あられの日記

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本山寺の五重塔リベンジ編

2019年06月01日 05時23分57秒 | 香川の巨木と神社仏閣
今日から2019.5.5に私・ダンナ・母3人で巡った本山寺と琴弾公園周辺を巨木さんぽを紹介します。
本山寺というのは、四国八十八ケ所霊場第70番札所のことで、実家の近くにあるので、若い頃は正月餅を作り終え、紅白歌合戦の勝敗が出る頃に自転車に乗って本山寺に駆けつけると、運が良ければ除夜の鐘をつけたという思い出のお寺さんです。
去年の夏、甥っ子の結婚式出るために帰省しました。その折り、数十年ぶりに母と本山寺に足を運びました。すると、本山寺の五重塔が修復中で覆いがかかってたのですよ。もうガ〜ン!ってなものです。
ゴールデンウィークに帰省したら、母が「本山寺の五重塔の修復が終わったで?」と教えてくれた。
何ですと!!「見たい!行こう!」と脊髄反射で言っちゃいました。幸いゴールデンウィークの切符取りの初動が遅れたので、観音寺発17時10分の特急しおかぜです。見物する時間はたっぷりある!となると、巨木探訪もからめたいんじゃ!では出発じゃ!!
10時42分本山寺到着。
トップ画像は室町時代中期に建立された重要文化財の二王門です。
二王門をくぐると、念願の五重塔が見えましたっ!これが見たかったんや〜!!
何はともあれ参拝です。
正安2年(1300)に京極氏と佐々木氏の寄進によって再建された本堂は国宝に指定されています。
半蔀だったのね。
源氏物語に登場する半蔀が見たいと思っていたのに、まさか近所のお寺さんにあったとは!
ン??
五重塔特別見学会ですと?
春季:5月3日〜6日
秋季:11月2日〜4日 共に午前9時より午後4時半まで
志納料:お一人1000円(五重塔本尊5件修復浄財とします)
受付:五重塔正面にて
*毎時30分間隔にて10名程度づつ2層目まで説明見学します。 長時間お待ちいただく場合もあります。
ふおおおおお〜〜〜!!五重塔に入れる〜??だがしかしお値段がぁ〜〜!!
志納料というのは拝観料として納める金銭のことです。五重塔の2階に上がるだけで1000円は躊躇しちゃうわ〜。どうしよ?
ま、考えるのは後回し。見学は毎時30分間隔なのですよ。
あれ?お母さん何しとん〜?私が悶々と考えてる横で、母が怪しい動きしてた。
見れば、本堂の側で枯れ木地蔵堂の建て替えの寄進を募っていて、瓦代を1枚2000円で募ってました。その箱に母が2000円を投入済み。で「住所と名前を書けるで?」と。
去年の10月、父が急死しまして、本当の急死で前兆も全くなかったので家族親族は仰天しました。なので母は今父のために信心したいブームなのだ。タイムリーな枯れ木地蔵堂の再建。枯れ木地蔵の瓦なら許せる。なので、私と母とダンナの3名の名前を書き込んでおいた。
ちなみに枯れ木地蔵さんを私がお気に入りなのは天狗伝説があるからで、wikiによりますと、「枯れ木地蔵堂とは、空海に頼まれ本山寺建立の用材を運んでいた深山の天狗が1本の木材を落とした。後の世に発見されたその木で地蔵菩薩を刻んで安置したといわれている番外霊場の一つです。」と解説されてました。
先に本山寺の巨木鑑賞へ。
巨木サイトによりますと、
本山寺のクスノキ:樹高19メートル、目通り幹囲5、4メートル、推定樹齢:伝承700年とある。
西門の左右に巨木が2本。痛恨だったのは、ダンナにハイライトで門の前に立ってもらうのを忘れたこと。いや〜〜、抜かったわぁ〜〜。五重塔に浮かれてしまったよ。
あ。五重塔だ。見学どうすっかな〜??
軒下の木組みを見上げて考えてたらば、背後から「見学ですか?」と声を掛けられた。
ハッと振り返ったら、若いお坊さんがいらっしゃった。
そうなのね。そもそもとっても見たいんですよ。本山寺さんは実家の近所にあるのに、一度も五重塔に入ったことはなかった。ましてや登れるとは思ってなかったんです。
「はい!見たいです!!」とまたしても脊髄反射で答えてしまった。
でもここは3000円支払うよ!と財布を取り出したら、さっと母が先に出してくれた。が〜〜ン!う、嬉しいよ。本音はとっても嬉しい。けども、母に出してもらってはイカンのです。けども、今それで揉めてる場合ではない。
頭を切り替え、いざ見学開始。

四国88ヶ寺70番札所本山寺 - あられの日記 こちらの記事は、去年の7月に訪問した時のものです。

本山寺基本情報:四国八十八ケ所第70番札所
山号:七宝山
宗派:高野山真言宗
本尊:馬頭観音
創建:伝大同2年(807)
開基:伝空海(弘法大師)
歴史:寺伝によれば、大同2年、平城天皇の勅願寺として、空海が自ら刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として開創した。
中世には寺領2000石、24坊を持つ大寺となって栄えた。
天正年間(1573−1593)、長宗我部氏の戦により諸堂を焼失したが、本堂と仁王門(重要文化財)は焼かずに撤退した。

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