企業・組織再生現場からの独り言

仕事の中で、覚えていったこと。感じたことなどなどを記していきます。我以外皆我師也。あと、読んでいる本を簡単に紹介。

日本語が通じない時代。。国民総サービス産業時代だから?

2007年12月23日 | 過去の不満たらたら記事
日経ビジネスオンラインに面白い記事が載っていた。どうやら日本人相手に日本語が通じないというのだ。日本人はバカになったのか?私自身は、この記事に紹介されているようなことは、多々経験している。最近増えた?というよりは、昔からあったのかなぁ、と思うのだけれど、どうだろうか?
この記事を書いた遙洋子さんの活動エリアが、より普通の日本に近づいてきたということなんじゃないかな?とも思うけれどね。この記事を見る限り、若い人だけが日本語力が落ちているということではないように感じてしまう。
ただ、そう感触だけで批判してみてもはじまらないので、ちょっと考えてみたい。昔と今とで違うことと言えば、経済のサービス化がかなり進んだということではなかろうか? 学歴だけで、読解力やコミュニケーション力がつくことは、今の時代では肯定できないとは思うものの、比較論としては長く学習を続けてきた人ほど、サービス化した産業に従事していると思う。製造業における開発なども頭を使う部門であれば、実態は知能労働であろう。
30年とか前は、まだあまり頭を使わなくてよい仕事が日本中にあったのだと思う。もちろん真剣にやるならば、どんな職業においても頭は必要だし、その道のトップの人は相当勉強している。でも、気楽にやっていける職業が少なくなかったとは思う。
今は、そうした単純労働が外国へシフトしてしまったこと、また国内でも短期の単純労働(それも危険を伴わないもの)が、かなり賃金面で相対的に低い側になってしまっている。加えて、サービス化と、商売至上主義?的な世の中で、サービス産業での人材への需要が高まっている。
そうなると、以前ならば、単純労働に従事していたような日本語力やコミュニケーション力をもった人が、サービス産業になだれ込んできてもおかしくない。多くの小売・サービス業で、外国人留学生を含む労働力に依存しているような現在、外国人を雇うリスクを考えれば、日本人だったらとりあえずよいか! と採用が甘くなってしまうことだってあるに違いない。
そうした産業構造、人口動態の結果として、遙氏が指摘するような事態が増えたように感じられるのではないか?
うーん、違うかなぁ?

僕が大学時代のことを思い出してみて。。自動車教習所で会った東大生が、「頭が切れる」という表現について、比較的古くからの意味である「事を処理する能力に富む。特に頭の働きがすぐれている」ということを知らず、比較的最近の意味「突然怒ったり,見境がなくなることを,俗にいう語」ということと勘違いしていた。。。学歴だけじゃないなぁ、とは思うので。。
教養ってのは、必ずしも学校の勉強だけではないとは思うことを付け加えておきたい。

といっても、私自身も、言葉の意味が心配でよく辞書を調べたりするんだけれどね(汗)
コメント (1)
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