🌸さらすな日記🌸

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工事を一休み😃

2017年06月30日 | 日記(2016/11~2017/06)

神保町「さぼうる」でモーニング・コーヒー♡
コーヒー単体で注文したのは初めてですが、ピーナッツが付くんだ〜♪
砂糖壷とミルク・ピッチャーを見たの何年ぶりだろう…。
学生時代、こんなそこつな私も喫茶店でバイトしてたんだよな〜。

そんなことを思い出しつつ、コーヒーを飲みながら、例によって「人生って何なのかなぁ」って考えそうになる。
でも、「やっぱりただ感謝だけしていよう」って思い直す。
もう、そうすることに決めたのだ。
いろいろあるけど、私の人生に起こる全てを受け入れ、ただただ感謝していよう…と。
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日曜日まで工事中です😉

2017年06月29日 | 日記(2016/11~2017/06)

工事と言っても、主に心の工事中です。
心機一転したいと思います♪
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今日は、はにゃ~

2017年06月28日 | 日記(2016/11~2017/06)

なんかもう細かいことは考えず、ただ感謝して生きていっていいかなぁ~?
もうそれだけでいいかな~?
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「のほほん日記」/大槻ケンヂ

2017年06月27日 | 日記(2016/11~2017/06)

90年代、大槻ケンヂさんのエッセイを全部買っていた。
この「のほほん日記」が連載されてた「テレビぴあ」も買っていた。テレビ雑誌を毎号買って見たい番組をチェックしてた、そんな時代もあったな〜。笑
それはともかく、大槻さんのエッセイは、まだバブルが完全に崩壊したとは思えないほど明るい雰囲気だった92年から93年頃に初めて読み、とてもびっくりした。
当時の私にとって大槻さんは、筋肉少女帯のボーカルとして音楽雑誌の表紙を飾るような成功したミュージシャン。そんな人がエッセイで、「学生時代、まったくモデルなくて、独りで映画をよく観に行っていた。いつか彼女が出来たら二人で映画を観に行くんだと、それを悶々と暗〜く夢見ていたけれど、いざ人気ミュージシャンになって彼女が出来るようになっても、結局自分は今日も独りで映画に行っている…」と書いていた。
(まぁ、映画好きは、本当に観たい映画は独りで観たいですよね(^_^;))

それだけではないけれど、一言で言えば、大槻さんのエッセイはネガティブだった。
オモシロおかしく書いているけれど、あの享楽の最晩期の明るさに反する、みじめな暗さがあった。
そのアンマッチ感がすごく好きだった。

しかし94年の米不足によるタイ米の輸入騒動で「え? 日本、大丈夫か?」と思い、95年の阪神大震災、さらにはオウム真理教事件が起きた時、決定的に、日本の明るい未来は完全に消えたように思った…。
そんな時、自身も鬱やパニック障害を抱えていた大槻さんのネガティブエッセイは、私にとってペーソス的な笑いの範疇を超えてしまった…。
暗い時代に、暗いエッセイを読めなくなってしまった。
その当時のエッセイで、カラオケ屋で「ド根性ガエル」の歌を聞いた大槻さんが、「ドッコイ生きてる、シャツの中、か…」と、ピョン吉の、いや、その歌の「生命力」にうたれるシーンがある。
「ドッコイ生きてる…、それでも生きてる…」
私もまた、その文章にうたれた…。
当時いろいろあって絶望していた私もまた、「ドッコイ生きて」行ければいいなぁと思ってた…。

そんなこんなで2000年以降は大槻さんの著書をあまり手に取らなくなってしまっていたけれど、先日youtubeのオカルト・UFO系の番組に出演されているのを見て、なんだか安心した。
昔は精神科医に「UFO関係の本禁止」を言い渡されていたけれど、矢追純一さんに冷静なツッコミを入れる大槻さんは、なんだかすごくゆったりした人になっていたように見えて、なんだか「そうなんだ〜!」と思ってしまった。
久しぶりに大槻さんの最近の本を読んでみようかな。😄
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欲するもの

2017年06月26日 | 日記(2016/11~2017/06)
私は一体、何がどうなったら満足するのか…。
例えば私の前世が、映画「薔薇の名前」みたいに、喋っちゃいけない、笑っちゃいけない厳格な修道院で"修行"した修道僧だったとして、今度は日本の会社で他人と喋ったり、笑ったりする"修行"をしているんだろうか?
私は沈黙を守る修行僧から、コミュニケーションを取らなければいけない社会人修行を完遂できたら、今回の人生に満足して死んでいけるんだろうか?
「人と普通に喋れるようなったぞ! 喋ることを楽しいと思えるようなったぞ♪」的な感じで…。

私は作家を夢見るフリして、世間からひきこもりたいという望みを果たして来たのだろうか?
でも世間からひきこもり、家庭も持ちたくないと思って来たのには、世間や家庭の関わりの中でそれらを「楽しい」と思ったことがなかったという要素もある…。
そういう意味では私は「(快くない人間関係から)ひきこもりたい」という望みの裏に、「快い人間関係が欲しい!」という切望を隠して生きて来たのだろうか?
それは、そうなような気がする…。

でも問題は、私は本当に快い人間関係(実際に喋ったり、ともに生活するという"負荷"も含めた上で)を望んでいるのだろうか?ということだ。

誰かを概念的に愛すること、誰かを愛している自分に満足すること、私は人間を愛せないダメ人間ではないという安心感が欲しいだけではないのか?
一緒に暮らす苦労はやっぱりイヤなのでは?

私は、人間と一緒に暮らす我慢や苦労を苦労とも思わない人がこの世にはいると思ってる。
むしろ、世間一般の人はそうだと思ってる。
彼らは、独りの寂しさよりかは、他人との悲喜こもごもの苦労があった方がいいという、人間と共存する上で有利な感性を生まれ持っている人々なのだ。
そんな人々が羨ましい…。

私はきっと、今生では誰かと暮らす苦労に「慣れる」修行を積むことが出来ない。
だから来世もきっと独りだ…。

それに対し、暗鬱な気持ちが湧いて来るということは、やっぱり私は独りがイヤなのだろう。
来世では誰かとともにちゃんと生きていきたいのだ。
誰かとともにちゃんと生きていける精神性や能力を持って生まれてきたいのだ。
そのためにはどうすればいいのだろう…?

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いたちごっこ

2017年06月25日 | 日記(2016/11~2017/06)

ここ数日、まさに、「欲望」とのいたちごっこみたいなことをしていた。
「美味しいものを食べる」とか、「ダラダラする」「無駄遣する」とか…、生活内における快楽を追い、それを自分に与え、また飽きずに快楽を求める…。
果てしなく続く、虚しいものとのオニごっこ。
気づけばいつのまにか、欲望に追いかけられまくる側に…。

でもそんなことを繰り返しているうちに、思い至ったのは、「私って、ダメだなぁ…」という深い深い自分への絶望感…。
なんとなく、他人と違って「ちゃんと」生きられない、美しく生活できない自分へのガッカリ感…。
他の人はもっと、ちゃんと生きているんだろうなぁ、そして、ちゃんと生きているからこその、人生の果実をちゃんともぎ取っているんだろうなぁという羨望…。

私もちゃんとしたいのよ。😖
神社にどんなに参拝しても、なんとなく生活がちゃんとしてくるということはないもんですね…。
自分の意志でやるしかないんですね…。
人間のテーマとは、要するに「自制」なのだろうか…?
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「ヒトラーは生きていた!」

2017年06月24日 | 政治考︰日本と世界

「ファミリー劇場 ヒトラーは生きていた!」
(講師 飛鳥昭雄)を見ました。

この中で、ヒトラーをカリスマ的存在へ指導、もしくは洗脳したカール・ハウスホーファーという人物が出て来ます。
彼は明治時代日本に滞在し、日本に関する論文を書き、勲二等瑞宝賞も受賞しています。

そして飛鳥昭雄は、その日本滞在時、彼が日本の秘密結社「緑龍会」と接触し、ハウスホーファーがドイツに帰国した後、大勢の日本人(緑龍会員)が渡独していると言うのです。

ナチスと緑龍会は深い関係にあったことを匂わせつつ、最終的には、「ナチスを作ったのは日本人!」という飛鳥氏。
これに対し、「これ、信じちゃう人いませんか? 大丈夫ですか?」と冷静にコメントする大槻ケンヂ氏。
コメント欄にはこんなコメント。


真実はどうなのか…?
私には分かりません。
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朝ぐわん

2017年06月24日 | 日記(2016/11~2017/06)

本日の私の朝ご飯は、ベローチェ・カフェのカイザーサンドのツナメルト〜♪
ツナとチーズのコンビに美味しくないものなんてあるだろうか〜、いや、ない。😄
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「古代ユダヤ人と聖徳太子の秘密」/月海千峰

2017年06月24日 | 日本に生まれて

先日ちょっと書いた聖徳太子の未来記ですが、某コメント欄に投稿した時は著作権の問題もありかなり要約しました。
でも私の小さなブログなら、大して問題もなかろうと思うので、著者である月海千峰さんが訳した「未然本記」の終末預言をそのまま掲載いたします。
また、1993年発行のこの本では、太平洋戦争を意識した著者の解説もカッコ内にあるので、それもそのままにさせていただきます。
※何か問題があったらこの記事は削除しますのでご了承ください

「未然本記・終末預言」

 天災が二度ある。帝(みかど)は衰え三宝はバラバラである。(天皇の権威は失墜し、新宝は行方不明である)

 私を離れて理に止まり、帝の説くに近づきながら権力の元に戻り、理を欠いて法をよりどころにする。(太子の示した皇道の真理から離れて天皇制の形だけを復元し、天皇を立てながら権力主義に傾き、天皇制の理を離れた法をよりどころにする)

 天に逆らって災いをなし、虚しいことをする。嘆け、皇道に戻らないことを。悲しめ、天に怪奇現象が起こるように、太陽が二つ現われることを。ほんとうの太陽は高く細く、ニセの太陽は低く太い。(ほんとうの太陽=天皇、ニセの太陽=原爆と国粋主義の指導者)

 ほんとうの細い太陽は光り、ニセの太陽は強く照らす。(原爆の光りは太陽の光を凌駕して熱と光をまき散らす。また、天皇の権威より国粋主義者の指導部の権威が上回る)

 弱き太陽は万年あり、強き太陽は一日しかない。(原爆が一日だけの太陽であることと同様に、国粋主義者の権威も長くは続かない)

 上の太陽は支配されて長く、下の太陽は支配されて短い。(天皇は長らく支配される。国粋主義者が短い間、国を支配する)

 天はこうしたことを災いとして太陽を二つ示された。支配しているほうの家来は高ぶって王のように振る舞うだろう。(国粋主義指導者の家来である軍部は、独裁へと走っていく)

 そして、あざむいていながら君主を崇め偽って家来といっている。(軍部の政治実権掌握のための独断的行為)

 天は報いを与えて彼らの跡継ぎを断ち、子を死なすだろう。神は災いを与えて顧みられないだろう。(第二次世界大戦で日本は大敗し、軍部関係者は全滅)

 万代に天皇の位を軽んじた家来は、このようになる。千世の朝廷を欺くこの大将もそうである。あるいは将校であってこれを覆し忠誠を尽くす者や、もしさらに下の者であっても、改めてこうして諌めれば、悪い運は転じて幸運となる。すると子孫は永遠に繁栄する。

 神は海中に災いを示して、手足があって首のない死体を大量に出すだろう。(神罰により太平洋に多くの犠牲者が出る。軍部に利用された兵士たちの死体が浮くことになる)

 二逆は自らの権威を失わないよう朝廷を軽んじ、天皇を差し置いて卑しい戒王に通じ、国の田を支配して卑しい天の田にしてしまう。(戒王=マッカーサーとの取引の結果、日本人の政治機関は卑しい天=米国、田=米国に忠誠を誓って文化も経済も貢いでしまうようになる)

 習わしに逆らう異国の書簡をありがたがって、朝廷の大礼を辱(はすかし)める。(日本は、米国から提示された新日本国憲法を受け入れる)

 太陽が三つ並んで現われ、三つ立ってあるようである。大将が天皇を支配するように、その家来が天皇を支配するようになる。天皇・大将・その家来と、これ三なり。(二度の戦災=広島・長崎の原爆と、本物の太陽を合わせた三つの太陽の出現は、国の閣僚が天皇を支配し、その閣僚を家来=民衆が支配する世界が実現する印。長い戦乱ののち、世の中に身分がなくなる)

 星が月中に入り、時に天皇の位を脅かす。(月食)下の者が上となり、位のない人が位を取る。

 彗星は祭事の元の法が乱れることを咎める。ニセの太陽は滅び、ほんとうの太陽は安定し、裏切り者の家来は滅びる。(太陽=天皇と、並ぶ月=中国皇帝は、深く結びつこうとしていたが、共産主義革命によって皇帝は没落。結果、労働層が天下を取った中国が誕生)

 ほんとうの主は、位に奢(おご)って天を侵す(人間たちが自己を過信して天を侵す)ことの不敬を戒めるため、地震、鬼火、水害、怪風、見たこともない疫病、赤い雪、泥の雨で神罰を与える。

 また、このようなとき神社や寺は鳴動し、仏や神の像は破裂するが、それは神が示していることだと誰も悟らず、怪奇な示しがあっても誰も驚かない。どのような怪奇が生じても、普段と同じである。

 このようなことのすべては、一つのことに原因がある。祭事に背(そむ)き法を乱せば、天は上下の安らぎを欲するが、人は主従の滅亡を招いてしまう。このときは政治がないような極であり、世の中も乱害の極となる。(いまの時代は政治が存在しない乱害の極の世である)

 見知らぬ法がやって来て、中華(中国)に近づき神道を脅かし仏教を消滅させる。国の官僚もこれを信じ、太守もこれを信じる。

 我が朝廷の主が危険であるのに、神がこれを防がず、仏がこれを防がぬことがあるはずもない。(何かいままでにない思想が大国を取り込み、大国に動きが起こる。日本の権力者もこの動きに共鳴するが、日本にとって危険ば思想である。そしてことのき仏教は滅びる)

 新しい儒教が来て、我が儒教が衰える。牛や鹿の祠がしばしばつくられ、物忌みの祭りはどんどん減っていく。(新しい儒教=新しい法事・道徳が現われることによって、日本人の思想が大きく変わっていく。そして邪教がはびこり、神道も衰退していく)

 新しい儒教を支持する人々は、我が国の習わしを卑しめ、異教の品々を尊び、仏を誹(そし)り、神道を嘲笑う。小徳の先生を王のように崇め、我が多徳の先皇を土のように捨てる。(偽善者がはびこり、真の価値ある者は評価されない)

 こうした人々の風潮が盛んであるので、国の道はまったく衰えてしまう。こうした人々が多くなるなら、我が国は滅ぼされてしまうべきだ。神はこれを防ぐために、彼らに災いを下す。神はこれを嫌われるので、その道も立ちいくことができない。

 堕落した僧は百千いるが功績はない。国を費やし、ニセの僧が千万出現して人々を惑わし、多くの堕落僧が国中にあふれる。彼らは仏の姿を盗んで、心で仏を破る。僧でいながら人の敬いを受けず、俗な生活をして仏道を誹り、湯沐に米を無駄遣いし、煙草に粟を無駄遣いし、瓦礫に銀を無駄遣いし、廃(すた)れ神に金を無駄遣いし、徳沢も遂に渇き、王は孤独を養わず、法海さらに深く仏は一人でカンカを潤す。(宗教、思想、精神の堕落。人は内面的なものよりも、物欲、金欲、表面上の装飾に惑わされ、浮ついた価値観に振り回されて盲目的になっていく)

 家来の威光は君主の威光を長らく脅かし、奢った家来は自分を君主であるという。天はこのことに報いを及ぼし、その下の家来の威光を、こうした家来の威光より高くして、顧みないようにするだろう。そして遂には跡継ぎを断つだろう。天君が立ってもずっとのちまで、このようである。(政治は、権力闘争が下克上のように激しく繰り広げられる。このとき神は、これらに対して報いを及ぼす)

 太陽の精が下がって卑天の田を司り、大気をつくりだして屈伏をなくす。(太陽の精=メシアが降臨してくる)

 活き活きとして、滞りなく神と消息をともにし、聖者も及ばず百の過ちを正す者である。尊きものが天下を治めて、常に宝を敬うので、日本のみならず海外までも従わせる。
 これより西の戒めも、東の我を覆うことを止め、官僚は親睦し、地方を治める者も真に和む。
(メシアはあらゆる過ちを正し、常に神と行動をともにする高潔なる者である。このメシアが神宝を崇めるので、日本のみならず世界の指導者となる。この出現によって西の圧力もなくなり、メシアとともに和をなして暮らすのである)

 自ら妻を質にしてまでも、都に寄せ我と城に住む。天下はこうして収まり、朝廷はこうして安泰する。教えを受けなくても自然と人々には教えがあり、生まれながら神仏の田を得ている。年を取ることもなくなるので、墓はいらなくなる。我が祭事の国は万年千年続き、平和が続き、宝も安泰する。(人はこぞってメシアと暮らしたがるが、そのメシアの治める国では、万年千年と平和が続き、宝も安泰する)


 以上です。
 いかがだったでしょうか。
 ちなみに日本書紀には「我は死しても善霊となって、この国を守護する」と聖徳太子が誓ったことが記されているそうです。
 日本書紀編纂に関わった中臣(藤原)鎌足は、秦河勝らとともに聖徳太子の付き人でした。その鎌足は実は百済の王子だったという説もあります。
 考えれば考えるほど、単純には捉えられないものですね、歴史って。
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二日ぶり〜♪

2017年06月23日 | 日記(2016/11~2017/06)

おはようございます〜
みなさまはどんな朝ごはんを召し上がられるのでしょう。
ご飯にお味噌汁かな? トーストにコーヒー? バナナにヨーグルトグラノーラ?
何はともあれ朝ごはんっていいよね〜
どうぞ良い朝を〜(^^)/
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只今お休み中〜😄

2017年06月22日 | 日記(2016/11~2017/06)
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その時に…

2017年06月21日 | 日本に生まれて

以前読んだ本に(どうしても著者やタイトルが思い出せないのですが)、こんなエピソードがありました。

昭和の頃、主婦のたま子さん(仮名)は、毎年正月に、夫の兄夫婦の住む北海道まで、年始の挨拶に行っていました。
本州に住むたま子さん夫婦にとっては、遠出でお金もかかります。
でも夫は長男である兄に挨拶に行かなければならないという考えで、しかも兄に対する敬意の示し方は、少々解せないくらい丁寧なものでした。
「家を継ぐべき長男は、とにかく敬うもの」それが田舎の風習なのかと思っていたたま子さんは、ある日夫から、その理由を打ち明けられます。

夫の話によると、戦時中、夫は広島にいて原爆にあい、半死半生で病院に入院していました。
その時、北海道にいた長男が広島までやって来て、弟を探して病院を訪ね歩き、やっと見つけると、彼を背中に背負って北海道まで帰り、そこで看病してくれたそうです。
二人は特に仲の良い兄弟だった、というわけではなく、「長男というものは、そういうものだからだ」ということでした。
昔は長男が家や土地を継ぐ、優先的な相続権を持っていましたが、そのかわり、他の家族の面倒を見ることの責任もきっちり負っていたのです。
たま子さんの夫は、そんな兄への感謝と敬意を、片時も忘れたことがないとのことでした…。

細部は違うかもしれませんが、大体こんな話でした。
災害時の対応として、何が正しいのか、そんなことは誰にも確かなことは言えないけれど、とても印象的なエピソードだったので、書いておきたくなりました。
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あら?あはは😄

2017年06月20日 | 日記(2016/11~2017/06)

今日はちょっといい日だった。
私のこと嫌いなんだろうなと思ってた人が、私がちょっと仕事で困った時に、なんと率先して手助けしてくれた…。
意外だったけど、ありがたかった…😳
ありがとう…😳

これからも頑張っていこうって気になって来た…😃
ありがとう…😳
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おかあさ〜ん💧

2017年06月19日 | 日記(2016/11~2017/06)

「おかあさ〜ん、なんだか何がどうってわけじゃないけど、仕事に行くのが辛いの〜💧 会社勤務にまつわるアレコレがストレスなの〜💧
自分がすっごい嫌われ者のような気がするわ。
永遠に何の問題もない「普通の人」になれない、変人のダメ人間のような気がするわ。😢
おかあさ〜ん、なんだか生きて行くのが辛いよ〜😭」

「大丈夫よ、大丈夫、それでも死刑にはならないから😊」

「そうね…、少なくとも、死刑にはならないと私も思う…。有り難いことですね…」
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「未然本記」/聖徳太子

2017年06月18日 | 日本に生まれて

2015年8月に、未来記にまつわる本を見つけ、某ブログに要約をアップしました。
某ブログの検索サイトで「月海千峰」で検索してみて下さい。
「天災が二度起きる」から始まる予言です。

これを読み返して今思うのは、
もしかしたら今後の日本は、

皇太子即位
  ↓
大災害が起き、数万人の死者が出る
  ↓
天皇、二回目の生前譲位
  ↓
皇太弟、即位
  ↓
男系皇太子さま、天皇崩御の後即位
  ↓
支配層たちの和解

という方向に向かいつつあるのかもしれない。
そして結果的に日本が安泰になる未来のためには、やはり大災害による万単位の命の犠牲が必要なのかもしれませんね…。
1995年に長年続いた慣例を破り、新年の伊勢神宮参拝をしなかった村山総理が、阪神淡路大震災が起きてすぐ、大慌てで伊勢に参拝に出向いたように…。
死人が多数出ない限り、変われない人はいるのでしょう…。

日本を司る立場の人に、何万人もの命の生け贄を捧げなければ、国が滅びるというのなら、私はその生け贄の一人になってもいいなぁと思っている。
沢山の売国組織やその土地建物とともに、東京は崩壊した方がいいのかもしれない。
それにより売国奴のトップ、というか、「顔出し隊」の人々の多くが死ねば、また日本も変わるのだろう。
もう大災害を、防ごうとしちゃいけないんだ。
むしろ、確実に東京都心で起きることを望むべき時節なんだ。

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