Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

ゴガツビョウに処方箋はあるのか。

2014-04-19 09:25:07 | 日記
四月も終わりに近づき、新入社員が希望いっぱいで研修している。SNS世代しか入社して来ない現実にオヤヂは対応に苦慮する。「何でもかんでも、友達申請といいね!」で世の中は済まない。特に顔本はリア充しかやんねぇだろ!とかツイッターで目にする。顔本、ツイッター、二つやっていれば、必ずどちらかにウェイトがかかる。顔本は自分をある程度誇示する必要がないわけではない。悲しいことに、顔本でのタイムラインが就職試験の選考になっている事象は日本だけなのかなと。ある意味閉鎖された環境のなかの仲間で集まる企画をたてた者が評価されるっていうこと自体、ただの会社という村文化を電気通信を使っているだけなんだが。
何だか、顔本を使っていなければ「全然ダメな中年」みたいな感じが自分の廻りにある。マネージャクラスが部下に「友達申請ありがと!」とか、聞いていると鳥肌がたつ。
こいつら新入社員はまだこの若さで、このセコイ組織に骨を埋める覚悟をしたのか?、と思うと悲しいを通り過ぎるというか、こんな思いを感じている時点で、時代から乗り残されたオヂさんなのかなと。
こんなちっぽけな組織の中で社畜になると覚悟を決めたのか、そうでないかは知らないが、このまま狭い視野のままで数十年生きて行くのかなと。余計なお世話だが可哀想な気もする。今の世の中、大企業に就職したとしても、イノベーションの早さがあまりにも早すぎて、安穏と生きていくことは出来ない。まして、全員が横並びにポストになんてつけるはずもない。しかし、逆に視野が狭いということは、他のことと比べることが出来ないということでその分幸せなのか。社宅に入って、会社が終わっても会社の仲間としか会話をせず、SNSの中でも同じ会社の社員。そんな生活をしていれば、定年後の生活なんてそら恐ろしい。まぁ、誰もそんな先のことは考えていない。自分もそうだったしな。いずれ、同期入社の三分の二は閉塞感と憂鬱を味わうだろう。もしかして、五月病にかかってしまって会社組織から足を洗い、いろいろなことを経験して、学ぶ方が人生をたのしく生きることが出来るのかも知れないな。