荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

旧宣教師館の寝室2から、

2018年08月10日 | 散文
前回の続きです。

隣にも寝室がありますが、今までの部屋と雰囲気が違います。
突然和服の日本人の写真が現れました。
誰?!


「雑司が谷の梟・秋田雨雀」とあります。
誰々??


ボードの前には児童文学誌「赤い鳥」が置かれています。


ボードの裏に回ると、雑司が谷で生まれた文学や秋田雨雀らの年表を初め説明板がありました。


モニターを観て勉強します。








廊下を巡りながら階段を下ります。
「秋田雨雀(本名徳三)は、明治16年(1883)に青森県南津軽郡黒石町(現在の黒石市)で生まれました。同35年に東京専門学校(現在の早稲田大学)入学のために上京します。そして、昭和19年(1944)に戦争の激化から故郷黒石へ疎開するまでの約40年間を雑司が谷で過ごしました。


秋田雨雀は文学者、思想家、芸術家そして教育者など、沢山の『顔』があります。特に文学者としては、詩や小説、戯曲、児童文学などのジャンルの作品を多く残しました。『秋田雨雀日記』からは、島村抱月や松井須磨子、小川未明など当時の文化人との深い親交がうかがえます。


また、盲目の詩人エロシェンコとの出会いからエスペラント(世界平和を目指して創始された国際語)を学び、社会主義へ関心を持ちます。そして、雑司が谷地域で展開された自由主義教育やプロレタリア文化運動にも積極的に貢献しました。


雨雀は、子供たちに、自分で考えて判断することの大切さを伝え続けました。のちに、地元大門会の会長に推されるなど、雑司が谷の人々からも深く尊敬される存在でした。」


最初に入った、居間と食堂に戻りました。


1F廊下から庭を観ます。






外へ出ます。
この間見学者はずっと私一人でした。

この話、続きます。
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