Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

はじまり

2015-09-18 | Weblog
9月18日、金曜日。
午後12時03分。
曇りのお昼時。


雨は、いつやんだのだろう?
昨晩は、雨と雷。
雷鳴はじょじょに大きくなっていき
我が家は今まで
何故か、落雷がここ数年で3度もあるの家なので


雷様に嫌われているのか
又は、逆に気に入られているのか(これはきっとないな)
さっぱり分からないのだけど
そんなことがあるから


雷鳴が大きくなったところで
テレビのコンセントを抜いておきました。
(母の指示により…)


寝起きには
コンセントを抜いたことを忘れていて
テレビがつかない!…と
寝起きの寝ぼけ頭の僕は慌てたりもしたけど
無事、落雷はなく済みました。ほっ。



雨、雷、津波
そして、安保法案。
演説、もみあいの中の可決。
雨の中のデモの風景。
頭の中はそんなイメージ、風景が混ぜ混ぜに漂っていた
1日の始まりでした。


昨日(17日、木曜日は)休日だったのだけど
用事の合間、やっと手が空いたので
中継を拝見しました。


演説、もみあいの中、いつの間にかの可決。
強行って
ああいうのなのだね。(/_;),
胸がつぶれるかと思いました。
つぶれるわきゃないのだけど。


可決した時には
『あぁ、この瞬間を僕は、忘れることはないだろうな』
と、感じました。


柔軟に生きるとは、どんな生き方なのだろう?


柳の枝はやわらかく
滅多に折れることはなく
風に、そよそよと揺れる。


やわらかな、ふわふわしたものは
もふもふしたものは
人を幸せな気持ちにさせる。


小さな頃
母親の腕の中、又は、父親の膝の上で
安心していた時のような
花畑の日曜日のような。



目には目を、歯には歯を。
刃には刃を…だったか?


武士の『武』という字は
『戈を止める』
と、書く。
『刃』も同じようなものかな?


武士は現代はいない時代だけど
戈を止めることが
出来るか?


無力なのかも知れないけど
無知なのかも知れないけど
とにかく、残念です。


聞く耳を持つ気は
はなっからない
…なんて、そうなふうに見えました。


『絶望は愚か者の結論である』


我が家の
子供の頃から入り浸っていた
大好きな
祖父母の部屋の柱に掛かっている
日めくりカレンダーに書いてある言葉です。


日によって言葉はちがうのだけど
月にいっぺん見ることが出来る言葉です。
この言葉、好きなのです。


絶望とは…
希望が全くなくなること、
希望をいっさいなくすこと
だって。


ということは
絶望の反対語は

『希望』



希望を、持ち続けることは
難しいことだろうか
容易いことだろうか、
そんなの
いちいち
意識するものではないのだろうか。


難しいと思ったら、難しい。
容易いと思ったら、容易い。
気持ち次第だね?


怒らないこと。
怒りのエネルギーを
もっと、有効なものや、ことに向かわせて
少しでも
希望に変換すること。


『絶望は愚か者の結論である』
この好きな言葉に
この言葉を生んでくれた人に
応えること。
墓石の文字から離れない心に
手を差し伸べること。


この世界は
まだまだ、まだまだ、まだまだ
なのです。


僕ら私達の
みんなの
大事な、大切な


大和、うるわし
『ふるさと』
なのですから。












『ストリート』

愛という言葉は
あまり、使いたくないのは
それだけ
大切なものだから



会議場に
あるのかな

霞ヶ関のストリートでは
沢山の人が叫んでいる

雨の中でも
真っ赤に燃えて
未来へと
飛ぼうとしている

それだけ大切だから

誰を?
何を?
愛を







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