マンタマンタに告ぐ

映画・政治経済・日常生活などの観察日記。

状況証拠でも死刑なのだ(カレー事件編)

2009-04-22 23:24:32 | Weblog
●和歌山県の砒素カレー事件で、真須美に死刑が下された。証拠が不確かだけに、有罪判断は難しいようだ。それでも、最高裁は死刑を確定させた。

弁護側は、「動機がない」というが、動機は関係ないであろう。近年の殺人事件は、「動機なき殺人」が多すぎる。動機がなくても、殺人事件は起きる。

真須美の動機は、周辺住民が気に入らないのが、理由であろう。仲が悪い。自分が、女王様でいたいのだ。気まぐれが動機なら、たまったものではない。

砒素の入手ルートが分からないな。11年前なら、ネット通販があまり普及していないと思う。どこで、手に入れたのだ?

真須美の髪の毛には、砒素が検出されている。配合中に、その空気を吸うだけでも体内に残るようだ。ナポレオンも、砒素中毒で死亡しているらしい。

この時警察は、周辺住民の髪の毛を任意提出させて、検査すべきだったな。

この鑑識捜査を怠ったから、真須美を積極的な容疑者として追及できなかったのだ。状況判断だけの、苦しい裁判となったのだ。

町人100人の中で、真須美と亭主だけから検出されていれば、有罪に持ち込めていたかもしれない。自分が裁判員だったら、再捜査を命じるな。

亭主は過去、故意に砒素中毒となって保険金を手に入れた、と思ったな。当時、町内会の住人で、砒素を所持しているのはどれだけいたのであろうか。

真須美は、逮捕・起訴当時、沈黙を続けていたはずだ。一審で有罪になった途端、語りだした。無罪を主張するには、遅すぎる。

「沈黙も証言なり」。自分が裁判員だったら、沈黙を通す被告人には、有罪とするぞ。何も不正がなければ、正直に述べるはずだ。

状況証拠で怖いのは、誰かがワナを仕掛けていることだ。第三者が、特定の人を落としいれようとしているかもしれない。

映画やテレビでは、よくあることだ。イジメなら、なおさらだ。裁判員がそれを見抜けなかった時、自分で自己有罪にするしかないな。良心の呵責だ。







映画野良犬とファイナルアンサーに告ぐ

2009-04-22 06:56:53 | Weblog
●ミリオネアは、イギリスが発祥地なのかな。テレビのクイズ番組が映画になるなんて、予想外だな。それも、インドが舞台だ。

映画大国インドだけれど、日本ではなぜか上映されない。それだけ、物語設定は面白くないのかな。配給会社が全然、ないに等しいのかな。

なぜ、舞台がインドなのか。制作費が、破壊的に安価だからであろう。ハリウッドも、制作費・出演料が高騰して収益を回収できないのかな。

2人の兄弟がいる。弟が、主人公だ。破天荒な兄。ボス気取りの兄。反面、冷静沈着で、記憶力が抜群、知性と教養を持ち合わせた弟がいる。

クイズの1問1答と警察署とのやりとり、同時に兄弟と初恋の彼女との過去が思い描かれていく。貧富の差が激しい、インド社会が描かれる。

インド人は、イスラム教徒が嫌いなのか。それも、貧困から発生し対立したようだ。愛よりお金。大富豪なら、愛人を5人ぐらい置けよ。

クイズの答えは偶然にも、主人公の生い立ちと関連した内容だった。偶然すぎるな。よく覚えているな。

主人公の解答は、本当にイカサマなのか。イカサマだった。何者かが、弟に答えを教えていた。トンでもない人が、トンデモない方法で教えていた。

テレフォンは30秒の世界だけれど、重要な場面であってほしかったな。解答に、もうひとひねりがほしかったな。

果たして弟は、1000万円と彼女を、手に入れることができるのであろうか。インドでは、「愛」にファイナルアンサーはあるのだろうか。

ラストは、いかにもインド映画そのものだった。スクランブル・ジャックinプラットホーム。