そらのはじまり

昔オノヨーコが書いてた。「そらはどこから始まると思う?」「わたしたちの足元からよ。アリにとってはここがもうそらなのよ。」

理解するということ

2011年04月19日 | 日記
今日は藤田地区のESD研修会があって、3小学校の3年から6年までの先生方が集まって今年度の総合的な学習の時間について話し合った。
目標は、各学年ごとに、どんな力をつけさせたいか、その思いを共有すること。

昨年度末の前回、学年ごとのテーマは話し合って決まっている。
3年生  地域の宝ものってなあに?
4年生  ごみってなあに?
5年生  食べ物ってなあに?
6年生  しあわせってなあに?

私は6年生の先生たちの話し合いに入れてもらった。

岡山市では多くの学校が5年で環境をとりあげ、6年で国際理解をとりあげる。
藤田地区では、昨年度の5年生で藤田の農業を共通のテーマに取り組んだので、できればその続きとして、共通に「食」から国際理解に行きたいとのこと。

これまでは、ひとつの学校は「モッタイナイ」をテーマに50時間、国際理解をテーマに20時間ですすめていたとか、ほかの学校の先生は、最初にユニセフとかハートオブゴールドとかJICAとかの人の話をめいっぱい入れてそこから考えさせようと思ってるとか、いろいろ出た。
私もとりあえず、「地球家族」の写真教材からモノとしあわせの関係を考えることや、今回の地震津波の教材の最後の問い「このような災害の影響は、豊かな国と貧しい国とで違うところがありますか?」を紹介した。

国際理解とESD。何が本質的に子どもたちに伝えたいこと、つけたい力だろうか・・。考えているうちにあることを思い出した。
日本ユニセフ協会で働いていた頃、同僚が話してくれたエピソード。

その人は、その頃ネパール事務所にいて、あるとき山岳地帯の村に天水タンクを設置するための調査に出かけた。
(山岳地帯では水が手に入りにくく、水汲みのために子どもが学校に行けないこともよくある。また不衛生な水は高い乳幼児死亡率の原因にもなっている。想像してください。日本のような緑豊かな山ではなくごつごつした岩だらけの山です。)
一日中ランドクルーザーを走らせて、さらにふもとの村から重い荷物を背負って登ること半日。
息を切らせながらようやく村につくと、村の人たちがうれしそうに迎えてくれた。
「さぞのどが乾いたでしょう、お水をどうぞ」にこにこ顔で手渡されたコップには黒い水が・・。
まいったなあ、これは明日は下痢だなあと思ったけれど、村人たちはじっとうれしそうに見ている。
しょうがないとやけくそで一気に飲んだら、「もう一杯どうぞ」とおかわりが・・(笑)。

村人の家に泊めてもらって翌朝、見ると奥さんが3歳くらいの子どもを柱にくくりつけている。
一体この子が何をしたのですか?と聞くと、奥さんが答えるに、何も悪いことをしたわけじゃない。
私はこれから谷を降りて水を汲みに行くけれど、その間にこの子がちょろちょろして、間違ってこの険しい崖を落ちてしまったら大変だ。
だから毎朝こうやって柱にくくりつけているのです、と。

この村の女性たちはみんなこうして2時間もかけて谷底の水を汲みに行き、3時間かけて帰ってくる。
わずかしかなく、泥の混じった水だけれど、それでもこの人たちにとっては貴重ないのちの水なのだ。

同僚はいたく恥ずかしく、言葉が出なかった。
そんな苦労をして汲んできた貴重な水を、その一杯の持つ価値を想像もせず、自分のおなかのことだけ心配して、半分迷惑に思いながら2杯も飲んでしまった。
そんな自分が恥ずかしかったと、話してくれた。


私は国際理解とはこういうことだと思う。

相手の気持ちを、どのくらい理解できるか、自分の価値観で人の行為を測るのでなく、住む土地も文化もちがう相手を、初めて会った相手を、理解しようと思い、その行為の背景や理由を推し量り、その人に近づくために自分を開き、相手を受け入れ、その人の幸せを願うことができる心、態度、力を養うこと、それが国際理解教育だと思う。
外国かどうかは関係ない。
どこの人でも、どんな人でも同じことではないでしょうか。
子どもたちにそういう力をつけてほしい。

こうお話したら、先生たちがさらに話し合って、6年の総合でつけたい力は

自分の尺度とちがう尺度があることを知り、それを認められるようになること

そういう思いで各校が取り組んでみようということになった。

干拓という共通の土壌を持つとはいえ、別々の小学校の先生たちがひとつテーブルに集まり、どんな子どもに育ってほしいのか、そのためにこの学年の総合的な学習では何ができるかを話し合う。
藤田の先生たちの取り組みは大変な面もあるし、試行錯誤の連続だけど、価値ある取り組みだと思う。






Imagine

2011年04月10日 | 日記
福島第一原発から半径20キロ圏内にある福島県川内村で11年前から自給自足の暮らしをしていた大塚愛さんという方が、実家のある岡山に避難してこられていて、今日そのお話を聞いた。

25歳のとき、自分の食べ物は自分でつくる暮らしがしたいと、自然農の研修を受けた福島が気に入って、そのまま電気も水道もない、他にはたった一軒の家(同じく自給自足)しかない山の中に住みついた。
もともと大工志望だった愛さんは、ひとりで3畳の小屋を建て、水は沢水、炊事は薪ストーブ、明かりはランプというくらしを始め、そのうち村の大工さんに弟子入りもし、大工修行の傍ら、土日に自然農で米や野菜を育てて・・4年。
(話を聞くとびっくりするけど、物静かでとても可愛い素敵な方)

その後、設計士である夫となる方との出会いがあり、結婚を機に自分が棟梁となって本格的な家をつくり(口を出すなら手を出せと言われて都会育ちの設計士の夫は口出しできず(笑)、設計も愛さん)、電気を使いたい夫のたっての希望で独立型ソーラー発電を畑に8枚。エネルギーの自給もできるようになった。

このソーラー発電と電気を貯めるバッテリーを使えば、梅雨時と秋雨時期を除けば、全自動洗濯機、同じサイズの冷蔵庫、照明、井戸ポンプ、ラジオやテレビが問題なく使えるそうだ。
(お風呂は薪で焚く五右衛門風呂。)
ただし、雨や曇りが続くと電気が減るので、冷蔵庫を一番に消し、天気予報を気にしながら、電気を大切に使うそう。
(詳しくは下記のHPを)
http://shokan.jp/

子どもも生まれ、自然の恵みを感じながら平和で幸せに暮らしていたところに今回の地震が起きた。
地震の被害はほとんどなかったが、その夜、「冷却水ストップ、3キロ圏内避難指示」というニュースを聞いて、以前から原発の危なさを心配していた大塚さんたちは、とりあえずの荷物を持ってその夜のうちに家を離れた。そしてそのまま帰れる見込みが立たず、2日後、実家のある岡山に避難してきたとのこと。

「あまりにも失ったものは大きい」
と静かに語る大塚さんから、テレビで見る人通りのなくなった町や避難所の映像の向こうに、ひとりひとりのかけがえのないくらしが、ひとつひとつの家庭の大切な幸せが突然奪われてしまった大きな事実と悲しみが伝わってきた。

もし岡山港に原発があったとしたら、そしてもし同じような災害が起きたとしたら、現在福島で避難指示が出されている20キロ圏内に、岡山市は空港のあたりまで、西は倉敷市、東は瀬戸内市、赤磐市の一部まで入る。つまりほぼ全域。
(明日家を捨ててどこかに逃げなければならないとしたら・・。)

穏やかな日々のくらしを突然すべて捨てなくてはいけないほどの電気とは何か。
これは想定ではなく、本当に起きてしまった事実。

これほどの犠牲を払ってでも続けなくてはいけない経済というのは何だろう。
(私には得体のしれない、実態の見えない化け物のように感じられる。)

最後に大塚さんがギターで自作の歌を歌ってくれて、みんなで「イマジン」の曲でフラを踊った。
お手本を見せてくれる大塚さんの柔らかい微笑みの中に、どれほど愛しんできた家や暮らしから遠く離れなくてはならなかったか、その悲しみが感じられて胸が痛んだ。

(しかしこれはだいたい大塚さんのお父様が主催するメンズリブの講座だったので中年男性の参加者が多く、もうひとつの「波」という曲では大塚さんはくすくす笑いっぱなしだった)

不思議なことに、懐かしいこの曲を聞きながら踊ってみると(もちろん私もへんてこだったと思うけど)、春にもかかわらずこのところずっとふさいだ気分だったのだけど、もやが晴れるように気分が明るくなるのを感じた。なぜかな?
(フラというのは、ゆるやかな上半身の動きで手話のように曲の意味を表します。)


Imagine(J.Lennon)

想像してごらん。
天国も地獄もなくて

ただ私たちの上には
空があるだけ
みんながその日その日を大切にくらしてる世界を

想像してごらん
国の境なんてなくて
何かのために誰かを殺したり、殺されたりすることもない
みんなが平和にくらしている世界を

キミはそんなの夢だって言うかもしれない
でもこんな風に思ってるの、僕ひとりじゃないんだよ
キミもいつか仲間になってほしい
そしたら世界はひとつになるから

想像してごらん
もし所有するということがなくなれば
誰かが人の分まで欲張ることも、誰かが飢えることもない
人はみんな兄弟姉妹
この世界のすべてを分かち合っている

キミはそんなの夢だって言うかもしれない
でもこんな風に願ってるの、僕ひとりじゃないんだよ
キミもいつか仲間になってほしい
そしたら世界はひとつになるから






2011年04月02日 | 日記
気づけば我が家の小さな庭に雪柳が満開に咲いている。
いつの間にこんなに咲いたのだろう。
足元には水仙が花を枯らすかわりに春の草たちがいっせいに芽生え、ご近所には桃の花がつぼみを開き始めている。

いつもはこんな春の訪れを、草の匂いでとうに感じていたはずなのに、
見ているようで見ていなかった。
感じる心がとまってしまったかのような私たちの3月。

こんなに酷く自然は私たちから奪い(大切なものを)、一方でこんなに優しく自然は私たちに与えてくれる(去年と変わらず)。

人間は大きな大きな自然の中で(宇宙の中で)昔から生き生かされているだけなのに、
そのことを忘れてしまった私たち。

いま突きつけられている現実に、立ち止まって考えなければ。(それが被災していない私たちがしなければならないこと)

今の私たちの社会のあり方を前提としてさらに前に進むのではなく、
もっともっと立ち戻って、(それは昔の生活に戻れということではなく)

何が本当に大事なものなのか。大事なことなのか。

青臭いと言われようが、甘いと言われようが、
声の大きな人が「勝つ」世の中ではなく、
小さな足元の草々に大事なものが隠されていることを
私は信じたいし、
その中にしあわせを感じられることがしあわせだと
心から思うから。




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気仙沼の学校、避難所からの要請に基づき3月28日に呼びかけた必要物資支援に多くのみなさまのご協力をいただきありがとうございました。
2日間で集まった物資は段ボールに175箱にもなり、31日に発送させていただきました。

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しばらくお休みしていたESDカフェですが、再開します。
今回は、ERIC(国際理解教育センター)が翻訳した教案(http://eric-net.org/)も使いながら、このたびの震災について、被災地の方々と、共通の未来に思いをはせながら、思いを分かち合う場、学び合う場としたいと思います。

第4回ESDカフェ
日時:平成23年4月14日(木)18:30~20:30
場所:環境学習センターアスエコ(岡山市北区下石井)

ご参加いただけると幸いです。