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但馬海岸から丹後半島を巡って 9: 丹後半島を巡る 1

2016年07月20日 | 連載完 但馬海岸から丹後半島を巡って



< 1. 間人(たいざ)の城島 >

今日から、京都北部の丹後半島を紹介します。




< 2. 丹後半島と網野の地図 >
上の地図: 赤線が私達がドライブした丹後半島のコースです。
上が北です。
今日、紹介するのはNo.1の網野、No.2の間人、No.3の立岩です。

下の図: 上図のNO.1の網野を拡大した衛星写真です。
上が南です。
今日、紹介する銚子山古墳はNO.1です。
NO.2は離湖の古墳がある半島、NO.3は八丁浜、NO.4は網野漁港で、前回紹介しました。






< 3. 銚子山古墳 >
上の地図: この古墳は小高い丘の端に、4世紀末に造られた。
上が北です。
私達は茶色の線を歩きました。

下の地図: 古墳の詳細図。
中央の前方後円墳は全長200メートル、高さ20メートルで、その両側に二つの小さな古墳を持っている。
この古墳は日本海側で最大級であり、丹後半島にはこれを含めた日本海三大古墳がある。

如何にこの地が奈良のヤマト王権に繋がり、ここの王が力を持っていたが伺える。
また、大陸とも繋がりがあったこも前回見ました。




< 4.古墳の頂上を歩く >

上の写真: 古墳の前方部(北東側)を歩いている。
奥に階段が見える。

下の写真: 階段下から後円部の頂上を見ている。





< 5. 古墳からの眺め >
上の写真: 後円部頂上から海側を見ている。
これはパノラマ合成写真で、通常より視野角は広い。
古墳が造られた当時は、この直ぐ下が潟湖だった。

下の写真: 前方部から山側(東南側)を見ている。
丘の上は畑作が行われていた。





< 6. 間人までの海岸 >
上の写真: 海に突き出した小山が間人の城島です。
下の写真: 間人側から来た道を振り返る。





< 7. 間人(たいざ) >
上の写真: 城島。
中央の写真: 城島の神社。
下の写真:  間人漁港。

この地はズワイガニ(間人蟹)で有名で、聖徳太子に纏わる伝説が多い。
また、死者を大陸に向けて埋葬する風習がかって残っていた。
ここにも、奈良の古代朝廷と大陸の繋がりがあった。







< 8. 間人の入り江 >
透明な海中に色とりどりの海藻が見える。




< 9. 島を一周 >




< 10.立岩 >
高さ20mの柱状節理の岩が海岸に突き出している。


感想
下調べもせずに、この地を巡っていると驚くことが多かった。
この日本海に面したへんぴな地が、かつては大陸と古代の奈良と繋がりがあったのです。
原風景の中に古代のロマンを見た。


次回に続きます。




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