ケ嶽部屋の力士は四股名の頭に「琴」の字がついてるんだって。

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