宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

自然の3大定理

2008-02-02 22:18:18 | 
命が掛かっていることが分かると、人は皆、一斉に慌てふためき腰が引けるのです。
これが一発のミサイルだったらどうなるのでしょう・・・・
どうなるのでしょうね・・・・?
それも命中精度がとても悪く、何処へ飛んでくるのか分からないようなものだったら尚更どうなるのでしょうか・・・?

ちょっと先(一寸ほど・・・)の事が読めない幸せ無鉄砲なボンクラちゃんなら、怖さも感じないのでしょうが・・・・少し先を読めるお利巧な人は、きっとパニックになることでしょう・・・・?

私たちの社会は危険が一杯なのです。
そのような危険を回避しつつ、私たちは生き延びていかねばなりません。
だから、あらかじめ「危険領域」というものを目ざとく感じて、その領域に入らないように知恵を働かすかないのです。
喧嘩腰で他国と相対したりすれば、所謂それが一触即発と言われる危険領域に入り込んでしまう訳です。
武器を同等に持ち合って、構えあって、戦争ではない状態(けっして平和状態とは言えぬ)だが、「危険領域」に常に身を置いているのは確か・・・
戦争ではない状態とは・・・?

経済制裁はイコール兵糧攻めと言う「準戦争行為」でありながらも、武器を使用しない故に戦争状態とは言えぬ、しかし、威嚇、脅迫、脅威、圧力があって、平和とも言えぬ。

後方支援も給油支援も武器食料装備支援も、戦争中の片方だけに肩入れすれば、それも「準戦争行為」当然に敵方に力がありさえすれば、一方の相手方を孤立、或いは、撤退させるために支援勢力を先ず叩くであろう・・・・

従ってこの両方の状態「危険領域」を「平和」状態と定義してはならない。
戦争ではない状態は、必ずしも平和とは言えないのだ。

①ありとあらゆる部分に於いて、「バランス(中庸)」を崩している状態、それは「危険領域」に入り込んでいる状態なのだ。

②生命の源である細胞と同様に、ありとあらゆるものの「新陳代謝」を失っている状態、これも「危険領域」なのだ。

③森羅万象、ありとあらゆるものは亀の甲羅よろしく、互いに繋がり合い、影響し合い「持ちつ持たれつ」にて成り立つもので、それは、地球号という360度大パノラマ世界の中で構成される「和一定」が、その起源である。
従って、ひとつの甲羅の僅かの傷から、その構成はバラバラにされ「危険領域」に至る。

これらの要素は私が「自然の3大定理」と位置づけしたもので、ありとあらゆるものに共通して、包含されるものである。

この他にあるかも知れないが、私に今、分かっているのは、これら3点が最も重要な要素たりうるものである、と言うことなのだ。

これらは、国単位、世界単位を超越して逆らうことのできない、厳しい自然のシステムなのであり、あらゆる全ての法体系、社会思想、社会システムもこの自然の持つ定理をないがしろにしては、あり得ないことなのだ。

これを無視して事を行おうとすれば、自然からの鉄槌は受け入れるしかない。