荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

鬼子母神参道の風景

2020年09月16日 | 散文

左の茶色い家が完成して景色が変わりました。

 

これからはこの景色です。

 

〈以前の景色〉

 

入り口に風車がありました。残暑厳しい東京です。34度近いです。

 

こんな説明板が有ります。興味を引いたのは、「巨木は残り4本」です。

 

木漏れ日の参道を行きます。

 

残り4本の巨木です。左に3本、右に1本です。

 

左の真ん中の1本は途中で切られていますが、この木がこの参道の雰囲気を作っています。

 

その木の前にも風車があります。

 

温度計は31度を超えていますが、それでもこの風が通る木陰の効果はあります。

 

木漏れ日の案内処です。いつも木漏れ日を楽しませてくれます。

 

木漏れ日の参道です。

 

振り返ります。

 

木漏れ日の参道入り口です。

 

静寂が包んでいます。

 

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今日の東尾久の雑貨屋

2020年09月15日 | 散文

比較的過ごしやすい東京です。このまま秋が深まるのでしょうか? やって来ました。いつもの店先です。

 

さて、今日のゴリ子です。「菅総裁誕生!」かと思っていたら、

 

「大坂なおみ」でした。日本一じゃない、世界一だもんね。政治的行為でもあるし・・・

店主の優先順位、好いです!

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プラネタリウムへ行ってみる。

2020年09月15日 | 散文

曳舟川公園脇のプラネタリウムは有名です。あまり無い施設ですし、下町に在ること自体が珍しいです。1度行ってみたいと思っていました。良い機会だし、残暑厳しい散策の休憩に最適と思います。向こうにドームが見えます。あそこへ行きます。親水公園を自転車を押して向かいます。

 

鷹狩の銅像です。説明板を読みます。「鷹狩と葛西  鷹狩は鷹匠によって飼い馴らされた鷹を放ち、鶴・白鳥・雁などの獲物をとらえる古くから伝わる狩猟法です。慶長八年(1603)江戸に幕府を開いた徳川家康は、鷹狩を非常に好んで、各池に御殿や御茶屋を設けました。三代将軍家光の代には制度も整い、五代将軍綱吉の時は生類哀れみの令影響などもあって一時中断しましたが、八代将軍吉宗は享保元年(1717)制度を復活させ幕末まで続きました。

当句一帯は墨田・江東・江戸川区とともに葛西筋といわれ、河川や沼池・湿地が各所にあり野鳥が多く飛来するので将軍家の狩場となりました。しかしひとたび鷹狩が行われると、村々にはさまざまな人足役や諸品の納入などが課せられ、田畑の作物や生活の面でもいろいろな規制を受けて、農民にとっては大きな負担となっていました。かるて、この付近には白鳥の飛来した沼があり、鷹狩の場所のひとつで、白鳥という町名はこのことにちなんでいます。周辺にはお花茶屋など鷹場に関する地名や将軍の休憩所となった寺も残っています。」 

 

公園の向かい側が目的地ですが、出口が在りません。出口を探して先を行くと、もう一組の銅像がありました。見ると、これも鷹狩の銅像です。白鳥を追い出しているのでしょうか? 先程のとセットなんですね。出会って良かったです。しっかり鷹狩とこの界隈の勉強もできました。

 

さて、出口を見つけてドームがある施設にやって来ました。

 

日時計があります。「天文の博物館」らしいです。

 

最近はプラネタリウムって言わないのでしょうか?

 

「入口」矢印へ向かいます。

 

あれ!? 閉鎖中です。

 

貼り紙には「完全予約制」と書いています。

突然思い出しました。新型コロナウイルス感染の第1派の時、東京地区ニュースで、ここを当分閉館して、落ち着いてからは予約制にすると言っていたのです・・・ また機会があったら来てみます。

 

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曳舟川親水公園を行く。

2020年09月15日 | 散文

曳舟川親水公園脇の歩道にレリーフがあります。

 

両側に車道が在って、中央が公園になっています。

 

南北に長い公園脇の街道の切れ目から行ってみます。

 

「曳舟十四之西門」の文字があります。南から14番目在る門の西口の意味だと思います。名称から想像できるように長い公園です。

 

これが曳舟川です。

 

清らかな水流が南下しています。

 

説明板が有りました。「葛西用水と曳舟 親水公園として生まれ変わった水路は、江戸時代には葛西用水と呼ばれ、利根川中流の川俣(埼玉県羽生市)を取水口とし、万治三年(1660)関東群代伊奈忠克によって開削された農業用水です。当初は幸手用水と称されましたが、享保四年(1719)上流に新たな元圦が設けられたことにより、羽生・幸手・新方・松伏・二郷半・八条・八古田・東葛西・葛西西領の十か領・十一万石余・二六七か村を潅漑する大用水となりました。 用水は西葛西領に入ると槐戸圦(常磐線ガード下)付近で東井圦と西井圦を分け、本流も東側に中井掘、西側に古上水堀の二筋となり、四ツ木村付近まで平行して流れていました。 

このうち古上水堀が廃止となり、その後、曳舟が始まったといわれています。曳舟の名は、亀有村の水戸街道際から篠原村までの間の二十八町(約3km)を、舟の舳先に付けた長い綱を肩に懸けて人が引いたことにちなんでいます。「新編武蔵風土記行」によれば、舟は亀有村に七艘、篠原村に二艘、四ツ木村に三艘あり、多くの文人墨客が来遊して葛西の風物を楽しみました。)」

 

今は親水公園になっていて、各所に休憩所を設けた公園です。

 

横切る道路の下を潜っては現れて流れています。

 

歩道のレリーフの戻ります。このように、人力で曳いていた観光舟だったようです。

 

レリ-フは他にもあって、曳舟川の風景を伝えています。これは桜の下の火消しです。花見の季節の祭り風景でしょうか?

 

柳の下の舟遊びです。夏の風景でしょうか? この舟の舳先を曳いていたのでしょうか?

 

有名な「堀切菖蒲園」が近くに在ります。この界隈も菖蒲の栽培が盛んだったようです。初夏の風景でしょうか?

 

次の休憩所です。涼しげに屋根から滝のように水が落ちています。水郷らしい風景です。

 

南下しています。次の休憩所です。ドームが在ります。東京では有名なプラネタリウムが在ります。

行ってみます。

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両さん像を捜して/2020年ー4

2020年09月14日 | 散文

さて、亀有駅の南側に戻ったもののサッパリ分かりません。自分の方向音痴に困り果てていたら、地元民らしい女性と信号待ちになりました。恥を忍んで、マスクをかけ直して聞きました。「少年両さん像は何処にありますか?」流石は地元民です。所在を知っていました。 これです! ちょっと分かりにくい場所です。それがうまい具合に子供達が隠れて覗いているように見えます。後ろから「こら!」って声を掛けたくなります。

 

子供達の楽しさが伝わって来ます。

 

悪ガキですね。「少年両さん像」です。

 

握手を求めている少年両津です。

 

私には友達を冷やかしているように見えます。

 

説明板です。勘吉は両さんだから知っているけど、後の二人は「豚平」と「珍吉」ですか? 変な名前。いっとう勘吉がまともです。

 

絵馬がありました。「両さんなんかにお願いしたって、無責任だもの叶いっこないよ!」って皆思っているのか少ないです。

 

さて、いよいよ佳境です。地図を確認してやって来ました。これって、先程女性に「少年両さん像」の所在を聞いた信号の傍です。酷い方向音痴だね・・・、我ながら呆れてしまいます。 

 

これです。

 

「本田像」です。彼は、普段は気弱なお人よしなんだけど、白バイに乗ったら狂暴になる二重人格の交通警察官でしたっけ? これで完了です! ・・・たぶん。

猛残暑の中をこんな風に苦労して楽しんだ探索でした。また数年後にやりたいです。

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両さん像を捜して/2020年ー3

2020年09月14日 | 散文

やって来ました「ラ・ローズ・ジャポネ」です。が、今日は休みのようです。2018年3月に、740年の歴史を誇る亀有香取神社の境内に造った洋菓子店「パティスリーラ・ローズ・ジャポネ」がリニューアルしました。休日に当たってしまって残念です。別に食べたかった訳ではありません。リニューアル後の店舗を見たかっただけです。

 

境内には賑やかな道祖神が在りました。

 

「キャプテン翼」は葛飾区が生んだ、「こち亀」と並ぶアニメの英雄です。そして香取神社は勝負事の神様です。多くのアスリートがお参りします。絵馬の裏側へ行きます。

 

本当はこちら側が表参道の入り口側になるので、両さんが表です。

 

「少年よあの星を目指せ!両さん像」です。

 

説明板です。

 

さて、順番が逆ですが、一旦表参道の鳥居前に行きます。石柱の「村社」が歴史を語ります。怖い亀が居ます。

 

こちらにも亀が居ます。「狛犬」ならぬ「狛亀」です。

 

観光案内が有ります。

 

神社の境内に有るのは珍しいです。

 

お参りします。この猛残暑です。誰も居ません。

 

「御由緒 鎌倉時代建治二年八月十九日」(1276)、当日亀有の地は下総国葛西御尉亀無郷と呼ばれ、香取神社の社領でありました。 そのことから本宮の御分霊(経津主大神)をお迎えし郷の鎮守様としてお祀りし、多くの人々が移り住み始めました。 その後、鹿島・息柄の両大神を合わせおまつりし、東国三社明神のお社として村人・近隣の人々を守り続け、約730年の時を経て現在に至ります。 また亀有の地は、古くは「亀無」「亀梨」と呼ばれていました。元々この辺りの土地は沼地が多く、亀の背のような島状の土地でありました。そのことから「亀のような形をなす土地」として地理的状況から「かめなし」という土地名が生まれたと考えられています。当時葛西御尉(神領の一種)の範囲と所領高を明記した応永五年(1398)の「下総国葛西御尉注文」や、北條氏や家臣に諸役を賦課するために各人の役高を記した永禄二年(1559)の「小田原衆所領役帳」にはいずれも「亀無」「亀梨」の記載がみられます。 

「亀無」から「亀有」となった由来は諸説様々で定かではありませんが、「なし」の意味を嫌ったものと思われます。正保元年(1644)江戸幕府による「正保改訂図」から「亀有」としたようです。  

前回報告時に登録読者さんから教わった「亀有」の由来が確認できました。その節はありがとうございました。少し知識の集積ができています。

 

「ラ・ローズ・ジャポネ」同様、社務所にも日本建築にこだわらない神主の心持ちが現れているようです。

 

こうして「少年よあの星を目指せ!両さん像」を確認(来社目的を忘れそうでした)した次第です。

亀有の町中に戻ります。

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両さん像を捜して/2020年ー2

2020年09月13日 | 散文

亀有駅の北側に居ます。「亀有公園」にやって来ました。最寄の交番は前出の「亀有駅北口交番」です。「亀有公園前派出所」は在りません。木漏れ日の下に「ダブルピース両さん像」です。

 

もう一つ猛残暑の陽射しに熱っせられて、「ひとやすみ両さん」です。暑いので人が居ません。両さん一人のベンチです。

 

サボっている両さんです。両さんはいつもサンダルです。サンダルでも走るとメチャ速いのです。

 

さて、北側最後の両さん像です。ここは前回散々捜したので場所を覚えていました。すぐに見つけました。

 

「敬礼両さん像」です。背後は工事フェンスです。

 

こんなマンションが建ちます。いつものように、工事中の現場に出会っても、以前何が在ったのか思い出せません。

 

さて、亀有駅の南側に戻りました。地図を見ながら捜していますが、地図が大雑把だしこちとら方向音痴だしで、行き当たりません。その代わりこの像に2個遭遇しました。・・・1個かも知れません。同じ像に2度行き当たったのかも知れません。で、前回も思ったのですが、、これはなに?

 

角度を変えて見ます。後ろに愛車を停めて。???なに。亀がひっくり返ったオブジェ? それは縁起悪いし・・・ 結局、前回同様疑問は解消しませんでした。

 

諦めて次を捜します。あ!歩道にありました。

 

「サンバ両さん像」です。またやって来ました・・・。こうなったらじっくり見ます。

 

今日のような暑さには似合います。こんな風に無駄を重ねながらの検索です。

 

さて次です。今度は順調に見つけました。道路の向こう側のポストの傍です。

 

これです!

 

「ワハハ両さん像」です。いつもこんな風に笑っていたいなあ。

次の目標は、場所が分かっていたばっかりに近道を行こうとして、結局大回りを余儀なくされました。こんな無駄足ばっかりです。

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両さん像を捜して/2020年ー1

2020年09月13日 | 散文

何度目かの企画です。随分久しぶりに思いつきました。「両さん像」を捜してみようと。先ずはここからです。「お祭り両さん像」です。捜しやすいからですが、こんな説明がありました。偶然ですが、スタートに選んで正解です(後で分かったことですが、同じ説明が他にも数箇所ありました)。

「両津勘吉 祭り姿像  1967年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載して以来、亀有のみならず全国の人々に愛され続けている「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。30年もの長きにわたり多くの笑いと感動が生み出されています。物語の舞台であるここ亀有には、主人公の両津勘吉巡査長が毎日勤務している派出所があり今も変わらぬ古き町並みに人情溢れる人々が暮らしています。誰よりもお祭り好きな「両さん」が亀有を訪れる人々にとってより身近に感じられるようにとの願いを込めて建立されました。」 

 

次は同じく亀有駅ロータリーに在る「両さん相合いベンチ」(勝手に名前を付けました)です。この猛残暑の昼間です。ベンチに座る人は居ません。

 

「中川像」です。確かセレブの御曹子でしたね。

 

「サンバ両さん像」です。結果的に、この像には後述の理由で何度も遭遇しました。

 

その下にこんな地図があります。これを元に捜した訳ですが、よく覚えておいて下さい。方向音痴なので捜したルートが目茶苦茶で、非常に効率が悪い探索になりました。

 

思い出して再び駅前に戻って撮影しました。カラー像はこれだけです。「ようこそこち亀の街へ! 両津・中川・麗子がお出迎え!像」だって。ここから始めるべきでしたかね・・・

 

亀有駅の改札前を横断して駅の北側へ行きます(あ~、南側が終わってないのにどうして北側へ行くかなあ!? と今では思います)。

 

北側の駅前です。「両津勘吉像」との表示です。つまり、これがオリジナルとして、第1号に訪問しなければならなかったかな?

 

「亀有駅北口交番」です。

 

交番の傍にある「麗子像」です。確か、フランス人とのハーフだったと思います。モデルが間違えて婦人警官になったようなキャラクターです。

こうして始まった、「両さんを捜す散策」です。

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葛飾区医師会附属看護専門学校

2020年09月12日 | 散文

荒川の東側です。猛残暑の空の下に大きな看護専門学校が在ります。

 

看護専門学校には不釣り合いな広い校庭です。

 

こちらの門柱は校名がペイントスプレーで消されています。

 

校舎を巡ります。殺風景な入り口です。スルーします。

 

次の角を曲がりました。こちらが正門の雰囲気です。

 

在りました。正門です。

 

その、校名がある筈の塀です。

 

正門前は下町の住宅街です。

こんなに家が在っても、子供が居ません。東京でも小学校の統廃合が進んでいます。

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今日も営業中です。

2020年09月12日 | 散文

久しぶりに行き当たりました。暖簾がなければ民家と間違えます。

 

メニューが出ています。消費税が10%になって値上げしましたね。あれ以来の遭遇です。消費税なんてコロナ禍で忘れていました。

 

斜め前のお寺の、斜め45度も変わりないです。

 

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曳舟川親水公園に行き当たった。

2020年09月12日 | 散文

左右に道路がある細長い公園に行き当たりました。

 

「曳舟橋」の石柱があります。

 

案内板がありました。「曳舟川は、物資や人を運ぶのに重要な川でした。葛飾区では曳舟川の全長約3kmを整備し、区民の皆さんが水と親しめる公園造りを進めています。」 とあります。行ってみます。

 

暫く行くと「曳舟三号橋」がありました。橋は横断歩道としか見えません。

 

更に行くと、平仮名の石柱がありました。

 

裏を見ると、「曳舟四号橋」です。南から橋の番号が始まっているようです。引き続き残暑の木漏れ日の遊歩道を行きます。

 

川の中央に遊歩道がある場所に出ました。川らしくなってきました。変化に富んだ親水公園です。

 

その向こうには石の橋があって、暗きょから出た川が真っすぐに流れています。東京じゃないような眺めです。

 

清流です。残暑に嬉しい景色です。

 

家族連れが水遊びをしています。9月をとうに過ぎているのに、今日も異常な暑さです。

 

気持ち良くはしゃいでいます。羨ましいけど行きます。

 

「曳舟七号橋」です。幾つあるのだろう?

 

歩道に移動します。レリーフがありました。これがこの川名の由来「曳舟」です。

 

やがて川は暗きょになって、自転車置場に替わりました。

 

お花茶屋駅前に来ました。

 

踏み切りがあります。

 

あれが駅です。

 

曳舟川親水公園はまだ続きます。

このままずっと、亀有まで続いているようです。このまま行きます。

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晩夏と初秋の水辺を行く。

2020年09月11日 | 散文

いつもの水辺の遊歩道ですが、草が繁って走りづらいです。

 

木陰が気持ちいいです。

 

水辺を走ります。

 

この季節のこの遊歩道は初めてです。

 

いつもとは違う景色です。

 

暑いと言ってもやっぱり晩夏です。葉が黄色味を帯びています。

 

この辺りは初秋の景色です。

 

木漏れ日の下を行きます。

 

自転車は走りづらい遊歩道です。

 

ああ、晩夏の景色です。

 

日陰は初秋の景色です。

 

暑いのだけど、秋の陽射しに感じます。

 

いつも足を留める桜です。

 

振り返ります。昨夜の風で随分葉を散らしました。

 

振り返る水辺が季節の変わり目です。

 

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晩夏の水元公園の水辺

2020年09月11日 | 散文

こんな季節に来たことが無い事を知りました。この水辺の蓮が繁った姿を見たのは初めてです。

 

この景色も初めてです。

 

ここまで来るのは遠くて、途中日陰も無いし、暑い時期に来た事が無かったのに気付きました。

 

もう9月をとうに過ぎたのに、こんなにべったりした暑苦しい色です。

 

蓮の花が咲いていました。一息つきます。

 

花も風で揺れます。

 

蓮池を移動します。

 

ここは冬場にタナゴを釣る水路です。夏のタナゴ釣り人は別のポイントに居ます。

 

ほら! こんなに緑がべったりと暑苦しいです。

 

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晩夏の水元公園中央広場

2020年09月10日 | 散文

昨夜の風が落としたにしては枯れている落ち葉です。暑くても廻っています。季節の律儀さを感じます。

 

広場に出ました。ザワザワと揺らして風が渡ります。

 

残暑の太陽が木陰を落とします。木陰が恋しい暑さです。

 

丘を風が渡ります。

 

木々が揺れます。

 

草原がそよぎます。

 

晩夏の広場を風が渡ります。

 

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晩夏の水元公園/メタセコイアの森

2020年09月10日 | 散文

風が熱く強いです。

 

いつもの小路に落ちている陰が、真夏の濃さです。

 

追い風を受けて進みます。

 

いつもここで振り返ります。

 

さあ、メタセコイアの森へ行きます。ザワザワと枝が騒ぎます。

 

木漏れ日の森です。

 

中に入ると、いつものように静かな森です。

 

今日は人が居ない公園で、珍しい先客です。一人です。

 

いつものように見上げます。木々が揺れます。

 

木漏れ日を楽しみます。

 

 

あの太陽が落とす影です。

 

木漏れ日が溢れます。

 

静寂の森です。

 

自転車で走る路です。

 

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