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中東に平和を! 75 なぜ疲弊したのか 13: コンゴで何があったのか 1

2017年04月19日 | 連載完 中東に平和を

< 1.コンゴの鉱山 >

これから、植民地化された国がどのように運命づけられたのかを見ます。
主にアフリカのコンゴを中心に考察します。
そこには中東と同じ状況がありました。



< 2.今後の悲劇 >

コンゴ動乱、コンゴ難民、殺害されたルムンバ大統領、独裁者モブツ。


はじめに

アフリカの国々は例外なしに、早くは15世紀から西欧に侵犯され、19世紀末には完全に分割され植民地となり、20世紀中頃にやっと独立を果たしました。
多くは未だに内戦、貧困、腐敗政治に苦しんでいます。
そこには中東や南米に見られる共通の病根が存在します。




< 3. コンゴ王国 >

コンゴ王国の王都(17-18世紀)、コンゴの仮面(現代)、ナイジェリアの青銅像(12-15世紀)と青銅器(9-10世紀)、コンゴの象牙製ホーン(14-17世紀)。



< 4. コンゴ >

上の図: コンゴが属するバントゥ―語族の分布。
下の図: コンゴ王国。


なぜコンゴなのか
アフリカの中でもコンゴは悲惨な代表と言えるでしょう。
この国では数多くの独裁者が出現し、民族が分裂し、多数の死者を出した内戦がありました。
現在も経済の低迷、幼児の高死亡率、高い貧困率が続いており、他の諸国が成長を始めているのに取り残された感がある。

この地は長大なコンゴ川が流れる広大な盆地にジャングルとサバンナが広がっています。
その面積は西ヨーロッパの大半に匹敵します。
ここには14世紀に始まるコンゴ王国があって、多数の小国を従え、鉄器を製造し広大な取引ネットワークを持っていた。
その王都は16世紀においてロンドンの人口を上回っていた。

アフリカの言語は多様だが、コンゴはアフリカの1/3を占めるバントゥー語族に属し、ちょうど中央に位置する。
この語族が最も早く鉄器を普及させ、やがて南下し拡大してしていった。




< 5. コンゴの悲劇の始まり >

上の図: 15世紀に大航海時代が始まるとポルトガルが最初にアフリカの西側を南下し、コンゴ王国と接触した。

下の図: コンゴ川流域と現在の3分割されたコンゴ。
A=コンゴ民主共和国、B=コンゴ共和国、C=アンゴラ領のカビンダ。



< 6. 今のコンゴ >



やがてヨーロッパの大航海時代の始まりと共にアフリカの西海岸に転機が訪れることになる。
これ以降、植民地のあらゆる災厄に始まり、冷戦による代理戦争、大国の干渉がアフリカを続けて襲う事になった。

これら不幸を背負った国々はアフリカに多々ある。
例えば内戦に苦しむソマリア、スーダン、ルワンダ、シエラレオネ、独裁者に苦しむジンバブエ、ウガンダ、人種差別に苦しめられた南アフリカなどです。

中でもコンゴは初期から過酷な仕打ちを受け、長く苦しむことになった。
コンゴでの仕打ちを見て行くと、他のアフリカや中東の疲弊がよくわかる。


次回に続きます。








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