ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

古道連協、来月本番のリレーウォークの下見歩き&忘年会

2015-12-26 23:26:57 | 日記

 今日はいい天気で青空が広がって気持がいい日である。

 冬休みに入ってから10日近く経った。

 従ってこの12月は色んな会のイベントなどがあったりする時節で、ついでに忘年会が行なわれることも多いが、今までは他の予定とオーバーラップして出席できないものもあった中で今日は古道連協のリレーウォークの下見歩きと、その後に連協のメンバーが集まってささやかに忘年会をする予定になっている。

 今日の下見歩きは1月半ばに行なわれるリレーウォークだが、本番当日はリレーウォークで案内する地域の内容に沿った講演を1時間して貰うことになっているが、その講師も今日の下見歩きに参加するということである。

 下見歩きをする前の午後1時に北隣区にある学習センターに集合することになっている。

 午前中は自宅でいつもの様にしていたが古道連協のメンバーの名刺をいずれ私が作成することになっていたが、当分使うこともないだろうとゆっくり構えていたが講師の先生とガイドポイントの説明文と先生の講演内容の摺合せをリレーウォークの下見歩きの前に行なうということになったので名刺交換の場面が考えられたので急遽名刺を作ることにした。

 名刺の台紙は普通紙よりも厚いのでプリンターも慣れない仕事をさせられるということもあってか順調に動いてくれず印刷箇所がズレたりしてボツになったものもあったが何とかクリア出来た。

 印刷に手間取ったので自宅を出る時刻が遅くなり正午を過ぎてしまった。

 仕方がないので近くにある牛めし屋さんに寄って牛めし並を食し、直ぐに銀行のキャッシュコーナーで金を下ろしてコンビニ支払の伝票で支払いを済ます。

 その足で地下鉄駅に行き学習センター最寄りの駅まで乗り、集合場所へ急ぐ。到着したのは15分前であったが事務局長が棚のチラシなどを見て回っているところに出くわし合流する。

 受付ロビー前に女性メンバーが3人も揃っていたので事務局長が空いている席に座ったので早速プリントして来た名刺を台紙ごと取り出し、該当者に手渡す。

 時刻が近づいたので受付の中に入り応接室のソファーに座ったが講師の先生は時刻になっても見えないので事務局長が携帯から電話を入れると、集合時刻を1時30分と間違得ていたとかで今向かっている最中だということであった。

 しばらく待って講師の先生もやって来たが、それまでにメンバーだけでリレーウォークのポイント説明文におかしなところがないかどうかを順番に吟味して文言の修正や加除をしていく。

 途中から講師の先生も加わり校正を続け最後のガイドポイントを終えたら3時30分近くになっていた。

 これ以上遅れたら忘年会に予約している店に行くのが遅れるということでアタフタと外に出てリレーウォークのコースに乗って歩く。

 コースは文学散歩に因んだもので距離はそんなにないが、今日は下見なので本番のように説明の時間はなく、我々スタッフだけのウォークだから時間も早く経過したが、本番であってもそんなに時間を取ることはないのではないかと思えるのでポイントによってはもう少し説明時間を取って説明した方がいいのではと思う。

 そんなことで比較的早く終わったが、忘年会の会場となる店には出かける時間が遅くなったので予定より30分遅らせてくださいと連絡を入れたということだから参加しない女性1人と講師の先生はそこからバス停に向かうというkとになったが、他の我々は歩いて会場の店まで行くことにして夕闇が広がる前に到着出来その店の近くで待ち合わせていたTさんも合流して店に入る。

 案内された場所は独立した一角で我々だけが入る人数にピッタリの場所で雰囲気もいい。

 そこでもしばし歓談と言うことになったが、そのうち料理が運ばれて来て乾杯ビールを注ぎ、私がご指名の音頭を取って乾杯コールをする。

 今まで古道連協では人数も少なかったということもあり忘年会はしていなかったし、会の余裕もなかったと言うことになるが、今年はメンバーも3人増えて少し賑やかになって来たので今後はこういった機会も作って行きたいものである。

 その部屋の後続の予約はなかったなかったことから店の人も長くいてもいいということだったので1時間程延長してから解散となる。

 自宅へは真っ直ぐに帰りコーヒーで一服してくつろぎ、今日一日を終える。


区民センターダンス再開の知らせ

2015-12-25 23:29:12 | 日記

 年の瀬も迫ってきた今日この頃であるが、この冬休みの間に高大の書類を整理したいということもあって色々なことをしておきたい衝動に駆られるが、思うように中々進まないものである。

 冬休みに入った時こそ、休み明け迄に色々やりたいことはあるが、その順位付けを自分なりにしているが、先ずは高大関係、次に自分の趣味ではあるが身体づくりにも深く関係する社交ダンス、当区ガイドの会、古道連協、市SA、福祉IT部会といったところだろうか。

 カラオケは番外ではあるが、一つ一つこなしていく途中に上手く挟んでリラックスさせるために活用していきたいと思っているところである。

 そういった意味では先ずは高大が冬休みに入っている今の状態の中で、ぜひともやらなければならないことを中心にして、それに関わる事を次に行なうということになるが、それらは直接関係するものではなくとも、円滑に進めるために必要となるものである。

 それらは普段の勉強の中で知識を得ることによって円滑に進めることが出来る様になるものが含まれる。

 そんな中ではあるが、いつものメールとカレンダーをチェックして今日の予定を予めチェックしてから今日一日が始まるが特に外出する予定はない。冬休み間は普段より外出する機会は少なくなるし、メールも余り入らないが、今日たまたま以前通っていた区民センターダンスの再開を知らせる手紙が送られてきた。当初、差出先の団体名称が当区の「体育厚生協会」というものであったから何の団体か分からないのでしばらく放っておいた。

 今日になって休憩中に開いてみたら区民センターの内装工事が終了して先述したように使えるようになったので社交ダンスを再開することになったとの知らせであった。

 開始日が来年1月半ばからでぜひ参加して下さいという内容で申込書も同封され、ダンス初日に受付にて申込書と共に費用を頂きますという内容であった。

 今年の7月から工事に入って半年後の1月に再開するということである。

 この知らせを貰って思い出したのは今年の春のレッスンに一緒に申し込んで参加していたMさんだったが、途中で膝が痛いと言って休んで来なくなったが、それ以来、来なくなった状態のまま自然と離れてしまい今に至っている。

 そこでこの知らせ方々、Mさんのその後の状況を知りたいと思いメールすることにした。

 彼女は北隣区で同じダンスクラブで一緒だった人物であるが、そのクラブが解散になってからもたまにカラオケなど一緒に行ったりしていた。

 私が行きだした区民センターダンスの様子を聞いて参加するようになったが前述したように膝を痛めてから来なくなったのである。

 彼女の携帯電話へのメールに私の近況なども知らせ、もしよかったらダンスが再開されるので良ければどうですかと入れた訳だが返事が直ぐに入った。

 やはり思わしくなくダンスは諦めたということであったが、カラオケならお付き合いさせて貰うということで昨日のクリスマスイブにも行きつけのカラオケ喫茶で知人たちと一緒に貸切で楽しんだということであった。

 彼女の娘夫婦や息子夫婦も正月休みの間来たり往ったりするので忙しいがそれが過ぎたらまた誘ってくださいと言う旨の返信メールが入る。

 私も最近はカラオケには殆んど行ってないのでまた機会を見て行くことにしたいと思っている。

 午後3時頃から北方面のスーパーへ買い物に行くことにして20分程かけて歩いて行く。

 魚コーナーでシャケのアラとハマチ1本を購入し、他に鍋用の野菜なども買い自宅へと戻って来て早速夕食の準備である。


Sの店と西隣区木曜ダンス教室H27年12月④

2015-12-24 23:47:55 | 日記

 今日は朝からいい天気になった。木曜日はSの店へたまにカラオケを歌いに行っているが、2週間ぶりに今日行く予定にしている。

 この店に行きだしてから4、5年ぐらいになると思うが、当区の東隣区にある店で市内でも知られた商店街にある店である。

 4、5年程前に同じ東隣区にある、その店とは違うカラオケ喫茶店に行ってる時に、その商店街迄はそんなに遠くではなかったので、回り道をしてその商店街を南端から北端へずっと歩いていて、たまたま見付けた店であった。

 以前からカラオケ一曲当り50円になる店しか行くつもりはなかったけれど、その店の前に7の付く日に1000円で22枚のカラオケチケットになる記述があったのである。

 その日はたまたま7が付く日と違う日だったので後日、7が付く日に入ってチケットを購入してからその店に行くようになったということである。

 一旦カラオケチケットを購入すると何曜日に入ってもいい訳だが、聞けば曜日によって違う女性が担当すると言うことであった。

 自宅から近くでもないしそんなにしょっちゅうその店には来れないから最初はどんな女性たちが担当しているのか曜日を替えて店に入った結果木曜担当の女性が一番カラオケが上手いという客の評判だったので木曜日に行くようになったのである。

 担当する女性は全部で昼間は4人が、担当している。月木・水金・火土・日をそれぞれ担当しているのと、夜の部は一人の女性が担当しているということである。

 この店は元日以外は年中無休でそれぞれの曜日担当者でフルに店をやっている珍しい店でしかも入店する人数は市内でもトップクラスであると思われるほど盛況である。

 この店に行く時はいつも午後1時過ぎから午後5時ぐらいまでの間に行くことが多い。

 そして最近はその商店街の南端に近いところにある寿司店に昼定食の「握り10カン」(消費税込540円)を食べてから、そのSの店に行くことが多いが、今日は自宅で済ませてから行くことにしたが、昼過ぎまで野暮用があったので地下鉄を乗り継いで行くことにした。

 午後1時30分ぐらいに店に到着した時は既に客がカウンターに4人とステージに近い壁の両側の長椅子に10人程が座っていたが、私と同時に男性が入り同じカウンターの隣に座った。

 その男性は最近この区に越してきたということだったが、カラオケが好きなようで市内のあちこちのカラオケ喫茶に入って来たがこの店が気に入ったということだった。

 どこかの店に入った時、そこの店のママがこの店を紹介してくれてやって来たということである。

 私と歳は余り変わらないかと思ったが7歳下であったが、高知市出身で定年退職まで彼の地にいたということで今回初めて生まれた土地を離れて当市にやって来たということである。

 いわゆるド演歌をこよなく愛して歌ってるということで私とはジャンルが違うが結構上手である。2曲ほど歌ってから紹介してくれたママの店に行かなければならないとかで店を出て行った。

 その後、私は2曲歌ったら5時近くになったので店を出たが、12月からドリンク代が600円になったということである。

 最近は他の店に殆んど行ってないのでこの業界の相場がそうなったのか確認していないが多分ほとんどの店は500円だろうと思うから遠くの店にわざわざ来て100円アップされるのであれば、この店ともそろそろお別れかなと思い始めたところである。

 店を出て商店街を南下して買物を良くする系列のスーパーがこの商店街の南口近くにあるのでその店に寄って今夜の鍋に使う食材を少し買って帰ることにし、その足で自宅まで戻って来た。

 歩いて30分程かかる道のりであるが、自宅に戻ってコーヒーブレークをしてバスの時刻までくつろぐことにした。

 いつもよりひとバス早い時刻に間に合うように自宅を出てバス停まで行ったが、10分程遅れてバスがやって来た。この年末時のバスはどうしても乗客の利用が多いようで遅れがちであるとか。

 到着してすぐに準備を行ないしばらくの間スローとサンバのレッスンでシャドウを行なう。

 今日は先生が来ない日なので普段やって来る足並みが遅く中々メンバーがやって来ない。

 定刻になってやって来たのは10人程であるが、定刻を過ぎてから数人増えて何とかサマになったが、今年最後の自主レッスンと言うことで今日は月曜日にもやっているジャイブをすることになった。

 木曜の中級クラスの女性でもジャイブは1度だけしたが殆んど忘れたという人や今までやったことがないという人が多く、最近はダンスパーティでも曲が流れたりしているからこの機会にやろうということになった。

 後半は先週先生も来ていたがその時だけかと思っていたが今日もクイックをすることになり、クイックオープンリバースを中心に行なった。


今日は水曜日だけど、冬休みなので、ゆっくり…

2015-12-23 23:42:31 | 日記

 今日は天気予報通り雨になった。

 天気はマアマアだが風が強くて気温が低い状態が続いていただけにこの久し振りの雨は冷たくうっとうしささえ感じるほどである。

 今日は水曜なので先週までなら高大に行く為に朝早く起床し、朝食を作って食べた後、8時過ぎには自宅を出ることになるのだが、今週からは冬休みと言うことでしばらくは通うこともない分、リラックスは出来るが、色々他のことをする必要もあるのでそんなにゆっくりも出来ないが、当分はゆっくり出来るのは間違いない。

 冬休み中であっても1月にはCD会議が行われることになるので来年度、当WebコースのサブCDになってくれるTさんが加わることになり新旧のCDが参加することになり、合同会議後には懇親会を行なう予定になっているので参加を呼び掛けることになる筈である。

 今日はいつもと同じように自宅でメールやカレンダーのチェックなどをした後、特記するもないから今までの生活をしていく中で男一人が生きてきたことをお話ししようかと思う。

 私の生まれは日本海側の町であるが、日本海側の都道府県のキャピタルシティを除けば人口もそこそこある町である。

 戦中生まれで70歳を凌駕しているが、私たちの子供の頃は何でこんなに貧乏なんだろうと思ったものである。

 その当時は戦争に敗けてどん底生活をしているなんて何にも知らなかったからであるが、それでも元気一杯近所の子供たちと走り回って遊んだものである。

 男の子たちはチャンバラごっこやパッチン(メンコのこと)が盛んであちらこちらで色んなやり方で取り合いっこをしていたものである。

 後で分かったことだが殆んどの子供は栄養状態が悪いので鼻汁を垂れていて、時折服の袖にこすり上げながら遊んでいたものだから袖がテカテカと光っているほどである。

 勿論、衣服はツギハギだらけでそういった洗濯物は母親たちが堅い固形石鹸でタライに洗濯板を載せてゴシゴシと洗っていたから指は荒れていた。

 今から思えば当時小学生だった私達の母親は30代ぐらいだから今の同年代の女性の華やかさとは比ぶべくもない質素なものであった。

 その年代は大正生まれになるが、一番苦労をした年代の人達であると思われる。

 勿論戦争当初は20代から戦争の終り頃には40代ぐらいの男たちは徴兵されて軍隊に行くか、そうでなければ技術者や軍需作業の従事者が殆んどであった訳だが、父は軍属で南方の方へ派遣されたがたまたま熱帯の病気に罹り病院船で帰国したということであったが、派遣されて乗って行った船は途中で潜水艦の魚雷で撃沈されたということで沢山の同僚の人達が亡くなったそうである。

 病気にならずそのままその船に乗っていれば死んでいたかも知れないから、どこで何が起きるか分からないということである。

 また終戦になる昭和20年の春の夜、その町に空襲があり、近くの工場が爆撃されたそうで空襲警報が出たので、生まれて間もない弟を母が背負い、まだ小さな私が寝入っているのを叩き起こして手を引き防空壕へ逃げる途中、爆弾の破裂で破壊されて飛んできた破片が目の前に落ちたそうでもう少し先に行っていたらと思うとゾッとしたということであったが、私は当時のことを何も覚えていない。

 今日はこの辺りで締めさせてもらうがこの続きは又折りを見て記述したいと思う。

 


西隣区S小学校火曜ダンス教室H27年12月④

2015-12-22 23:11:00 | 日記

 今日も曇った空模様だが時間の経過と共に晴間も見えて来たし雨にはならないようなので洗濯をすることにした。

 このところずっと気温は低く曇っていたが今日逃せば明日は雨だというから今日のうちに仕上げておきたいということで作業に入る。

 と言うことで例によって、部屋と洗濯機の間をスイッチを入れたり、水道の蛇口をひねるために、その都度動き回ることになることは言うまでもない。

 その間はPCの前に座っていることになるが、今日もいつもの様にメールとカレンダーのチェックから始まるが、先日送った古道連協と西北隣区の会とのコラボのリレーウォークのポイント説明の原稿を送ったまとめ役の女性から受け取ったとのメールが入っている。

 洗濯を終えて干す作業に入ったが空を見上げると気持ちよく晴れて青空が広がっているが、風はあまりないようなので乾くのは少しかかるかなとも思ったがそのうち乾くだろう。

 雨だけ降らなけりゃそれで良しとしなければとの思いである。

 今日は夕方のダンスのレッスン以外は特に外出する予定はないが、夕方までに食材、特に魚などを買っておこうということで午後3時頃に自宅を出て一路北方面のスーパーへと歩いて行く。

 3時頃とはいうものの日なたに行くと暖かく感じるが、日陰に入るとヒンヤリした空気を感じるほどで、最近はずっとこんな感じである。

 20分余り歩いて店に着き先ずは魚コーナーに行ったが特にこれと言うものはない中でタラのアラがあったので寒い時期だから鍋にでもしようかということで買うことにした。あとは発泡酒や在庫が余りないものを中心に買って買物袋を両手に提げて戻って来た。

 バスの時刻まではまだ少し時間もあったのでコーヒーを飲みながらゲームに興じることとなる。

 6時少し前にダンスレッスンに行く準備をしてバス停へと歩いて行ったが、今日はバス待ちの人が数人になった。

 定刻より7,8分ほど遅れてバスがやって来て乗り込んで運転手の真後ろの一段高い席が空いていたのでそこに座る。

 この席と通路を挟んだ左側の高い席もそうだが、1人用の席なので相席にはならないからここが空いていれば直ぐに座ることにしている。

 あとは目をつぶっていてもアナウンスさえ聴いてればいいので今日も同じようにして座っていたが、降りるバス停のアナウンスが入って降車を示すボタンを押そうと思ったら誰かが一瞬早く押した。

 そのまま目をつぶって座っていたら赤信号で停車したが、その間に誰かが歩いて前の方に来る音がしたがいきなり肩を叩かれたので「エッ」と思って振り向くと高大の女性CDのSさんである。

 彼女は夏から私が紹介して同じダンスレッスン教室に来るようになった訳だが、バスの後ろの方に座っていたのである。

 バスを降りてSさんと一緒にS小学校へと向かう。