アイウォナイット

http://p.booklog.jp/users/nanasound

おすすめ記事

2009-12-15 02:25:52 | Weblog


毎日新聞 2009年12月9日 東京朝刊
余録:

「いたるところで、半身または全身はだかの子供の群れが、
つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわす。

それにほとんどの女は、
すくなくともひとりの子供を胸に、
そして往々にしてもうひとりの子供を背中につれている。

まさしくここは子供の楽園だ」

▲幕末に英国の初代駐日公使を務めた
オールコックは日本事情を記した
「大君の都」(岩波文庫)にそう書いている。

いや、幼い子供を抱いていたのは母親ばかりではなかった。

彼は江戸の街頭や店内で子守をする父親たちの姿に驚いている

▲「はだかのキューピッドが頑丈そうな父親の腕に抱かれている。
これはごくありふれた光景である。
父親は見るからになれた手つきでやさしく
器用にあやしながら、あちこちを歩き回る」。

日本人の子供好きは来日外国人に目をみはらせた

▲そんなご先祖をもつ日本人がどうなったのだろう。

内閣府の調査によると
「結婚しても子供を持つ必要はない」と思う人が43%近くを占め、
とくに20代と30代で6割前後に達した。

いつの間にか外国人も驚く子供嫌いに
変貌(へんぼう)したのだろうか

▲だが同じ調査では、
家庭生活を大事にしたいと思いながらも
現実には仕事を優先せざるを得ない勤労者の実情がうかがえる。

「子供は必要ない」の回答の中には、
出産や育児がしにくい状況下の不本意な
選択を示す場合が少なくなさそうだ

▲こと子供好きでは、
世界に名をはせたご先祖に決して
負けないという若い世代も多いはずである。

にもかかわらず先行き不安や
育児環境の不備が子育てを
ためらわせているのならあまりに悲しい。

かつての「子供の楽園」のメンツがかかった少子化対策である。


12月8日

余録:J・スチュアート主演の「スミス都へ行く」は…

J・スチュアート主演の
「スミス都へ行く」は政治腐敗と戦う
地方出身の議員を描いた39年の米映画だ。

作家の野口冨士男は真珠湾攻撃が伝えられた
41年12月8日の午後に
東京・新宿の映画館でそれを見たと記している

▲映画は野口を含め10人を少し超える観客を相手に、
ほそぼそと上映された。

「そのあいだにも右隣のカフェからは
まことに傍若無人な感じで、
日本の緒戦を告げるラジオ放送と
軍艦マーチが間断なく鳴りひびいて来て、
ともすればスクリーンの声を掻(か)き消してしまうのであった」

▲C・グラント主演「明日への戦ひ」、
W・ホールデン主演「アリゾナ」、
R・ミランド主演「空の要塞(ようさい)」……

当時ユナイトに勤めていた淀川長治によれば
開戦前夜、米映画は8作品が上映され、
興行的にも不安なく客の入りはよかったという

▲野口は開戦により米映画が見られなくなると思って
新宿に駆けつけたところ、
最後の上映に間に合ったようなのだ。

「観(み)おわって外に出ると、
灯火管制の新宿の繁華街は真暗で人影も乏しく、
夜の冷気が肌を裂いた」。

世界は変わっていた

▲米国民主主義の理想を説く
スミスの演説に感動した観客も、
戦禍の門をくぐった68年前の今日である。

米映画のファンの中には
開戦を決めた軍人よりもはるかに
日米の実力差を肌で感じる人もいたろう。

1対10といわれる当時の国力だった

▲満州事変から日中戦争を経てこの日にいたる
日本の指導者の世界認識の狂いは
なぜ日増しに大きくなったのか。

この問いはもちろん新聞にはねかえってくる。
では今、私たちは世界の現実を正しく伝えているのか--
新聞にたずさわる者の12月8日の自問である。

12月2日

余録:動物行動学者のローレンツがシクリッドという魚の…

動物行動学者のローレンツが
シクリッドという魚の攻撃性について書いている。

多くのシクリッドを一つの水槽で飼っていると、
やがて1組のつがいが協力して
テリトリーを広げ、他を圧迫しはじめる。

つがい以外はついに水槽の隅に
かたまって暮らすようになる

▲そこで飼育者はつがいだけを残し
他を別の水槽に移してやった。

だがしばらくすると、
つがいのメスはオスの攻撃を受け死んでしまった。

ローレンツは他の魚に向けていた攻撃衝動の
はけ口を失ったオスが、
それをメスに向けたのだという

▲まさか人間の場合にもそんな
見境ない攻撃衝動があてはまるとは思えない。

ただ最近の中学生や小学生にあっては、
教師を相手とする見境ない暴力、
それもふだんはおとなしい子供たちが
ささいなことで暴力をふるうケースが目立つという

▲文部科学省がまとめた
全国の小中高校の昨年度の調査によると、
児童・生徒の暴力行為が前年度を
1割以上上回る6万件近くに達していることが分かった。

とくに小学校と中学校の
06年度以降の急増が目立ち、
対教師暴力の増加率も大きい

▲かつての番長グループによる校内暴力のような
大規模な混乱は影を潜めたという昨今である。

だがちょっと注意をされただけで
突然キレて教師につっかかる
衝動的な暴力は予測が難しく指導もしにくい。

日常の中に小さな地雷がいくつも
埋め込まれているような状況だというのだ

▲「感情制御ができない」
「コミュニケーション能力の低下」など
子供への分析はその通りだろうが、

この間の暴力急増には独自の理由もあろう。
学校にうっ積する攻撃衝動は
大人社会という水槽のどんな異変を示すのか。


11月30日

余録:「何か不思議なことを見つけてきなさい」…

「何か不思議なことを見つけてきなさい」。
先ごろ亡くなった動物行動学者の日高敏隆さんは
野外調査に向かう大学院生を
こんな言葉で送り出したそうだ。

「動物は自ら学ぶようプログラムされている」が持論で、
学生の自主性を尊重した自由人らしいエピソードだ

▲その日高さんが昆虫学を志したきっかけは
軍国的な教師によるいじめ。

体が弱く、戦前の小学校で
「お前なんかお国の役に立てない。死んでしまえ」と
怒鳴られた。

仮病を使って学校をさぼり原っぱで遊んでいると、
1匹のイモムシがいた

▲「お前はどこに行くつもりなんだ」と話しかけると、
しばらくして葉っぱを食べ出した。

「そうか、それがほしかったのか」。
虫の気持ちが分かった気がし、
無性にうれしかった。

このときの喜びが、研究生活の原動力になったという

▲東京農工大学の助教授時代、
「先生の研究は農民の役に立たない」と
左翼学生に批判された。

「それならば」とモンシロチョウの研究を始めた。

「こいつらキャベツの害虫だろ。
ならば農民の役に立つ」という理屈だが、

手がけたのは「オスはいかにメスを探すか」の実験だった。

すぐには役立ちそうもない

▲役に立つより不思議を追求し続けた生涯だったが、
若い研究者には「専門用語でばかり語るな。
異分野の人にもオモロイと思わせなきゃだめ」と諭していた

▲「費用対効果は?」
「削られれば国際競争から脱落する」。

科学研究費を巡る攻防は
政治判断に委ねられたが、
気がかりなのは交わされた言葉の殺伐さ。

「研究費の申請で、
『オモロイ』と審査員をうならせれば勝ち」と
話していた日高さんなら、どう切り返しただろうか。