今日は今までの雨模様とか曇りではなく、いい天気になって来たが天候としては不安定でいつまた変わるかも知れないということのようだ。
午前中はいつものようにメールとカレンダーをチェックして自宅最寄り駅から午後12時45分に集合する駅へ行くには汝の電車に乗ればいいかをチェックすると12時前後の電車に乗る必要があるので早い目の昼食を摂る必要があるので11時ぐらいから昼食づくりに臨むことにした。
とはいっても食材をほとんど消費してしまったのでカレーのパックが安かった時に購入していたのを温めて、カレーうどんにして食べることにした。
予定の電車に乗ったが、その電車の終点駅で降りた後、あとからやって来た電車に乗り換えたが、その電車にほかのメンバーが乗っていたようで私が改札を出たところで待っている後、2人がやって来たがもう一人の参加予定の女性はその後の1時前に到着する電車でやって来た。
ということだが、もともと出発時刻は1時なので早速出発することになった。
最初は駅から西の方へひたすら歩いていくが次第に高度が高くなり山側に歩いていくことになる。
江戸時代に入ってから渡辺党の子孫と思われる1万石少しの小大名が陣屋を張っていた地域で今現在は高級住宅地という趣である。
陣屋などの当時を思わせる建物など、目立った建造物はないが、武家屋敷跡などを示す石碑や、元重臣の苗字を継ぐ大きな屋敷もある。
この地には古道も4つ確認されているようで陣屋を構えていることもあっていくつかに分かれて通行していたようである。
ここまで上がって来る時は気温も厚くメンバーも顎を出している。
屋敷跡をぐるりと回った後、一番山側の古道に戻り、一路南を目指して歩くことになったがその道をずっと歩いて行くと4つの古道の間隔も次第に狭まって来ることになるが、私達が歩いて来た道にやがて鳥居が右に見えた。
そのその反対側にある公園のような場所に入ると昔の国名の府庁跡と刻した大きな碑がある。
今回歩いているのは市外古道リレーウォーク③の下見だが先月に行なったリレーウォーク②の終わり頃に奮府神社というのがあったが、その当時は監という地方を治める役所があってその地方の役人が治める中心部となったが、その30年後ぐらいに新たな国(旧の国名)になったので国司が統率する府となり今の場所に府庁が移ったということである。
まあ、それとても明治になって今はその面影も何もない公園のような場所になっている。そこを出て鳥居のあった方向へ入って行くと府庁があった直ぐ前にある神社だが国名の由来ともなったキレイな水が滾々と湧き出る池がご神体になる。
池がどうなっているのか中に入って見ることは出来ないが塀を透かしてみると草ぼうぼうで奥の方に泉がある池があるということだが、手前のほうにキレイな水が湧き出る泉だったことを示す石碑だけが建てられている。
しかし、そこまで実際に兵まで行って透かし見る人もなく寂れた状態である。
きょうの行程の1/3程度しかまだ来ていないが暑いために遅々として歩が進まないが、しかし歩くしかないのでひたすら歩くことになる。
やがて、私達が歩いて来た道とメイン道路が交差したところの地蔵堂の前に王子社跡の碑が建っているが、さきほど行った神社の境内にあった祠がそれであろうと推定されるが、それを示す資料も、伝承もない。
その先に川があり橋を渡って直ぐ右に折れる道が古道だということで橋を渡ったすぐ横に道標がある。
その道を歩いて行くと道が急に細くなって来たがそのまま歩いて行くと吊り橋にやって来たが、山の中にあるような苔むしたようなものではなく小さいながら近代的な吊り橋で片側だけで吊っているものである。
その吊り橋を渡ったところに古道を示す名がある橋名が付いているがその先は緑道になって今は散歩道で水が流れる道はコンクリートでそれなりに造られているが水も涸れていてその風情はない。
そこで小休止をすることになるが、本番は今月末なので今日より暑い日になるかも知れないから大変である。
その先も公園やグラウンドがあり、古墳を思わせる土盛り状のものがあるが、その縁をを回る感じの道があるがその先は牛乳工場の敷地となっていて私達は迂回して広い公道に出る必要があるが、その牛乳工場の中に古道が走っているということである。
公道に出て工場に沿って歩いて行くとやがて工場の正門があるが、2年近く前にルートを確認する時にも同じように歩いて来てこの工場の入り口にある事務所にかけ合って事務所裏にある従業員用の飲料自動販売機を利用させて貰ったので今回もお願いしたら快くどうぞと言われたので皆それぞれが好きな飲料を飲む。
もちろん牛乳工場だからその会社が製造しているものばかりだが、一般の自動販売機より安く、品数も多いのでどれにしようかなと迷ったが私はグレープジュースにした。
それぞれ飲んでひと息ついて再出発となったがあとは次の王子社に行くだけになり、ゴールとなる駅の裏手にある王子社跡を目指して歩くことになる。
ひたすら歩いてやって来ると場所に誘導する新しい小さな道標が道路の角に建てられているが現地の教育委員会が立てたものだということである。
3つ目の道標は民家の奥に入る感じの細い道のところにあるが、その細い道がぐるりと回ると一件のお宅の庭に差し掛かる。丁度その時に土手の草刈りをしている年輩の男性とぶつかったがS氏が声を掛けた。
後で聞くとそのお宅の主人で以前石碑を捜して辿り着いた時にこのご主人に許可を貰ったということで、今日もだが、本番の時にはもっと大勢の人で見に来させて貰うがよろしくお願いしますと言うと快く承知していただいたのでヤレヤレである。
後はゴールとなる線路の反対側にある駅に向かうが来た道を戻らずもう少し先に踏切があるのでそこを渡って駅で解散となった。
その時点で、時刻は5時前で時刻表を見ると数分後に出電車がやって来るということで急いで反対側のホームに移動し電車に乗ったが、その駅は快速ではないので私以外のメンバーは快速が泊まる駅で降り私はそのまま自宅最寄りの駅まで乗ることになったが、結果一緒に会則に乗って途中で普通に乗り換えた方が早くなったようだ。
午前中はいつものようにメールとカレンダーをチェックして自宅最寄り駅から午後12時45分に集合する駅へ行くには汝の電車に乗ればいいかをチェックすると12時前後の電車に乗る必要があるので早い目の昼食を摂る必要があるので11時ぐらいから昼食づくりに臨むことにした。
とはいっても食材をほとんど消費してしまったのでカレーのパックが安かった時に購入していたのを温めて、カレーうどんにして食べることにした。
予定の電車に乗ったが、その電車の終点駅で降りた後、あとからやって来た電車に乗り換えたが、その電車にほかのメンバーが乗っていたようで私が改札を出たところで待っている後、2人がやって来たがもう一人の参加予定の女性はその後の1時前に到着する電車でやって来た。
ということだが、もともと出発時刻は1時なので早速出発することになった。
最初は駅から西の方へひたすら歩いていくが次第に高度が高くなり山側に歩いていくことになる。
江戸時代に入ってから渡辺党の子孫と思われる1万石少しの小大名が陣屋を張っていた地域で今現在は高級住宅地という趣である。
陣屋などの当時を思わせる建物など、目立った建造物はないが、武家屋敷跡などを示す石碑や、元重臣の苗字を継ぐ大きな屋敷もある。
この地には古道も4つ確認されているようで陣屋を構えていることもあっていくつかに分かれて通行していたようである。
ここまで上がって来る時は気温も厚くメンバーも顎を出している。
屋敷跡をぐるりと回った後、一番山側の古道に戻り、一路南を目指して歩くことになったがその道をずっと歩いて行くと4つの古道の間隔も次第に狭まって来ることになるが、私達が歩いて来た道にやがて鳥居が右に見えた。
そのその反対側にある公園のような場所に入ると昔の国名の府庁跡と刻した大きな碑がある。
今回歩いているのは市外古道リレーウォーク③の下見だが先月に行なったリレーウォーク②の終わり頃に奮府神社というのがあったが、その当時は監という地方を治める役所があってその地方の役人が治める中心部となったが、その30年後ぐらいに新たな国(旧の国名)になったので国司が統率する府となり今の場所に府庁が移ったということである。
まあ、それとても明治になって今はその面影も何もない公園のような場所になっている。そこを出て鳥居のあった方向へ入って行くと府庁があった直ぐ前にある神社だが国名の由来ともなったキレイな水が滾々と湧き出る池がご神体になる。
池がどうなっているのか中に入って見ることは出来ないが塀を透かしてみると草ぼうぼうで奥の方に泉がある池があるということだが、手前のほうにキレイな水が湧き出る泉だったことを示す石碑だけが建てられている。
しかし、そこまで実際に兵まで行って透かし見る人もなく寂れた状態である。
きょうの行程の1/3程度しかまだ来ていないが暑いために遅々として歩が進まないが、しかし歩くしかないのでひたすら歩くことになる。
やがて、私達が歩いて来た道とメイン道路が交差したところの地蔵堂の前に王子社跡の碑が建っているが、さきほど行った神社の境内にあった祠がそれであろうと推定されるが、それを示す資料も、伝承もない。
その先に川があり橋を渡って直ぐ右に折れる道が古道だということで橋を渡ったすぐ横に道標がある。
その道を歩いて行くと道が急に細くなって来たがそのまま歩いて行くと吊り橋にやって来たが、山の中にあるような苔むしたようなものではなく小さいながら近代的な吊り橋で片側だけで吊っているものである。
その吊り橋を渡ったところに古道を示す名がある橋名が付いているがその先は緑道になって今は散歩道で水が流れる道はコンクリートでそれなりに造られているが水も涸れていてその風情はない。
そこで小休止をすることになるが、本番は今月末なので今日より暑い日になるかも知れないから大変である。
その先も公園やグラウンドがあり、古墳を思わせる土盛り状のものがあるが、その縁をを回る感じの道があるがその先は牛乳工場の敷地となっていて私達は迂回して広い公道に出る必要があるが、その牛乳工場の中に古道が走っているということである。
公道に出て工場に沿って歩いて行くとやがて工場の正門があるが、2年近く前にルートを確認する時にも同じように歩いて来てこの工場の入り口にある事務所にかけ合って事務所裏にある従業員用の飲料自動販売機を利用させて貰ったので今回もお願いしたら快くどうぞと言われたので皆それぞれが好きな飲料を飲む。
もちろん牛乳工場だからその会社が製造しているものばかりだが、一般の自動販売機より安く、品数も多いのでどれにしようかなと迷ったが私はグレープジュースにした。
それぞれ飲んでひと息ついて再出発となったがあとは次の王子社に行くだけになり、ゴールとなる駅の裏手にある王子社跡を目指して歩くことになる。
ひたすら歩いてやって来ると場所に誘導する新しい小さな道標が道路の角に建てられているが現地の教育委員会が立てたものだということである。
3つ目の道標は民家の奥に入る感じの細い道のところにあるが、その細い道がぐるりと回ると一件のお宅の庭に差し掛かる。丁度その時に土手の草刈りをしている年輩の男性とぶつかったがS氏が声を掛けた。
後で聞くとそのお宅の主人で以前石碑を捜して辿り着いた時にこのご主人に許可を貰ったということで、今日もだが、本番の時にはもっと大勢の人で見に来させて貰うがよろしくお願いしますと言うと快く承知していただいたのでヤレヤレである。
後はゴールとなる線路の反対側にある駅に向かうが来た道を戻らずもう少し先に踏切があるのでそこを渡って駅で解散となった。
その時点で、時刻は5時前で時刻表を見ると数分後に出電車がやって来るということで急いで反対側のホームに移動し電車に乗ったが、その駅は快速ではないので私以外のメンバーは快速が泊まる駅で降り私はそのまま自宅最寄りの駅まで乗ることになったが、結果一緒に会則に乗って途中で普通に乗り換えた方が早くなったようだ。
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