S・スピルバーグ『宇宙戦争』

今やスピルバーグの諸作品は、映画界最大の謎だな。ここ最近の彼の作品をいくつか見ていく内に自分の中である種の違和感が増大する一方だったのだけど、先頃この『宇宙戦争』の公開に合わせて出版された『スピルバーグ―宇宙と戦争の間』を書店で立ち読みしてみた限りでは、やっぱり批評家の目からもスピルバーグ映画は「変」であることは確かなよう。そして遅ればせながらに見た『宇宙戦争』もまた予想以上に「変」な映画でありました。

まあ、変だ変だ、とばかり言ってこの映画をその一言で片付けるのもなんなので、まずは良かった所から。落雷によって開いた地面の穴から宇宙人が出現して、ヤジ馬たちが一挙にパニックに陥いっていくシーケンスは『ジョーズ』以来のスピルバーグの才能が存分に発揮されていて全くもって素晴しい。およそありえない状況に対する一般人の反応を、ここまでの説得力を持って提示できるのは、恐慌状態に移行するまでに存するスピルバーグ独特のタメが実にうまく機能しているおかげであり、パニック映画を撮りたいと思っている他の監督は是非とも参考にしてもらいたいと思う次第。

さて、本題のこの映画の「変」ぶりについて。この物語の設定「ダメオヤジの所に別れた妻から子供を預けられたその日に宇宙人が襲来する」というのを聞けば、もう考えられる主題は「いかにこのダメオヤジが子供を守るために父性に目覚め自ら戦うに至るか」の一点に絞られるわけだし、現に来日した監督本人やトム・クルーズなりダコタ・ファニングなりがインタビューでそのことを饒舌に語るわけだけど、実際のところ、この映画、それがことごとく失敗してるように見えてしょうがない。

いや単に失敗しているというだけなら、「ダメ映画」の一言で一蹴すればいいのだけど、ポイントは「ことごとく」失敗しているっていうことなんだよね。だって、こんなありふれたテーマ、普通に撮れば普通にそこそこ成功するわけでしょ。たとえばマイケル・ベイなんかであれば、自分の意図を表現するのに時には成功し時には失敗して、それゆえに彼は凡庸な監督であるわけだけど、スピルバーグのこの徹底した失敗ぶりは、何か別の意志があるように思えてならない。つまり、この映画での「父性の機能不全」は、宇宙人襲来とテロとの類似を何度か匂わしているところを鑑みるに、911に対する「アメリカの勇気」を暗に揶揄してるんじゃないかなぁ、と。それならそれで、アンチテーゼとして成功しているんだ、と主張したいところなのに、それほどの強い監督の意志がどうにも感じられず、やっぱり「失敗してるよなぁ~」というぐじゅぐじゅとした締まりのない感想にとらわれちゃうわけで。

とりわけ、このテーマに沿った上でのクライマックスと言っていいあのシーン、父親が娘に目隠しをし子守り歌を歌わせておきながら、xxxxxをxxxxxしてしまうシーン(一応ネタバレ回避)、それは父親が家族を守るために苦渋の決断をする場面であるはずなのに、そこにたちこめる空気は、実に不道徳というかエロスを感じさせるもので、そこで流れる子守り歌は、あたかも『必殺』中村主水の殺しのテーマのよう。これ絶対演出間違ってるようなぁと思いつつも、なんかときめいてしまっている自分がいるわけで、もういったいなんなのかと。

そんなわけで、この映画の父親のぐじゅぐじゅぶりと、ついでに宇宙人のぐじゅぐじゅぶりと同じように、この映画自体ぐじゅぐじゅと締まりなく、いやもしかしたら、アメリカの父性神話に対するアンチテーゼは、この徹底したぐじゅぐじゅぶりによってこそ成されるべきとスピルバーグは考えているのではないかと深読みしながらも、それでも単にぐじゅぐじゅと失敗しちゃっただけなのかなぁ、と感想自体もぐじゅぐじゅとしてしまうわけで。こんな思いにさせてくれるのは、やっぱりスピルバーグ映画なわけで。ぐじゅぐじゅ。

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