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奈良の紅葉を訪ねて 2

2015年11月26日 | 旅行

< 1. 右が本堂、左が楼門 >

今日は奈良県天理市の長岳寺を紹介します。
紅葉を見に行ったのですが、ほとんど大地獄絵の絵解き説法で観光時間が終わりました。
これが非常に良かった。




< 2. 楼門 >

日本最古の鐘楼門で、上層に鐘を吊った遺構があり、平安時代末期頃(12世紀頃)の建築です。




< 3. 本堂前から拝堂側を見る >




< 4. 本堂の縁側から放生池を望む >



< 5. 放生池から本堂を望む >



< 6. 本堂にある本尊の阿弥陀三尊像 >
向かって左に増長天が見え、その右には写っていないが多聞天がある。


長岳寺について
ここは真言宗の寺で、創建は824年と古く、盛時には48の建物、僧侶300名ほどを要したそうです。
阿弥陀三尊像は平安末期(12世紀頃)、増長天・多聞天は平安中期と更に古い。
今は寂れた寺だが、境内12000坪の花が有名だそうです。

私が驚いたのは、国指定重要文化財の5体の仏像を間近でじっくり味わえることでした。




< 7. 左が阿弥陀如来像、右が多聞天像 >

多聞天の直ぐ前に座り、壁に掛かった地獄絵を見ながら住職の絵解き説法を聞いていると
感慨深いものがあった。
大地獄絵の御開帳はこの時期に限定されています。
かつて、多くの信徒が地獄絵で罪と浄土を身近に感じ、憤怒の多聞天と柔和な如来に接して救いを確信したことだろう。




< 8. 大地獄絵 >
地獄絵のストーリー: 死者は火葬された後、番号順に冥界を進み、最後に地獄か極楽行きかが決まる。

この大地獄絵について
これは江戸時代初期(16~17世紀)の作で、一つ掛け軸の巾約90cm、縦約250cmで9幅の連作です。
地獄絵のストーリーは10世紀の源信の仏書「往生要集」が元になり、さらにその起源は1世紀頃に生まれたインドの浄土信仰(大乗仏教の経典「阿弥陀経」など)に遡る。




< 9. 大地獄絵の要点 >
上図: 掛け軸5番の上部。閻魔大王が、死者の功罪を審判している。
中央図: 掛け軸6番の中央部。 罪ある者は火焔地獄などに堕とされる。
下図: 掛け軸9番の中央部。 善行ある者は如来が極楽浄土へと迎えに来てくれる。

今も日本人の心に、仏教の「善行を積む」と儒教の「孝徳を尽くす」の教えが息づいている。




< 10. 経典と念仏 >

日本の仏教は大雑把に言って、念仏を唱える民衆の宗教と、精神修養を重視する武士の禅宗に別れました。
南無阿弥陀仏など、仏の名前を唱える念仏が広まったのは、「往生要集」と「地獄絵」のおかげとも言えます。
浄土信仰は、極楽浄土に行く手段として念仏を説いていた。
一方、仏教の経典は中国の漢字で書かれており、多くの民衆は読むことが出来なかった。
こうして地獄絵の絵解き説法は江戸時代には大道芸人や僧侶によって全国に普及するようになっていた。


あとがき
私は偶然にも、平安時代の仏像に囲まれて地獄絵の絵解き説法を聞くことが出来ました。
いにしえからの日本の文化に触れる思いがしました。
















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