「釣初心者日記」

宮崎の釣り情報・釣れた魚の事・魚料理・その他ゴルフ話など書いてます。

出世と恩師

2010年04月10日 | 雑記
昨日は朝から中学時代の恩師から電話があった。
先生とは社会人になっても付き合いがあり、結婚式にも出てもらったし2次会3次会まで付き合って頂いた。まあ同級生がいた事もあったのだろうが、とにかく今でも当時のノリがあり、軽快で目的を端的に話される楽しい先生だ。

昼には小・中・高校一緒の同級生から電話があった。彼U君は今、宮崎太陽銀行で支店長をしていて、4月の転勤で宮崎市内に移ってきた。彼は3箇所目になると思うが、次長と言われていた時代に街中で久しぶりに会って以来、時々の交流がある。

電話ではちょっとした用事に加えて同級生の話をしたが、I君という、やはり小・中・高校一緒の同級生がいて、彼は元々ホテルフェニックスで何がしかの仕事をしていたと思うが、今は要職についていて、専用ダイヤルがあって、秘書がいる立場のようで、彼に頼めばゴルフ場予約も楽かもという情報をもらった。I君は、彼が結婚するまで結構つるんで遊んでいた仲間だったので、すぐに電話してみたが、残念ながら留守でまだ会話はしていない。

最近、車のディラーに勤めているTA君も、4月から所長になると電話があった。宮崎公立大学の教授になっているTU君も自慢の同級生で出世頭だと思っている。

そんな感じで、割と近場にいる同級生達が役職についているのだが、思うにそんな年齢になったんだと言う事もある。でも、ただ年齢を重ねてその職を与えられているという事ではないのではないかと思っていて、彼らに共通する思想があるような気がしている。

実直・誠実・そして気配りがありもう1つ加えると威張っていないと、文章を書きながら思うのだが、決して自分がそうであるとは言えないけど理想ではある。今挙げた同級生達にはそれを感じる。

もしかしてこの遺伝子は最初に登場の恩師を受け継いでいるのかもしれない。

多感な中学時代に、もっとも深く接していた大人なんだけど、先生は中1の時に新任で赴かれて、歳が近い事もあってフレンドリーな関係で、兄貴のような存在でもあった。
それでも先生としての威厳も感じていて、当然指導される事もしばしばあったのだが、それは納得できる指導だった。

先生は体育教師で、40歳代で中学を離れた後は県のスポーツ関連部署で活躍されていたが、その後は小・中学校の校長と県の部署を行き来しており、現在は宮崎市内の中心部の中学校の校長だが、確か後1~2年で退職の年齢。

それにしても相変わらずなのは、電話で学校が着任1年で移動になった事を言われ、
「えらくサイクルが早いですね」と問いかけたら、
「前学校では使いもんにならんかったのよ」って返される。

中学時代は「勉強しないと俺みたいになるぞ」が口癖で、受験の3年の時の担任だったが、俺に勉強の話はするな!※不得意だから・・と言われたり、同窓会のときは突然「おい!ジュースおごれ!」って言われ「普通、先生が生徒にたかりますか?」と言うと「恩返しだよ」・・・「・・・」※絶句。
そんな会話ができる先生。

サッカーの国体の県選出だったので頑張っている姿も見たし、アキレス腱を切って選手生命を断たれ、悔しい思いをされてた姿も見ていたが、とにかく多感な時期に、先生の喜怒哀楽を見て、楽の部分でいえば、こんな人でも先生になれるんだという部分があったりで、とにかくこの先生の教え子なのだ。

できれば1度、先生も交えて交流会を開いてみたいもんだ。