🌸さらすな日記🌸

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江戸川乱歩の「氷柱の美女」

2018年08月05日 | 映画・ドラマ


天知茂さん主演、江戸川乱歩の美女シリーズの第一作目がこの作品です。
原題は「吸血鬼」。
美貌の未亡人を取り合い、二人の男が決闘します。
しかし負けた男が失踪したあと、未亡人の周りで次々と殺人事件が…!

子どもの頃この作品を見た時は、「美貌の未亡人」を演じる三ツ矢歌子さんが小料理屋の優しい女将にしか見えず、いささかビミョーな気持ちになったのを思い出したます。

それでもやっぱり昭和の女優のお色家は、日本特有の隠微な美しさがありますね。
本末転倒な言い方ですが、伊藤潤二氏の漫画のような。


70年代の土曜ワイド劇場は本当に面白かった。
テレビの規制が甘い時代にのみ許された短いテレビ黄金期に、たくさんの娯楽作品を作って下さった方々に感謝いたします。








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「11.22.63」/J・J・エイブラムス

2018年06月12日 | 映画・ドラマ


スティーブン・キングが久々に放った大ヒット小説をドラマ化した本作は、最近よくある「過去に何度も戻るタイムリープもの」です。
アニメ「打上花火、上から見るか?下から見るか?」の主人公が、好きな女の子を救いうために時間を戻るのに対し、本作の主人公が過去に戻るのは「ケネディ大統領の暗殺を阻止するため」です。



ただこの作品が他のタイムリープものとちょっと変わっているのは、主人公がタイムリープ出来るのは、1960年のある一日だけ、ということです。
ケネディ大統領が暗殺されるのはタイトルにあるように1963年。
つまり彼は、タイムリープしてから3年間、「過去の世界」で働いて、ふつうに生活していかなければならないのです。

そんなわけで主人公は教職に就き、学校のダンスパーティーで同僚の女性と恋に落ちたりします。


「そんなことしててケネディ暗殺を止められるのか!?」とヤキモキしますが、お話はサスペンスより、二人の「禁断のロマンス」ものになっていくのでしょうか?😄

それは置いといて、1960年に戻った主人公の体験を通して観客は「60年代は今よりずっといい世界だ!」と感じたり、人種差別問題などでは「酷い世界」と感じたり、家庭内暴力問題では「現代と変わらない」と感じたりします。
社会や人心がよくなっているのか、悪くなっているのかは、とても難しい問題ですね。



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美人スパイが好き💖

2018年06月06日 | 映画・ドラマ


ダブルオーセブンのパロディー映画「オースティン・パワーズ」でブレイクした英国人女優、エリザベス・ハーレー。
私は個人的に、銀のジャンプスーツを無理なく着こなせる俳優さんが好きなのですが、彼女の銀スーツも素晴らしい!
SF映画にありがちな銀のジャンプスーツは、SFマインドを持ち(バカバカしいことが出来)、そしてお茶の間っぽくない、いわゆる「生活臭くない」ケレン味を持った人でないと似合わないのです。

リズ・ハーレーはジャンプスーツだけでなく、黒縁メガネにダークスーツ姿から、60年代Aラインワンピなど、いろんなファッションで観客を楽しませてくれてます。

クインシー・ジョーンズの往年の名曲、「Soul Bossa Nova」に乗って踊るオープニングも楽しいですよ♪


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「偉大なるマルグリット」/グザヴィエ・ジャノリ

2018年05月27日 | 映画・ドラマ


1920年のフランス、マルグリット・デュモン男爵夫人の館では、音楽サロンが開催されていました。
マルグリット夫人はオペラが大好きで、音楽会や若手オペラ歌手のスポンサーでもあったのです。
ただ夫人は、ただの善い聴き手だったわけではありません。
彼女自身もまた、プロではないにせよ、サロンで歌を披露するアマチュアオペラ歌手でありました。
その様子を初めて取材した新聞記者のボーモンは、いよいよ主催者のマルグリット夫人が演台で歌い出した時、その歌声に驚愕します。
なんと彼女は、並外れた音痴だったのです。
館に響き渡る、音の外れた金切り声。
唖然とするボーモンに対し、集まった金持ちたち(一部、早々に別室に避難した人々もいましたが)は、みな笑顔で彼女の歌を聴き、終わった時は拍手喝采です。
なぜなら彼女は、音楽の大スポンサーである貴族なのですから。
それはもう、ジャイアンもびっくりの音痴リサイタルだったのです。

これは、アメリカに実在した音痴のオペラ歌手、フローレンス・ジェンキンスをモデルにした映画です。



資産家のフローレンス夫人もまた音痴でしたが、そのあまりの音痴さが面白がられ、単独コンサートやレコードまで出た人物です。
彼女は周りの人々に恵まれ、音痴ながらも幸せな歌手人生を送りました。

ところがこのフランス映画では、マルグリット夫人は最終的に自分の音痴な歌を録音したものを聴かされ、あまりのショックに精神を病んでしまうというかなり悲惨なラストを迎えます。
医者たちは「彼女は真実を知るべきだ」と主張するのです。
そして真実を知った彼女は、卒倒してしまうのでした…。

実は同時期に、ハリウッドでもフローレンス夫人をモデルにした「マダム・フローレンス 夢見るふたり」という映画が作られています。
こちらは実際の夫人の人生通り、たとえ下手でも音楽は楽しむものだとテーマを、明るくロマンチックに謳い上げています

多くの人がペシミスティックなフランス映画版より、ハリウッド版を好むでしょう。
それでもこの「人間は自分の真実を知るべきだ」というテーマもまた、人生には大切なことだと思います。





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「モネ・ゲーム」/マイケル・ホフマン

2018年04月30日 | 映画・ドラマ


モネの名画を騙し取ろうとする軽いタッチの詐欺・コメディのイギリス映画です。
雇い主のメディア王にムカついたコリン・ファース演じる絵画鑑定士が、名画コレクターのメディア王を騙して大金をせしめてやろうと企みます。
そこでキャメロン・ディアス演じる田舎娘を計画に引っ張り込むのですが、なかなか計画通りにいかないうえに、次第にキャメロンの魅力にとらえられ…、みたいなラブコメでもあります。



明るく気取らないキャメロン・ディアスのヒロインぶりに、「あぁ、いつもの感じ」と思って観ていると、途中から「ぬな!?」となります。
この映画には重要なキャラとして、「日本人ビジネスマンたち」が出てくるのですが、非常に日本人をバカにした描き方をしているのです。



日本人ビジネスマンたちはしきりにペコペコおじぎをし、通訳の英語は単語を並べるだけの稚拙さ、返答は遠まわしな言い方をするので意味不明。
彼らと商談をするメディア王はうんざりし、さかんに「アイツラがウザい、アイツラが苦手」と嫌がります。
しかし商談が絡むためしぶしぶパーティに招待し、カラオケを歌わせてバカにしようとしたら、意外に歌がウマくて、それがまた面白くない。
言葉の端々に「80年代に経済を独占したヤな奴ら」といった嫌悪が滲んでいます。

思わず観ている私は「あらら、イギリスの反日映画に当たってしまった」とツマラナイ思いを抱いていたら、なんとその映画にはどんでん返しのオチが…。
オチの一環として、日本人ビジネスマンたちは「バカのふり」してメディア王を騙していたことがわかります。

日本人観客としては、やっとそこで「ホッとする」のですが、案外これは、外国人が日本人とビジネスで関わった時に感じる本音なのかもしれません。

元三○地所の社員で、バブル期にロックフェラービルの買収交渉に参加していたという苫米地氏が、「武士道」についてこんなことを言っていました。
「ホンモノの武士は、見かけは弱そうでなければならない」と…。

日本人がバカにされるのもイヤだけど、ビジネスのためならアホのフリもするということが、外国人たちにバレているのもマズイのではないかと思う今日この頃です。
(^_^;)




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「エイリアン・コヴェナント」/リドレー・スコット

2018年04月22日 | 映画・ドラマ


※この記事には映画のあらすじやネタバレが含まれていますので、これから映画を観る方はご注意ください。

さてこの作品は、リドレー・スコットが監督した1979年の「エイリアン」そして、ジェームズ・キャメロンが監督した1987年の「エイリアン2」の前日譚的な物語です。
「ファースト・エイリアン」は、超凶暴な巨大昆虫型エイリアンの生息する星に偶然降りてしまった宇宙船の乗組員が、その生物に襲われる話です。
そしてよくあることですが、実はそれが「偶然」ではなく、最強のエイリアンを軍事的に利用するために地球に持ち帰るという使命を帯びた「悪役」が乗組員の中にいて、彼は人間の身体にエイリアンを寄生させ、地球に持ち帰ろうとします。
その悪役は、「ファースト・エイリアン」ではアンドロイドであり、「エイリアン2」では、アンドロイドかと思いきゃ実は利益重視の「人間」だったというオチでした。

そしてこの「コヴェント」では、アンドロイドが重要な役割を担っています。
映画は、アンドロイドが自分を造った科学者と対話するところから始まります。

御年80代のリドレー・スコットが、わかりやすくアンドロイドにはピチピチのスーツを着せているのがちょっと笑えます。
そこでアンドロイドは、「自分を造ったのは人間」「では人間を造ったのは誰?」的な、「創造主」にまつわる会話を、自分の創造主であり「人間」とも「神」ともいえる開発者とします。
アンドロイドは「創造主」という概念に執着しているのです。

そして彼は結局、自分も「創造主」になることを望み、ある「生物」を、遺伝子操作で創造していきます。



アンドロイドが最強の生物を創造した時、彼は同時に、「人類は絶滅するべきだ」という結論に達します。
そして、その生物「エイリアン」を使って、人類を滅ぼそうとするのです。
その数年後が、「ファースト・エイリアン」であるという時系列になります。

シガ二ー・ウィーバーが必死で戦ったエイリアンは、実はアンドロイドが創造した「人類駆逐計画の生物兵器」だったのです。

それが映画のオチなのですが、そんな「お話」はおいといて、私はふと、ある都市伝説を思い起こしました。
それは「ハリウッド映画は、大衆にこれから未来に起こる事実を、暗に知らせるための媒体である」という話です。
特にスティーブ・スピルバーグがその役目を背負っているというのが都市伝説のネタでしたが…。

しかしこんなにもあからさまに「アンドロイドが人類を滅ぼそうとする」映画を、大ヒット・シリーズで出してくることに、なんら意図がないとはないと思えないのです。
前回記事にした映画「マザー!」でも、今回の「エイリアン・コヴェント」でも、謳われていることは「人類への絶望」です。
「人類は存続するに値しない」という「誰かの主張」です。
その「誰か」は誰なのか…。
その「誰か」は、そんなことを主張し、それを実行に移す権利があるのか…?
自分自身は「人類の一人」ではない存在なのか…?

何はともあれ、この世界には「自分は人類以上である」という自負心をもった存在が、本当にいるのかもしれませんね…。
信じるか信じないかは…、ま、いっか。笑(^_^;)




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「マザー!」/ダーレン・アロノフスキー

2018年04月21日 | 映画・ドラマ


※記事には映画のあらすじやネタバレが含まれていますので、今から映画を観たい方はご注意ください。

世界で物議をかもし、日本でも劇場公開が中止になった作品です。
「なぜそんなことに?」と、私は全く予備知識なしでこの映画を観ました。
最初は「ストレスフルな作品」という印象でした。
お話は、芸術家の夫と二人だけで暮らしていた妻の家に、突然現れた他人がズカズカと入ってきて、しかもその人数がどんどん増え、しかもそれを「芸術のために」夫が容認し、妻がイライラするというもの。
見ているこっちも本当にイライラします。
しかし物語は、その家に入り込んできた他人が、兄弟の殺し合いや乱れたセックス、さらには戦争的な行為をするに至り、この作品が寓話ファンタジーであることが徐々に分かってきます。



さらには妻が出産した赤ん坊を、家に入り込んでいた狂信的な人間たちに「食べられて」しまい、妻はブチ切れ、家に火をつけ、自らも焼け死にます。

瀕死の妻は死ぬ前に、芸術家の夫に「あなたは誰なの?」と尋ねます。
すると夫は「私は「在る」者だ」と答えます。
そして「君は家だ」と。
夫の正体はヤハウェであり、妻は「地球」だったのです。

これは、旧約聖書と新約聖書をもじった寓話なのです。
妻が産んだ子どもはイエス・キリストでもあり、人間に無残に殺されながらも、「聖体拝領」の信仰に対象にされます。
それは妻からすれば、完全な狂気の沙汰でした。



ただそれは、これが初めてではないのです。
何度もそれを、繰り返しているのです。
全ては、ヤハウェの創作芸術を感性させるために。

妻(地球)が焼け死んだあと、ヤハウェはもう一度妻を蘇らせ、最初からやり直させます。
今度こそ、地球が焼け死なずに、人間と共存できる「創作芸術」を完成させるために…。



この映画は、けして面白い映画ではないけれど、いわゆる「文明は何度も滅び、そのたびに最初からやり直している」というトンデモ理論と符号した作品です。
とはいえ、どこか「頭で考えた」的な、頭でっかちな批判的映画という感覚も受けてしまいます。
それはきっと、妻の家に訪れる人間が、100%いいとこなしのイヤな人間ばかりだからなのでしょう。
気が滅入るお話であるけれど、それでもやっぱり地球(母なる大地)が焼け死んでしまうことのないように、そんな人類社会であって欲しいなあと思います。



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アリーマイラブ

2018年04月08日 | 映画・ドラマ


90年代後半に社会現象にもなったドラマ「アリーマイラブ」は、バブル期の豊かな社会で成功したアメリカの若者が、「運命のパートナー」を求めてさ迷う様が描かれています。



どんなにお金や充実した仕事があっても、結局は「家庭」が得られなければ、負け犬の孤独な人生になってしまうことを彼らは知っていて、それを何とか回避しようとあがきます。
このコメディードラマの根底に流れているのは「一生、独り者かもしれない恐怖」と「現在も独り者であることの孤独感」です。

そんなドラマの主人公、アリーと同年代の私もまた、30代前半の頃同じような恐怖や孤独を感じながら、ドラマの登場人物たちに共感していました。
(ただし彼らのように仕事で成功もしていなければ、友達も多くなく、結婚にいたらないとはいえ、おさかんな恋愛沙汰もなかったけれど…)
とにかく「果たしてアリーは運命の相手と出会い、幸せな家庭をゲットできるのか?」、やきもきしながら見ていたものです。

そんな時、911が起きました。
そして登場放映していたシーズン5でアリーの相手役を演じるはずだったジョン・ボン・ジョビが、「今は歌でアメリカ国民を励ましたい」とドラマのプロデューサーに訴え、ジョンのクランクインは大幅に遅れ、ストーリー展開がグダグダになってしまいました。
そして視聴者もまた、テロの社会不安のなか、自分の結婚や孤独ばかりに始終するドラマに感情移入が出来なくなっていきました。

さらに、アリー役とキャラクター的に同一視されていた主演のキャリスタ・フロックハートが、既婚者のハリソン・フォードと熱愛発覚。
結果的に略奪愛結婚をし、養子の男の子とともに「幸せな家庭」をゲット。
それが決定打になり、一世を風靡した婚活コメディードラマか完全に終わったと言えます。


先日、久しぶりにこのドラマを見返す機会がありました。
やっぱりすごく面白かった。
面白かったけれど、結局私は今もこのドラマを見ていた20年前と同じだなと思い、なんだか悲しくなりました。

あの頃、このドラマに共感していた女性の何割が家庭を持ち、何割くらいが独身のままなんだろう…?
アリーから抜け出して、キャリスタ・フロックハートになれた人、なれなかった人、ならなかった人、もちろんアリーにはあった仕事まで失ってしまった人も、特にバブル崩壊後のアメリカには多くいるでしょう。
(ドラマの中でたびたび出て来た不当解雇裁判も、今のアメリカでは就職する歳に「解雇されても訴訟しない」という契約書にサインしない限り雇ってももらえない状況のため、もはや有り得ない訴訟のようです)

とにかく私は、アリーのまま、歳だけ取ってしまった…。
アリーやキャリスタのように、養子を育てるバイタリティーもないまま、孤独に死んで行くんだなぁと思うと、改めて悲しくなります。

でも、何か、こんな自分にも何か生まれて生きて来た価値はあったのだと思いたい。
ただ「失敗した」だけの人生じゃないんだって…。

私がこの世に、生まれた価値ってあるんだろうか…。
先祖供養…?
それで、いいのだろうか…?



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「飢餓海峡」/内田吐夢

2018年04月02日 | 映画・ドラマ


学生時代、「飢餓海峡」という言葉のイメージから、この映画を「蟹工船」的な社会派映画だと思い込み、ずっと観るのを避けて来ました。
「きっとイヤな気持ちになるだけだろう」と…。

しかし先日一念発起して観てみたら、意外なことに切ない愛の物語でした。



犬飼は強盗殺人の片棒を担いでしまった男です。
そして殺害現場から逃亡する際、純朴な娼婦、八重と出会います。
彼は犯した罪の罪悪感や逮捕される恐怖を一夜忘れさせてくれた八重に、高額の金を渡して去って行きます。

それから10年、八重は犬飼にもらった金で娼館への借金を返すことが出来、自由になって、東京で働きながら暮らしていました。



そして辛いことがあると、犬飼の忘れ形見(二人で過ごしたあの晩、犬飼が切った足のツメ)を眺めては、「犬飼さん、本当に本当にありがとうね」と感謝するのです。

ところが神は、強盗殺人に関わった犯人を、そして強盗で奪った金をもらって「感謝している女」を、ただ許すことはありませんでした。

八重は偶然、大阪で名を上げた会社社長の写真を新聞で見て、すぐにそれが犬飼だと気が付きます。
そして「一言お礼を言うために」、今では違う名前を名乗っている男に会いに行くのです。

しかしそれは、過去を消して成り上がった男にとっては、恐怖を感じる出来事でした…。


原作者の水上勉は、なぜこの作品に「飢餓海峡」というタイトルを付けたのでしょう。
強盗殺人まで犯して金を欲しがる心…。
一夜の愛にいつまでも執着し続けるおんな…。
罪を逃れたいという欲…。
そしてまた、定年退職後も犯人を追い続ける刑事の執念…。

すべては、人間の心の「飢餓感」がひき起こした事件なのでしょうか…。

この作品の舞台となった戦後から、何十年も経った今も、世界は「飢餓感」に覆われているような気がします。


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「黒部の太陽」/熊井啓

2018年02月13日 | 映画・ドラマ


黒部ダムを建設するにあたり、資材運搬などのため、まずはトンネルを通さなければならない。
しかし黒部山にはフォッサマグナや破砕帯があり、トンネルを掘るのは不可能とも思える地域。
その困難な仕事に従事した人々の苦闘を描いた作品です。



トンネルを掘り、岩盤部にアーチ型の鉄枠を仕掛け、木の板を張って行く。
本棚に使うような木の板を張って行くだけ。
そこがおもみに耐えかね、ミシミシときしみ、そして時に崩落する。
凄まじい恐怖の中の作業。



崩落の事故、発破の事故、湧水の鉄砲水の事故、あらゆる苦難が工事労務者たちを襲います。
死亡者が出たあとには、辞める者が続出。
それでも残った者には、せめてもの給料アップ。

この映画を見ていて、「まるで今の私の職場のようだ…」と思ってしまいました。

この工事で有名になった「破砕帯」に突入してからの絶望感は、まさに絶望的な思いを抱いた去年の暮れのことが蘇ります。

だからこそでしょうか、この映画のラストに、私は言いようのない感動を覚えました。

双方向から掘っているトンネルは、とうとうそのあいだでぶつかります。
そして最後の発破がかけられます。 
爆発音と爆風が巻き起こり、やがてその煙の中から、ヘルメットを被った労務者たちが、「わあーーーっ!」と叫びながら駆け出してくるのです。
二方向からここまで掘り続けた労務者たちがみな、肩を抱いて歓喜の声をあげます。



そしてお祓いの義のあと、樽酒が運びこまれ、会社の上役や労務者がみな一緒に乾杯し、バンザイ三唱です。
誰が音頭を取るわけでもなく、自然に巻き起こる魂のバンザイ三唱です。



そこには、ただただ困難な仕事をやり遂げたという喜びだけが渦巻いていました。
人権や労働条件、いろいろな問題はあったでしょうが、そこにあるのは、ただただ純粋な達成感だったのではないかと思います。



地獄を見たものだけが味わえる本物の達成感。
私はつい、この映画をウォール街で上映したらどうなるだろうと思ってしまいました。

この世に生まれて、たった数十年間で終わってしまう人生。
苦難を乗りこえて、何かを作りあげる達成感のある人生と、データを右から左へ移して利ざやを得るだけだった人生…。



幸せとは、満足感とは、何なのでしょうか。



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「ミモザの島に消えた母」/フランソワ・ファヴラ

2018年02月09日 | 映画・ドラマ


幼い頃、海の事故で母を失った兄妹。
これまで長いこと、母の話はタブーでした。
父や父方の祖母は、「悲しい事故」としてとらえ、そのことにふれたがりませんでした。
それに母を失った父は再婚し、兄妹は義理の母に育ててもらったこともあり、亡き母にこだわり続けるのも遠慮があります。

しかし兄は自分の離婚、そして娘との関係に悩むにつれ、母が死んだという海の事故の詳細が気になり始めます。
母の死にもっとちゃんと向き合わなければ、自分の娘や新たな恋人との関係にも本気で向き合えないような気がするのです。
前に進めないような気がするのです。
そんな兄の苦悩に、妹は同情しつつも、「もう母のことは掘り下げないで欲しい」と思っています。



母の事後死を調べる兄に、父や祖母、妹が非協力的な態度を取ります。
しかしそれでも諦めない兄は、母が不倫していたのではないかと疑い始めます。
だから父や祖母は口が重いのでは…?

母は、ミモザ島へ続く海の道の半ばで、車で溺れ死にました。
その道は満潮時には海に沈んでしまう道です。



しかし地元民である母が、満潮の時刻にその道を渡ろうとするわけがありません。
何か秘密があるのです。
そして調べていく内に、兄はとうとう驚愕の事実を知ってしまいます。


女性作家ならでの女性的なミステリー小説を映画化した作品です。
三連休に、静かでまったりした映画を観たい方にオススメです。

(忙しい方のために、コメント欄にネタバレ書きます〜😄)



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「フレンチアルプスで起きたこと」/リューベン・オズトルンド

2018年01月03日 | 映画・ドラマ


ノルウェー人の監督の知人の身に起きた、実際の出来事が元になっているというシニカル・コメディーです。
でもこの映画で笑う日本人はほとんどいないような気がします。
なぜなら日本は「恥の文化」だからです。

スキーバカンスにやって来た家族。


テラス席で食事中、なんと雪崩に巻き込まれます。

するとその時、慌てた父親が家族を置き去りにし、スマホだけ持って逃げてしまったのです!

幸い、テラス席は雪けむりを浴びただけで、実際の被害はありませんでした。
客たちもみな戻って来て、食事を再開します。
当然父親も戻って来ました。
しかしみな無言で、気まずい雰囲気が漂います…。

監督の知人は、旅行中強盗に遭い、夫が妻を置き去りにして逃げてしまったそうです。
監督は何度もその夫婦のケンカを見ており、それによりいろいろ調べたところ、有事の際、男が女や子供を捨てて逃げることは非常に多いのだとか。

しかしもちろんこの夫は咄嗟に逃げてしまった自分を恥じます。
恥じるあまり、逃げたことを認めない始末です。
それにより妻の怒りは、「逢う人逢う人にこの話を吹聴し、相談にのってもらう」方向へ向かいます。
夫はいたたまれず、精神的にさらに追い詰められていきます。

ハリウッド映画だと、夫は自尊心と、家族からの信頼を回復するような試練を経て、ハッピーエンドを迎えるのでしょうが、ヨーロッパ映画は違います。
基本的には何も起きず、「やらかした自分を、ただ認めるだけ」「英雄ではない夫や父親を、ただ受け入れるだけ」です。

ラストで、「自分はキッチリ子供たちを守ったわ!」的な自負心を持って、責める一方だった妻が、ある意味やらかしてしまいます。
けれど夫は文句も言わず、ただ受け入れたのでした。

人間は、やらかしてしまうものなのだ、ということをふまえていた方が、人間とともに生きて行くことが出来るんだろうなぁと思います。


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「人生スイッチ」/ダミアン・ジフロン

2018年01月01日 | 映画・ドラマ


バブルのころ、邦画で「バカヤロー」とか「バカヤロー2」という映画がありました。
主人公が最後にキレるという趣旨のストーリー。
この「人生スイッチ」はスペイン版「バカヤロー2」的なブラック・コメディ短編集です。
かなりえげつないので、「不快」ととるか「スカッとする!」ととるかは、観る側のストレス蓄積度によるかもしれません。
比較的、女性が感情移入できるのは最終話の「ハッピーウェディング」というお話。

女にとって幸福の絶頂である結婚披露宴。


しかしそこで花嫁は、花婿が職場の浮気相手を式に招待していたことを、式のまっただ中で知ってしまいます。
しかも相手の女は花嫁が自分に気づいたことを知ると、逆にニヤニヤしている始末。
花嫁はショックのあまり気が動転、会場を飛び出して行きます。
そして屋上で号泣していると、屋上にいた従業員の男性に慰められ、なんとその男とまぐわい始めます。
そこへ花婿が駆け込んで来て、新妻の醜態に愕然!
しかし逆ギレした花嫁は、これからも浮気をしまくること、離婚しようとしたら夫の財産を全部ふんだくってやること、これから人生の全てをかけて夫に復讐することを宣言!

そして花嫁は会場に舞い戻ると、浮気相手の女性を無理やりダンスに誘い、勢いをつけてガラスの壁に放り投げ、病院送りに!
騒然とする招待客たち。
世間体の悪さに泣き崩れる夫と姑。



しかし花嫁の怒りはまだまだおさまらず、これでもかと式をムチャクチャに破壊していきます。
そんなヨメに、ついに姑もブチ切れ、彼女につかみかかって大乱闘!
なんとか取り押さえられた花嫁は、とうとうその場で泣き崩れます。

するとその姿に、花婿は胸を打たれます。
彼女がここまで怒り狂ったのは、それだけ彼を愛し、そして彼の浮気に傷ついたからだということが分かったからです。

花婿はフラフラと立ち上がると、新妻の元へ歩みより、手を差し伸べます。
そして妻も、泣き崩れた顔ながら、その手をとります。
ウェディング・ワルツを踊りだす二人。
結婚披露宴で本気の夫婦喧嘩をした二人は、本当の結婚生活へと入っていくのでした。




私はスカッ!としたなぁ!笑



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「沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇」/クロード・シャブロル

2017年12月19日 | 映画・ドラマ


今でいう、「イヤミス(観たあとイヤ~な気持ちになるミステリー)」を映画化した作品です。

ある裕福な家に、ソフィーという女性が住み込みのお手伝いさんとして入ります。
ソフィーは内気で無口でしたが、お手伝いさんとしては申し分なく、家人に暖かく迎え入れられていました。

しかしそんなソフィーは、誰にも言えない秘密がありました。
実は彼女は、読み書きができなかったのです。
それゆえ、奥様からメモを渡された時には四苦八苦。
そんな時に力になってくれた街の郵便局員、ジャンヌと親しくなっていきます。


しかしこのジャンヌは、悪い噂のある女で、雇い主の家人たちはソフィーがジャンヌと親しくすることを嫌がります。
それに対し、初めて反抗的な態度を見せるソフィー。
さらに家人の長女がソフィーの文盲に気づき、「字が読めるようになるよう、力になるわ」と告げます。



決して馬鹿にされたわけではない。
むしろ力になってくれると言った…。
けれどもソフィーがひた隠しにしてきたコンプレックスを、面と向かって暴露した長女に、ソフィーは静かな怒りをたぎらせます。

もともと素行が悪く、村八分的な状況にあったジャンヌは、二人でムカつく奴らを除去しようと持ちかけます。



何ら悪いことをしていない雇い主の一家は、こうして二人のサイコパスに皆殺しにされます。
自分の「恥部」を見抜いたイヤな人間をなきものにし、意気揚々と車を走らせる二人。
その時、サイドから飛び出してきた車が激突!
彼女たちもろとも大破する車…。
それはまるで、暴力で人の命を奪った女たちにくだされた、神の鉄槌のようでした…。


この映画は、「なんでそんなことで人を殺すの!?」と観客に思わせる映画ですが…。
実は私は、ソフィーの気持ちがわからなくもないのです…。
私にも、「自分の恥部を知った人、かっこ悪いところを見せてしまった人、私のコンプレックスを暴いた人」などを、「切る」クセがあります。
身体的な殺人はしないけれども、心の中で、または関係性の中で、殺すのです。
そして私を全く知らない人々とやり直そうとするのです。
悪しきリセット癖ともいえます。

映画は何でも、人間の心理を大げさに、劇的に描きます。
でもスケールを小さく考えてみれば、サイコパス的な主人公の醜い感情は、自分の中にあることにも気づくのでした。


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女同士の愛の逃避行 「キャロル」/トッド・ヘインズ

2017年12月18日 | 映画・ドラマ


アメリカで何十年もの間、「百合(レズビアン)小説」として隠れた人気を誇っていた作品が、満を持してハリウッドで映画され、世界各国の映画賞を総ナメにしました。

お話は、たとえ女同士であっても、一目あったその日から、恋の花咲くこともある…、そんな、ジェンダーを超えた純愛の物語です。

二人の出逢いはデパートのオモチャ売り場。

東欧からの移民の店員、テレーズと、娘のクリスマスプレゼントを買いにきた上流階級の奥さま、キャロル。
美しい貴婦人に見惚れるテレーズと、純情そうなテレーズに見惚れるキャロル。
まさに、お互いがお互いに一目惚れでした。
キャロルは意図的なのか無意識か、手袋を売り場に忘れて帰ってしまいます。
その「忘れ物」を届けた縁で、お互いの家を行き来するようになる二人。
その時キャロルは夫との離婚を間近に控え、幼い娘の養育権のことで争っていました。
夫はキャロルのレズビアン性向を、「養育権を持つに相応しくない」と主張していたのです。

最終的な合議もないままに、娘を連れ去ってしまう夫。
悲嘆にくれたキャロルは、テレーズとともに行くあもない旅に出ます。
この映画は、安モーテルを転々とするロードムービーでもあるのです。



そんな旅路にあっても、部屋は別々。
二人の間柄は、あくまでプラトニックな関係なのです。
それでもアメリカを半分も横断したある夜、価格の安いスイートに泊まった二人は、ついに身体ごと想いを伝えあいます。

しかしそんな二人の睦ごとが、夫の雇った探偵に盗聴されていたことが判明しました!
これを証拠に出されれば、キャロルは「変態」として一生娘から引きなはされてしまうかもしれません。
キャロルは娘のために、涙をのんでテレーズに別れを告げます。
そして夫の元へ戻り、レズビアン傾向の心理治療を承諾…。

唐突に捨てられ、逢えない苦しみに身をよじるテレーズ。
哀しみを抱えながらも、やがて自らの夢を叶えるべく新聞社で働き始めます。

一方、娘のためとは言え、テレーズを愛しているという本当の自分を抑圧し続けることに、耐えられなくなったキャロル。
とうとう感情を爆発させ、夫に妥協案を突きつけると、テレーズのもとへ走ります。
一度は捨てたテレーズに、「私、バイヤーの職を得たのよ、大きな家を買ったわ、だから、私と一緒に暮らしましょう。あなたを愛してる」と告げるために…。
果たしてテレーズは、うんと言ってくれるでしょうか…?

ラストはぜひ、ご自分の目でお確かめくたさい。😄


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