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仏像を巡って 18: 仏像誕生 5

2014年06月13日 | 連載中 仏像を巡って

インドで仏像が誕生した経緯をまとめます。


< 1. 神官王像と女性土偶、モヘンジョ・ダロ、紀元前2600~1900年 >

インド最古の図像から
上図共にインダス文明のもので、女性土偶は、前回見たパトナの土偶(17話の図6の右端)に少し似ている。
神官王像は目が大きくデフォルメされてはいるが、威厳を感じさせる。
既に像表現は可能だった。



< 2. ヨーガの姿勢 >
左図: インダス文明の印章、紀元前2600~1900年、神聖な動物に囲まれ、ヨーガを行っている人物が描かれている。
右図: 仏三尊像、後2世紀、仏陀が座り、瞑想する行為の原点はインダス文明まで遡るようです。



< 3. アショーカ王柱の獅子像、サルナート、前250年頃 >
この動物像の表現力は素晴らしいが、インダス文明崩壊からこの時代まで、彫像や建築、文字において大きな空白があった。
この時代以降、アショーカ王の浮き彫りや土着の神像(ヤクシーなど)などは造られるようになった。


まとめ
前3世紀、アショーカ王はインド各地に「法」(道徳、宗教)を奨励するために碑文、王柱、ストゥーパ(仏教)を造った。
このストゥーパを中心に、数百年前に死んだ仏陀を、一修行者・覚者としてではなく、神として崇拝する風潮が生まれた(大乗仏教)。
一方、仏陀の戒律を守り、その教義を探求していた教派は民衆から離れていった(小乗仏教)。



< 4. 門の仏伝浮き彫り、サンチーのストゥーパ >
上図: 左隅の菩提樹が仏陀をしめしている。
下図: 釈迦王子が左の王宮から馬に乗って出家するシーン、馬上に釈迦は描かれていない。前50~25年頃

やがて仏陀の生涯、奇蹟、教義を説明する仏伝浮き彫りがストゥーパの回りに奉献された。
しかし、最初、仏陀を人物で表現せず、仏足や菩提樹で象徴していた。
おそらく人々は、崇拝する仏陀を粗末な像として表現することをためらったのだろう。
また仏陀自身も、神格化されることを望まなかっただろう。

当時、文字がまだ普及しておらず、多くの人は仏伝や経典を文字で読みことはなかった。
このことも仏像が仏教普及に重要な役割を果たすことになった。
やがて仏伝浮き彫りから、丸彫りの仏陀が造られ始めた。
ガンダーラではギリシャ文化の影響を受け、その抵抗は少なく、ギリシャ様式も取り入れられた。
一方マトゥラーでは、その抵抗が強く、仏陀を菩薩と称して造り始めた。
ガンダーラとマトゥラーは相互に影響し合ったのであって、どちらが先に仏像を造ったかは重要ではない。
アーリア人のヴェーダー文化と土着の文化が融合し、さらに西方のギリシャ文化が刺激となって仏像が生まれたと言える。
これらの影響度合いで、両発祥地での仏像様式に違いが生じた。



< 5. 金貨 >
上図: カニシカ王発行の金貨、表(左)にはカニシカ王、裏(右)には仏陀、後1~2世紀。
下図: ヒンドゥーのシバ神と牡牛、おそらく後2世紀。
バラモン教は、当時の仏教隆盛に刺激され、土俗信仰を吸収し、ヒンドゥー神像を造るようになっていた。

回は、インドの仏像が西域の神像との関わりを見ます。



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