ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

当区ガイドの会、古道と旧村グループ検証歩き

2017-03-26 22:46:31 | 日記

 今日も朝方はいい天気で始まったが天気予報によると晴れのち曇り、雨になるということの様である。

 今日は当区ガイドの会の中で私が所属しているグループが取り組んでいる古道と旧の村々を結んでいた道を資料に基づいて歩くことになっている。

 集合は私がいつも買物によく行く北方面のスーパーにほど近いところにある銀行で交差点の反対側(南西角)にあるが、その銀行の前に9時30分に集合することになっている。

 しょっちゅう、歩いているコースなので歩いてどのくらいの時間がかかるかよく分かっている。

 朝8時に目覚し時計に起こされて直ぐに布団を上げ、着替えを済ませて台所に立つ。

 手早く朝食の準備をして、食べ終えてからコーヒーで一段落してから手持ちの金が少なくなっているので、先ずは銀行へ行って金を引き出すことにした。

 その足で古道に沿って歩いて行き、目指す銀行に近づいて行ったら3人のメンバーが集まっているのが遠目で分かる。

 私が到着したのは集合予定時刻の10分前だったが、そのうち他のメンバーもやって来た。

 今日の参加予定者が全員揃ったところでグループリーダーのO氏が資料を取り出して全員に配るのに合わせて私も図書館で捜してきた昭和4年国土地理院作成の当地区の地図と昭和30年代頃の地図をA3サイズにコピーした訳だが、同じ位置でピタッと合っているのを取り出し全員に配布する。

 それと私が住んでいる地区の旧村から北に延びている道は将に私が北方面のスーパーに行く時に利用する道である。

 それとは別途の明治19年に陸軍が作成した地図も江戸時代当時の道に近い道路がそのまま載ってているので、それも合わせて参考にしながら昔の村々を結んでいた道を探ろうということである。

 9時30分にスタートして私がやって来た逆方向に歩いて行く。

 途中で御馬路といわれる道との接点を求めて検証して行くが、多分この道が御馬路ではないかと思われるところに差し掛かった。

 馬を曳いて歩いて東の神社から西にある有名な神社まで歩く神事が毎年の11月頃に行なわれるが、今は神社の神馬を模した曳車を曳いて歩くものに替わっている。

 その道との分岐点も確認するが、区画整理された今となっては元の道に最も近い角々した道を歩くことになるが元々の道は殆んど失われている。

 さらに南下すると私が住んでいる旧村の集落に入って来るが、神社や寺を旧村内に配して周囲には濠が巡らされていたが、残っている村の地図を見る限りは濠があったのは北側と西側だけど、それらが今は道路になっている。

 その旧村内を通り抜けて今は広くなった東西のメイン道路に出るが、昔も東西を一直線上の細い道が通っていたが、その当時は畦道より少し広い細い道だったことが地図で読み取れる。

 その旧村から南東に斜めに走っている道が東方面に行く道だが、南西から北東に走っている当時のメイン道路と交叉してこの旧村の近くで当時のメイン道路出会ったことが分かる。

 その分岐点にあったと思われる石の道標がマンションの角に置かれているが、元々あった場所からは少しズレているようだ。そこから今は真っ直ぐに伸びた道が付いているがその道を辿って当区の最も東にある旧村に向かう。

 その村も比較的大きい旧村だがここでも濠が周囲に張り巡らされていることが旧村の図で確認できる。

 ここは江戸時代には旧の国境(今は区境)だった村で戦国時代には織田信長に攻め落されたということである。

 昼からの予定もあるということで早目に昼食を摂ることにして喫茶店に入ったが今日のメンバーのM氏が普段歩いているそうだが、かねて知ったると言う店である。

 元来た道を戻る途中で喫茶店に入りランチメニューを見ながら注文をする。

 結構おいしかったが女性が好きそうな野菜サラダや煮付け野菜なども入ったものである。食事つきで200円プラスでホットコーヒーがある。食事の後に近くの旧村長だったご主人が、その村に関係する説明をしてくれると言うので話を聴く。

 1時間ばかり話を聴いた後解散となりみなと別れた後にディスカウント店により柿ピーなどを購入して自宅へと戻って来て夕食の準備をする。