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仏像を巡って 6: 恐い顔の仏像

2013年12月12日 | 連載中 仏像を巡って

< 図1、執金剛神:法華堂、東大寺、奈良時代8世紀、塑造、国宝 >

数回に分けて、日本の多様な仏像から代表的なものを紹介します。
今回は、守護神である天部から選びました。


仏像の種類は無数だが、如来、菩薩、明王、天部、羅漢・十大弟子・高僧の5種類に別れる。
中心的な仏像である如来と菩薩は既に紹介しました。
天部は仏教を護るために帰依した古代インドの神々を指します。

仏像はインドで生まれた経典に出てくるが、その容姿は不明瞭です。
そこで仏師は伝統を生かしながらも時代の要望に合わせて創作することになる。

日本では大乗仏教が国教であり続けたので、外来の模倣から始まった仏像表現は独自に発展を遂げます。
それらの仏像はこうごうしい像から威圧するような像まで、また写実的なものから意表を突くものまで千変万化となった。



< 図2,奈良東大寺の鳥瞰図:創建8世紀、戦火、天災で数度焼失 >
これは天皇が仏教によって国を鎮護するために建造した大伽藍です。



< 図3,法華堂Dの内部:東大寺、図2に配置記す >
大仏殿A:有名な国宝の大仏(如来座像)がある。
戒壇堂B:図6の広目天がある。
南大門C:図9の金剛力士がある。
法華堂D:中央に本尊の千手観菩薩、その脇に日光・月光菩薩、さらに2体の金剛力士、外側に2体の四天王が見える。その奥に不動明王、地蔵菩薩、図1の執金剛神、梵天、帝釈天、四天王がある。菩薩と明王以外が天部です。


四天王
これは堂内で本尊を中心に四方に4体一組で配される。
これらは東西南北を護る神で、持国天、広目天、増長天、多聞天からなる。
それらの姿は中国風の鎧を着け、邪鬼を踏みつけ、身色は四色で区別され、3体は手に武器をもっている。



< 図4,左から四天王の持国天、増長天 >



< 図5,左から四天王の広目天、多聞天:海住山寺、京都、鎌倉時代に復刻、木造、高38cm、重文 >
これは創建時、東大寺大仏殿にあり焼失した四天王像の忠実な模造と考えられている(縮小版、写真は手から武器が外されている)。



< 図6,広目天:戒壇堂、東大寺、8世紀、塑造、高160cm、国宝 >
広目天はこの世を見通す力を持ち、仏教と人々を護る。
それゆえ、この像は鋭い眼光で睨み、筆と巻物を持っている。



< 図7,持国天:東寺、京都、平安時代9世紀、木造、高190cm、国宝 >
これは国を支える役割を担い、両手に武器を持つ。



< 図8,毘沙門天:願成就院、静岡、鎌倉時代12世紀、運慶作、木造、高150cm、重文 >
毘沙門天(多聞天)は武勇や魔除けの神として、後に単独で武将や民衆に広く信仰された。
これは運慶の初期の作品で、開かれたばかりの鎌倉幕府の命で作ったものです。
彼は、それまでの憤怒相とは異なる新機軸を打ち出している。
もともとはインド神話の財宝と北方を守護する神クベーラに由来する。

金剛力士(仁王)
お寺の門の両側でにらみを効かしている左右二体の像はほとんどが金剛力士です。
これは強力な武器を持って、敵を打ち破り、信者の煩悩さえも粉砕する神です。



< 図9,金剛力士の阿形像:東大寺、鎌倉時代13世紀、木造、高840cm、国宝 >
これは運慶が焼失した東大寺の仏像制作を総指揮した時の作品です。
もともと法華堂の図1の執金剛神に見られるように憤怒相、筋骨隆々とした姿で表されていたのですが、さらにその迫力はましています。





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