Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

制度の切り替えにつきものは

2012-04-12 20:59:10 | 日記
新しい法律、条例が施行されたりして制度がかわることが多いのが4月。
どうやら、勤務先では来年から給与体系がかわるようだ。今の世の中の流れにそうように賃金が切り下げになりそうだ。制度導入にあたっては、ロードークミアイを通して所属クミアイインに説明するのが労使間のルールらしい。しかし、「労使信頼関係」という都合のいい魔法の呪文に操られ、制度施行までのただのワンクッションにしかなっていない。かつての労働組合は業種別に体系たてられていたが、いつのころか日本では「企業名」+労働組合名が多くなってきている。これじゃ、単なる御用聞きにしかならない「ロードークミアイ」でしかない。既得権の堅持にしか眼が無く、本当の勤労者の生活なんて少しも考えてはいない。
日本の労働運動は三井三池争議で終わったような気がする。相変わらず、我がロードークミアイは「雇用の確保」を第一に叫んでいる。「雇用の確保」で「逃げ切り世代」を厚遇した結果、企業活動を衰退におとしめた事実については労使ともに責任があると思えるのだが。新しい制度では「頑張った者は報われる給与体系になっている」とはいうものの、基本給自体が切り下げられているのであればモチベーションもへったくれもない。まして、消費形態の成熟度合いが新興国と違い、作れば売れる時代とは違い、がむしゃらに働ける環境でもない。身の回りには全てのものがあふれ出し働いてまで欲しいと思うものがなくなった今、「余程のヒット商品」を考えなければ収益の拡大は見込めない。「余程のヒット商品」を考えずにズルズル今まで来て、ギャラの高いタレントを使うコマーシャルしか考え付かない会社に「労使信頼関係」の盾を持って、切り込んでいく必要もあるのではないのだろうか。
定年延長とかの流れで、相変らず「逃げ切り世代」は幅をきかせている。制度の切り替えには切り替え前と後では「得をしたもの」「損をするもの」が明らかになる。制度導入にあたっての会社の考えは「最小不幸の最大幸福」を柱とするような制度に変えてしまう。確かに「最小不幸の最大幸福」の恩恵を受けながら行き続けて現実は否めない。しかし、いざ自分が「最小不幸」の立場になってしまえば恨み、絶望しか残るものはないような気がする。かの大陸の国では、それを進めたばかりに結果的には「最大不幸の最小幸福」になり格差が拡大したのではないのか。
実労働をしていないもの同士が交渉しながら制度を決めてしまい、結局はドス黒い色合いになり歩みの遅いバカでかい組織にしかなりえない。交渉当事者は「制度導入」という結果を勲章に会社側は役職UP、ロードークミアイ側も役職UP。そしてともに最後は外郭団体への再就職。悲しすぎる日本の昭和の文化は脈々と受け継がれる。

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