もうすぐ2016年夏季オリンピックの開催都市が決定されようとしている。この記事を書き上げたころには既に、その開催都市が決まっていることだと思う。そして、おそらくはリオデジャネイロだろう。まあ、私は予想屋ではなく評論家・体験主義者であるから、その辺の当てずっぽうはマスコミ関係諸氏に任せよう。
しかし、ここで私ははっきり言っておきたい。今回の東京への五輪招致は、ちゃんちゃらおかしい国家イベントであった、と。だいたい、昨年の北京オリンピックから1年しか経ってないのに、その8年後にまたアジアの一都市である東京で、またオリンピックを開催する可能性があるはずがないのだ。そして大阪・福岡など未開催地ならともかく、なぜまた東京でオリンピックを行なうのか。地方に住まれている方々ならなおのこと、「東京一極集中」に反吐が出るところだろう。
第2に、だいたい国内においてすら地元東京都民はおろか、全国民的なコンセンサス(合意)が得られていないのに、対外的にどうPRするというのだ。東京都は愚かしい自治体行政の典型であり魔窟のような存在だが、失業や非人間的な解雇で困っている都民がどれほどかも知れぬほどいるのに、こんな対外的なアッパラパーの招致イベントにいくら予算を注ぎ込んだのであろうか。広告代理店も潤い、大手メーカーも存在感を示すことができ、さぞやご満悦だろう。
しかし、そんな駄金を投じる余裕があったら、大手企業の論理に人間の尊厳を踏みにじられている底辺労働者や、母子家庭や、人員難の医療現場や、崩壊している教育現場や、恣意的な制度改変や悪徳社保庁の格好の餌食にさらされた社会保険制度に余生を託しては裏切られる本来の受給者の人々などに、予算を少しでも振り分けられただろうに。社会的教育資本であるといっていい公共図書館に、都や国はいくら教育予算を分配してきただろうか。本当に微々たる金額に過ぎないのだ。
鳩山首相は嬉々として、新風の勢い勇んで今回最後のJOCでのプレゼンテーション・スピーチを行なった。だが、国内の合意も、そもそもなぜまた東京なのか、この国家的な経済状態でなぜお気楽な招致活動を続けたのかという国民的な疑問への回答もないまま、お祭り気分で対外的に自身の存在感をもこれ良い幸いと示そうとしていたように思える。石原都知事のような愚かな指導者になっていくつもりか。
いくら、今回の五輪招致活動に国民の血金をかけたのか。この大問題は、ボンクラで思考停止状態の日本のマスコミは取り上げない。ならば、近日中に次回、鋭意調査の上、このブログ上でその実態を明かそうではないか。乞うご期待。
しかし、ここで私ははっきり言っておきたい。今回の東京への五輪招致は、ちゃんちゃらおかしい国家イベントであった、と。だいたい、昨年の北京オリンピックから1年しか経ってないのに、その8年後にまたアジアの一都市である東京で、またオリンピックを開催する可能性があるはずがないのだ。そして大阪・福岡など未開催地ならともかく、なぜまた東京でオリンピックを行なうのか。地方に住まれている方々ならなおのこと、「東京一極集中」に反吐が出るところだろう。
第2に、だいたい国内においてすら地元東京都民はおろか、全国民的なコンセンサス(合意)が得られていないのに、対外的にどうPRするというのだ。東京都は愚かしい自治体行政の典型であり魔窟のような存在だが、失業や非人間的な解雇で困っている都民がどれほどかも知れぬほどいるのに、こんな対外的なアッパラパーの招致イベントにいくら予算を注ぎ込んだのであろうか。広告代理店も潤い、大手メーカーも存在感を示すことができ、さぞやご満悦だろう。
しかし、そんな駄金を投じる余裕があったら、大手企業の論理に人間の尊厳を踏みにじられている底辺労働者や、母子家庭や、人員難の医療現場や、崩壊している教育現場や、恣意的な制度改変や悪徳社保庁の格好の餌食にさらされた社会保険制度に余生を託しては裏切られる本来の受給者の人々などに、予算を少しでも振り分けられただろうに。社会的教育資本であるといっていい公共図書館に、都や国はいくら教育予算を分配してきただろうか。本当に微々たる金額に過ぎないのだ。
鳩山首相は嬉々として、新風の勢い勇んで今回最後のJOCでのプレゼンテーション・スピーチを行なった。だが、国内の合意も、そもそもなぜまた東京なのか、この国家的な経済状態でなぜお気楽な招致活動を続けたのかという国民的な疑問への回答もないまま、お祭り気分で対外的に自身の存在感をもこれ良い幸いと示そうとしていたように思える。石原都知事のような愚かな指導者になっていくつもりか。
いくら、今回の五輪招致活動に国民の血金をかけたのか。この大問題は、ボンクラで思考停止状態の日本のマスコミは取り上げない。ならば、近日中に次回、鋭意調査の上、このブログ上でその実態を明かそうではないか。乞うご期待。
長らくご無沙汰し、数通更新をいつするのかとの便りを頂いた。日々是感謝。8月30日、あの衆議院議員総選挙で歴史的な民主党圧勝・自公惨敗、そして先月9月16日に戦後初の本格的政権交代叶い、鳩山民主党中心新連立政権が発足したのだった。あれから2週間以上過ぎ、いま私たちは静々と、しかし時代の変わりようにときに気付き、驚き、自分自身の日常生活の向こうに新たな政治を感じているのだ。
さて民主党新政権は、在日米軍基地再編計画問題において、目下表面的には沖縄県民の意思を尊重する立場を表している。沖縄問題については今後さらに、本ブログサイト上にて、他機関や他有識者と連携し、なかなか告発されない問題も含め根気良く意見を表明していく所存である。
そこで今回は、6月24日、沖縄戦終戦の日・慰霊の日(23日)の翌日に、私が「NEWS23」に宛てて送った嘆きの便りを、全文掲載したい。
***
昨日6月23日は、沖縄戦終戦慰霊の日。
今は亡き筑紫さんなら、毎年この日の貴番組内で特集や特別現地沖縄取材を組み、多事争論で世の中へのメッセージを発していましたね。
昨日貴番組を視聴できなかったのですが、メッセージなき、もう単なる“ストレートニュース番組”という位置づけに落とされてしまっている以上、いつかの6・23メッセージはもう発しなくなってしまったところでしょう。
視聴できなかった、ではなく、もう諦めている部分が僕の中にはあるのでしょう。新聞のテレビ欄を見て、「特集 沖縄慰霊の日」「沖縄戦 そして沖縄の置かれているいま」といった番宣を目にし、いつも欠かさず視聴していた、あの頃。筑紫さんのいた頃が懐かしいです。
貴番組サイトのアーカイブスから探し出し、4年前の6・23多事争論をさっき視ていました。
懐かしい、とさっき僕は言いました。しかし、沖縄の現状は4年前となにも変わっていない。懐かしい、と呆けている場合ではない。冷戦、湾岸、少女暴行事件、アフガン、イラク、ヘリ墜落事件、教科書問題事件… 本土側の歴史認識・現状認識不足は相変わらずで、いつも逆撫でするようなことばかりです。筑紫さんの生きている間も、結局なにも変わらなかった。変わらない現状を憂いながら、たぶん筑紫さんは亡くなられていったのでしょう。
インフォテイメント(ニュースがいってみれば、ワイドショー化し、分別がなくなること)や、メッセージの喪失、テレビジャーナリズムの衰退。来年の6・23も、単なる現代史もののスケジュールニュースとして、沖縄慰霊の日はニュース項目の一つとして扱われ、“メッセージなきニュース23”は続くのでしょうか。
***
沖縄問題は、沖縄県民が問題なのではない。鏡返しのごとく、1972年5月15日の本土復帰・返還時の「密約事件」からも見られるように、日本政府(自民党歴代政権)の底汚い対米飼い犬根性こそが問題なのであった。「沖縄県民は異常な人々なのだ」「地元沖縄メディアはアカだ」。こんなことを平気でのたまう連中が、自民党にはいたし、いまもいるであろう。そして民主党にもいないとは断言できないのだ。密約事件の真相開示も合わせ、鳩山政権の良識がいま問われている。
にもかかわらず、私たちの国のマスメディアは、ちゃんと基地問題や安全保障に対し、責任ある主張や一過性でなく粘り強い報道姿勢を取れているだろうか。はなはだ疑問だ。いつもの状況追随の、周回遅れ報道ではなく、マスメディアも意欲的な「CHANGE」の全社的姿勢とやらを示すべき刻(とき)ではないのか。
さて民主党新政権は、在日米軍基地再編計画問題において、目下表面的には沖縄県民の意思を尊重する立場を表している。沖縄問題については今後さらに、本ブログサイト上にて、他機関や他有識者と連携し、なかなか告発されない問題も含め根気良く意見を表明していく所存である。
そこで今回は、6月24日、沖縄戦終戦の日・慰霊の日(23日)の翌日に、私が「NEWS23」に宛てて送った嘆きの便りを、全文掲載したい。
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昨日6月23日は、沖縄戦終戦慰霊の日。
今は亡き筑紫さんなら、毎年この日の貴番組内で特集や特別現地沖縄取材を組み、多事争論で世の中へのメッセージを発していましたね。
昨日貴番組を視聴できなかったのですが、メッセージなき、もう単なる“ストレートニュース番組”という位置づけに落とされてしまっている以上、いつかの6・23メッセージはもう発しなくなってしまったところでしょう。
視聴できなかった、ではなく、もう諦めている部分が僕の中にはあるのでしょう。新聞のテレビ欄を見て、「特集 沖縄慰霊の日」「沖縄戦 そして沖縄の置かれているいま」といった番宣を目にし、いつも欠かさず視聴していた、あの頃。筑紫さんのいた頃が懐かしいです。
貴番組サイトのアーカイブスから探し出し、4年前の6・23多事争論をさっき視ていました。
懐かしい、とさっき僕は言いました。しかし、沖縄の現状は4年前となにも変わっていない。懐かしい、と呆けている場合ではない。冷戦、湾岸、少女暴行事件、アフガン、イラク、ヘリ墜落事件、教科書問題事件… 本土側の歴史認識・現状認識不足は相変わらずで、いつも逆撫でするようなことばかりです。筑紫さんの生きている間も、結局なにも変わらなかった。変わらない現状を憂いながら、たぶん筑紫さんは亡くなられていったのでしょう。
インフォテイメント(ニュースがいってみれば、ワイドショー化し、分別がなくなること)や、メッセージの喪失、テレビジャーナリズムの衰退。来年の6・23も、単なる現代史もののスケジュールニュースとして、沖縄慰霊の日はニュース項目の一つとして扱われ、“メッセージなきニュース23”は続くのでしょうか。
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沖縄問題は、沖縄県民が問題なのではない。鏡返しのごとく、1972年5月15日の本土復帰・返還時の「密約事件」からも見られるように、日本政府(自民党歴代政権)の底汚い対米飼い犬根性こそが問題なのであった。「沖縄県民は異常な人々なのだ」「地元沖縄メディアはアカだ」。こんなことを平気でのたまう連中が、自民党にはいたし、いまもいるであろう。そして民主党にもいないとは断言できないのだ。密約事件の真相開示も合わせ、鳩山政権の良識がいま問われている。
にもかかわらず、私たちの国のマスメディアは、ちゃんと基地問題や安全保障に対し、責任ある主張や一過性でなく粘り強い報道姿勢を取れているだろうか。はなはだ疑問だ。いつもの状況追随の、周回遅れ報道ではなく、マスメディアも意欲的な「CHANGE」の全社的姿勢とやらを示すべき刻(とき)ではないのか。
今回の総選挙実施日程が決定した、先月7月下旬に私が民主党に投稿した文章を、一部抜粋して掲載したい。民主党が、一時の風で物にした今回いちどきの新政権の座ではなく、しっかりした足腰・党政体制のある真摯な姿勢の政党に近づくことを、願って記した文章である。
***
私がさらに強く望むのは、政権交代が果たされ、民主党新政治が始動したとしても、かつての自民党的体質に陥ってほしくはないことです。
執行部・選挙対策本部といった中央本部指導の党政ヒエラルキー構造は、自民党の二の舞になります。地方党員や地方の声なき声が、ボトムアップされなくなってしまいます。
また、日米安保・日米関係・有事体制も、自民党のようにオールイズアメリカ、狭窄的な米国追随・憲法軽視であってはならない。日米中関係を重視しながらも、人権外交を目指してほしい。国連の人権理事会入りしたオバマ米政権と協調しながら、中国に対しても物言う外交を展開してほしい。
話せば長くなるのは目に見えていますので、ここで終わりにします。しかしながら私が不安なのは、ゾンビ捕りがゾンビになってしまうように、自民党政治を壊してみたら、今度は政権を取った民主党が旧自民党的体質に陥ってしまった、ということなのです。
政権の座は、権力の誘惑そのものです。味をしめたら、民主党もかつての自民党利益誘導政治・何が何でも政権の座を維持するために何でもする、党針・主張だって変えた自民党や旧社会党の二の舞になるかもしれない。こうして繰り返し申し上げたのは、本当に「政権の座は、権力の誘惑そのもの」だと、歴史から私は学んだからです。
***
いま最も高い政治的な意志があるのは、たしかに民主党かも知れない。かつて左右両極寄り合い所帯とバカにされていた体質は、幅広い意見の多様性として見直されつつもある。国民の希望が、悲鳴に等しい切実な期待が、これほど一つの政党に集まったこともないだろう。だからこそ、良い政党になってほしいのである。
今回も、民主党のマニフェストには批判もある。「若者から希望を奪ったのは自公政権」として、若者の窮状への視点があるように鳩山代表は公言した。だが、実際のマニフェストに若者の窮状を優先的に救済する、といったことは盛り込まれなかった。実際にあったのは、公立高校の学費無償化・私立高校生への学費援助である。これからの若者を助けていく視点であり、現在の若者の救済ではない。
また、民主党内にも、新自由主義的な物の考え方の政治家は少なからず存在しており、「努力していないから負け組になったんだよ」と公言してはばからない人物もざらにいる。今回民主党に投票した人々の、その判断にケチをつけるつもりはない。いまの自公政権の最悪ぶりを見れば、妥当な判断だろう。しかし、実際の民主党の党員・党所属国会議員を、もっと一人ひとり見極めていく必要が、政権交代以降のこれからはさらに増えるはずだ。
民主党はこれからの21世紀日本の希望の光となるか、それとも93年の細川政権樹立時のような短命に終わるのか、旧社会党のように政権の座に着くためならかねての主張も投げ捨てるか。民主党のこれからを、私もこのブログ上にて、ますます積極的に見つめ、考察し、分析し、論考を開陳していく所存である。ご期待あれ。
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私がさらに強く望むのは、政権交代が果たされ、民主党新政治が始動したとしても、かつての自民党的体質に陥ってほしくはないことです。
執行部・選挙対策本部といった中央本部指導の党政ヒエラルキー構造は、自民党の二の舞になります。地方党員や地方の声なき声が、ボトムアップされなくなってしまいます。
また、日米安保・日米関係・有事体制も、自民党のようにオールイズアメリカ、狭窄的な米国追随・憲法軽視であってはならない。日米中関係を重視しながらも、人権外交を目指してほしい。国連の人権理事会入りしたオバマ米政権と協調しながら、中国に対しても物言う外交を展開してほしい。
話せば長くなるのは目に見えていますので、ここで終わりにします。しかしながら私が不安なのは、ゾンビ捕りがゾンビになってしまうように、自民党政治を壊してみたら、今度は政権を取った民主党が旧自民党的体質に陥ってしまった、ということなのです。
政権の座は、権力の誘惑そのものです。味をしめたら、民主党もかつての自民党利益誘導政治・何が何でも政権の座を維持するために何でもする、党針・主張だって変えた自民党や旧社会党の二の舞になるかもしれない。こうして繰り返し申し上げたのは、本当に「政権の座は、権力の誘惑そのもの」だと、歴史から私は学んだからです。
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いま最も高い政治的な意志があるのは、たしかに民主党かも知れない。かつて左右両極寄り合い所帯とバカにされていた体質は、幅広い意見の多様性として見直されつつもある。国民の希望が、悲鳴に等しい切実な期待が、これほど一つの政党に集まったこともないだろう。だからこそ、良い政党になってほしいのである。
今回も、民主党のマニフェストには批判もある。「若者から希望を奪ったのは自公政権」として、若者の窮状への視点があるように鳩山代表は公言した。だが、実際のマニフェストに若者の窮状を優先的に救済する、といったことは盛り込まれなかった。実際にあったのは、公立高校の学費無償化・私立高校生への学費援助である。これからの若者を助けていく視点であり、現在の若者の救済ではない。
また、民主党内にも、新自由主義的な物の考え方の政治家は少なからず存在しており、「努力していないから負け組になったんだよ」と公言してはばからない人物もざらにいる。今回民主党に投票した人々の、その判断にケチをつけるつもりはない。いまの自公政権の最悪ぶりを見れば、妥当な判断だろう。しかし、実際の民主党の党員・党所属国会議員を、もっと一人ひとり見極めていく必要が、政権交代以降のこれからはさらに増えるはずだ。
民主党はこれからの21世紀日本の希望の光となるか、それとも93年の細川政権樹立時のような短命に終わるのか、旧社会党のように政権の座に着くためならかねての主張も投げ捨てるか。民主党のこれからを、私もこのブログ上にて、ますます積極的に見つめ、考察し、分析し、論考を開陳していく所存である。ご期待あれ。
今日は衆議院議員総選挙、そして最高裁判事国民審査の日である(日本では主に)。前回申し上げたように、この政治イベントには総計681億円もの税金がかかっている。でも考えてみれば、麻生政権誕生後にすぐ総選挙が行なわれる、という早計をしてしまって準備を始め、それが結局無駄となり、税金の無駄となってしまった自治体がいたっけ。その愚かしい無駄金も合わせると、700億円以上になっているのかも知れない。
そして、国内が政治的にこうしてごたつき、世論やマスコミは酒井法子夫婦の麻薬騒動に過熱している間にも、外の世界では米中接近がもはや華々しいまでに進んでいる。今年の年末か、来年にはGDP比で中国は日本を抜き、世界第2位の経済大国へと躍進する。アジアの経済の中心は、もはや中国なのだ。科学技術立国を日本は自称しているが、中国産業界の技術導入・技術者集中・投資には凄まじいものがあるのは、言うまでもない。
外に目が向かず、向くとしても米国との関係ばかりで、アジア外交はいまだに「韓国・朝鮮人は嫌い。中国人はもっと嫌い」といった、幼稚で感情的な意識を持っている。最近報じられたけども、日本国民の約7割がいまだに「中国は嫌い」だという。そんなこと言ってる間に、日本はどんどん追い抜かれていき、国内の人口減少・格差社会の「階級社会」への悪化・進学格差・ボロボロの社会保障・人間関係がもっと悪化する社会へ、などの地盤沈下も伴って、どうしようもない時代へさらに歩を進めてしまうだろう。
『20世紀少年』は独裁者の暴走と作為により、国家経営が破綻し、大阪万博があった1970年へ社会状況が退行していく物語だ。だが、それは日本のいまの社会状況と似ている。格差がどんどん広がり、希望は絶望へ、生きる力は削がれ毎年3万人が自殺するさらなる狂気の時代へ、未来への期待は現実への切実な悲鳴へ、と私たち日本社会のエナジーは急速に「衰え」てきている。産業界はCSR、エコ、排出権取引などと抜かすが、組織内部の現実は殆んど奴隷制度的な労働者搾取を行なっていると言って良い。ポストコロニアリズムの延長線上の、ときは今、2009年8月30日という虚飾に満ちた時間である。
おかしい、といつも私は言う。けども、それは頭の中で沸き上がっただけの戯言ではない。はらわたが煮え繰り返り、五臓六腑の底から吐き気とともに突き上げるような、怒りの言葉なのである。
そして、国内が政治的にこうしてごたつき、世論やマスコミは酒井法子夫婦の麻薬騒動に過熱している間にも、外の世界では米中接近がもはや華々しいまでに進んでいる。今年の年末か、来年にはGDP比で中国は日本を抜き、世界第2位の経済大国へと躍進する。アジアの経済の中心は、もはや中国なのだ。科学技術立国を日本は自称しているが、中国産業界の技術導入・技術者集中・投資には凄まじいものがあるのは、言うまでもない。
外に目が向かず、向くとしても米国との関係ばかりで、アジア外交はいまだに「韓国・朝鮮人は嫌い。中国人はもっと嫌い」といった、幼稚で感情的な意識を持っている。最近報じられたけども、日本国民の約7割がいまだに「中国は嫌い」だという。そんなこと言ってる間に、日本はどんどん追い抜かれていき、国内の人口減少・格差社会の「階級社会」への悪化・進学格差・ボロボロの社会保障・人間関係がもっと悪化する社会へ、などの地盤沈下も伴って、どうしようもない時代へさらに歩を進めてしまうだろう。
『20世紀少年』は独裁者の暴走と作為により、国家経営が破綻し、大阪万博があった1970年へ社会状況が退行していく物語だ。だが、それは日本のいまの社会状況と似ている。格差がどんどん広がり、希望は絶望へ、生きる力は削がれ毎年3万人が自殺するさらなる狂気の時代へ、未来への期待は現実への切実な悲鳴へ、と私たち日本社会のエナジーは急速に「衰え」てきている。産業界はCSR、エコ、排出権取引などと抜かすが、組織内部の現実は殆んど奴隷制度的な労働者搾取を行なっていると言って良い。ポストコロニアリズムの延長線上の、ときは今、2009年8月30日という虚飾に満ちた時間である。
おかしい、といつも私は言う。けども、それは頭の中で沸き上がっただけの戯言ではない。はらわたが煮え繰り返り、五臓六腑の底から吐き気とともに突き上げるような、怒りの言葉なのである。
さて、残る4名の最高裁判事たちの人物像チェックを行なっていこう。これまで見てきたように、何も投票用紙に書かず、白紙委任してもよさげな現最高裁裁判官は、意外と少ないようだ。実に彼らの素性とやらが、毎回の衆議院選挙に際した国民投票の告示に当たって、マスコミを通しても詳細には報じられていないことが知れる。
大手新聞社が業界共通のアンケート調査を行なってはいる(告示日の前後に一覧として記事になる)が、その報道量の少なさには驚くばかりなのである。この度の総選挙+最高裁国民審査には、実に683億円もの運営費がかかっているといわれる(総務省調べによる)。そのうち、少なくとも最高裁国民審査に億単位の経費はかかっているはずである。なのに、ほとんど毎回白紙委任となり、実質空洞化しているこの国民審査に、はたして存在意義があるのか。実施するのなら、少なくともそこに意義が増すように、もっと報道し有益な情報を、マスコミには提供していく役目があるはずなのだ。
その量ばかりでなく、質に当たっても、そうだ。実はかなり「なぜか報じられていない」情報があるからだ。今回チェックしていく裁判官の中にも、そんなグレーな人物がいるのである。この「最高裁国民審査にかかるマスコミ報道の量的・質的低さの問題」。近いうちにデータを交えて、考察していく所存である。続報を待たれたい。
それでは、田原睦夫氏、那須弘平氏、宮川光治氏、涌井紀夫氏、この残る4名をチェックしていこう。
No.6 田原睦夫(たはらむつお)
年齢66
現最高裁判事、第3小法廷
関わった主な裁判① 日野小学校教員君が代伴奏拒否裁判(07年)
①のときの役職・判断 裁判官・合憲(多数意見)
関わった主な裁判② 2005年総選挙での選挙運動格差に関する違憲訴訟(07年)
②のときの役職・判断 大法廷裁判官・違憲(反対意見)
死刑制度への賛否 「基本的に国民にゆだねたい」
足利冤罪事件への考え方 「科学的な証拠の取り扱いについて、内部で検討すべき」
法曹界キャリア 弁護士出身。法制審議会部会幹事―日本民事訴訟法学会理事
②については、まあ妥当な判断だと言える。一方、あまりに問題があるのは①の日野君が代伴奏拒否事件の違憲訴訟である。「公務員なんだから職務命令に従うのは当然。いやなら最初から教員になんてなるな」。そんな暴言を平気で抜かす馬鹿というのは結構よくいるものだが、私は真正面から反論しよう。あなたはこの教員を批判して偉そうにしているが、たぶんあなたはこの教員よりも全然日本の歴史を知らない。問題の根本とは、君が代のルーツと歴史的問題、政治性、ナショナリズムの問題、そしてその意味合いを全く考えず、ノーテンキに平然と君が代を歌唱演奏できるあなたの方こそ、話にならないほど歴史を学んでなさすぎるのだ。
田原らの多数意見とは、次のごとくである。つまり、「君が代がはらむ侵略の歴史への認識は、個人の自由であり内心の自由としては保障される。だが、内心の思想信条の自由と、外部露見的な教員としての行動は峻別される。職務命令を受けたからには公務員として伴奏の命令に従うべきであり、それは内心の自由とは区別して遵守すべき行動なのだから。実際の君が代伴奏拒否の意思表示にどれだけ一般的に、行動としての意義、当人にとってやむにやまれぬほどの意味合いがあるのか。否、あるとは思えない」といったところである。
しかし田原ら多数意見者よ、それはおかしい。歴史認識問題というのは非常にデリカシーのある問題だからだ。少なくとも、この教員は自らの伴奏拒否が職務命令に背くということを認識していた。それでも実際の行動として、やはり自分の歴史認識に基づく人間としての良心、教育者としての良心には逆らえなかったから、伴奏拒否に踏み切ったのである。「あ、なんか今日は、弾きたくないです」といった、軽はずみの気持ちで行動するような職業人はいない。ましてや公僕である教員なら、なおさら自分の職責に対する自覚は強いはずだからだ。
教育者として、子供たちを前に、間違った歴史認識に基づく行動つまり平然と君が代をピアノ伴奏を披露することなど、自分にはできない。教育者として自分が正しいと信じる行動を、子供たちに示したい。そういった強い良心の発動がそこにはある。君が代という曲に込められた歴史問題に対する内心の強い信条があるからこそ、また歴史認識問題は個々人の正義感に直結するデリカシーの強い問題だからこそ、実際の伴奏拒否行動があるのである。そこに因果関係を見出せない田原ら多数意見者には、公務員法より当然に優越する日本国憲法で保障された思想信条の自由への尊重態度がないばかりか、個々人の思想信条に対するデリカシーがあまりにない。
ちなみにこの日野君が代伴奏拒否訴訟に田原が関わったことは、この度の告示日に際しての新聞報道では触れられていないのである。
No.7 那須弘平(なすこうへい)
年齢67
現最高裁判事、第3小法廷
関わった主な裁判① 日野小学校教員君が代伴奏拒否裁判(07年)
①のときの役職・判断 裁判長・合憲(多数意見)
関わった主な裁判② 2005年総選挙での選挙運動格差に関する違憲訴訟(07年)
②のときの役職・判断 大法廷裁判官・違憲(反対意見)
関わった主な裁判③ 和歌山毒物カレー事件裁判(09年)
③のときの役職・判断 裁判長・林真須美被告の有罪・死刑を支持
死刑制度への賛否 「基本的に国民にゆだねたい。量刑・死刑の判断には冤罪の可能性もあるから慎重さが必要だ」
足利冤罪事件への考え方 「検証の必要性はときとして認めるが、裁判官の独立の原則に照らし、検証には慎重さが必要だ」(消極的)
前の田原と同じ裁判を、多数担当してきた人物だ。まあもう、日野君が代訴訟に関しては繰り返さない。が、那須よ、何をかいわんや、である。田原よりも悪い点は、足利事件の冤罪問題に対する法曹界での内部検証に、かなり消極的な姿勢であることだ。また、和歌山毒物カレー事件の事実関係には、いまだに不可解な点があると言われており、冤罪の可能性が実はゼロではないことを補足しておきたい。
No.8 宮川光治(みやかわこうじ)
年齢67
現最高裁判事、第3小法廷
関わった主な裁判① 警察官私物ノート証拠開示事件訴訟(08年)
①のときの役職・判断 裁判官・証拠開示命令を認める(多数意見。ただし補足意見も述べた)
関わった主な裁判② 自宅業者看板取り付け阻止事件裁判(09年)
②のときの役職・判断 裁判長・逆転無罪(被告の阻止行動を正当防衛として認める)
死刑制度への賛否 「裁判官としての慎重な判断が必要。国内外の世論状況を踏まえた議論が大事だ」
足利冤罪事件への考え方 「科学的証拠の扱いについては、司法研修所のような機関での検討が必要
法曹界キャリア 弁護士出身。司法研修所教官―日弁連懲戒委員長
死刑制度、足利事件への考え方については、かなり具体的で、自分の教官経験に基づいた現実的な主張であるといえる。これまでチェックしてきた裁判官のなかでも、かなり真っ当な人物かもしれない。そうであることを期待したいものだ。
No.9 涌井紀夫(わくいのりお)
年齢67
現最高裁判事、第1小法廷
関わった主な裁判① 韓国人原爆被爆者国家賠償請求訴訟(07年)
①のときの役職・判断 裁判長・国の責任を認める
関わった主な裁判② 住基ネット違憲住民訴訟(08年)
②のときの役職・判断 裁判長・住民側敗訴
関わった主な裁判③ 2005年総選挙での選挙運動格差に関する違憲訴訟(07年)
③のときの役職・判断 大法廷裁判官・合憲(多数意見)
死刑制度への賛否 「基本的に国民にゆだねたい」
足利冤罪事件への考え方 「なぜ誤判が生まれたのか、その司法過程の検証が必要」
司法キャリア 裁判官出身。最高裁総務局長―大阪高裁長官
③の違憲訴訟はこれまでも紹介してきたものだが、涌井は選挙運動格差を合憲と判断している。だが、前にも言ったように、私はおかしいと思う。一連の在外被爆者訴訟である①に関しては、国家の賠償責任を認めており、当然といえば当然だが、妥当な判断を行なっている。しかし、②の住基ネット違憲訴訟での判断は、受け入れがたいものだ。行政機関による住民の個人情報管理は、国家―個人の関係、人権問題など、議論すべき問題が多数あるばかりでなく、技術的にも完全に安全な管理運営なんていうものは不可能だからである。そればかりか、国家・行政機関の不法な個人情報利用の危険性があるからだ。
旧防衛庁―現防衛省が情報公開法に基づき、特定の思想信条を持っている可能性がある一般市民や集団をリストアップし、監視していたことが、2002年、2007年と続いてスクープされている。たとえば、公務員の個人情報は、どいつが反国家的な発言や行動をしているかを含めて、厳重に管理していて、一方で一般市民の個人情報は、行政機関間横断的に、内密に横流しして所持・監視している恐れがかなりあるのである。
そんな行政機関に都合のよい使用環境にある、住基ネットの存在は、本当に違憲ではないのか。行政側の使用環境も合わせて判断したかというと、はなはだ疑わしい限りである。ただ足利事件への考え方は、裁判官出身の現役裁判官としては、まあ真っ当である。
以上、今回国民審査に照らされる9人の最高裁判事の人物像に、一人ずつ迫っていった。だが、これとてもまだまだ詳細なチェックには当然ながら程遠いものである。今後も続いていくこの国民審査制度を、もっとチェックしていく所存だ。国民として、もっとブーイングしていい情報環境の現状なのだから。
大手新聞社が業界共通のアンケート調査を行なってはいる(告示日の前後に一覧として記事になる)が、その報道量の少なさには驚くばかりなのである。この度の総選挙+最高裁国民審査には、実に683億円もの運営費がかかっているといわれる(総務省調べによる)。そのうち、少なくとも最高裁国民審査に億単位の経費はかかっているはずである。なのに、ほとんど毎回白紙委任となり、実質空洞化しているこの国民審査に、はたして存在意義があるのか。実施するのなら、少なくともそこに意義が増すように、もっと報道し有益な情報を、マスコミには提供していく役目があるはずなのだ。
その量ばかりでなく、質に当たっても、そうだ。実はかなり「なぜか報じられていない」情報があるからだ。今回チェックしていく裁判官の中にも、そんなグレーな人物がいるのである。この「最高裁国民審査にかかるマスコミ報道の量的・質的低さの問題」。近いうちにデータを交えて、考察していく所存である。続報を待たれたい。
それでは、田原睦夫氏、那須弘平氏、宮川光治氏、涌井紀夫氏、この残る4名をチェックしていこう。
No.6 田原睦夫(たはらむつお)
年齢66
現最高裁判事、第3小法廷
関わった主な裁判① 日野小学校教員君が代伴奏拒否裁判(07年)
①のときの役職・判断 裁判官・合憲(多数意見)
関わった主な裁判② 2005年総選挙での選挙運動格差に関する違憲訴訟(07年)
②のときの役職・判断 大法廷裁判官・違憲(反対意見)
死刑制度への賛否 「基本的に国民にゆだねたい」
足利冤罪事件への考え方 「科学的な証拠の取り扱いについて、内部で検討すべき」
法曹界キャリア 弁護士出身。法制審議会部会幹事―日本民事訴訟法学会理事
②については、まあ妥当な判断だと言える。一方、あまりに問題があるのは①の日野君が代伴奏拒否事件の違憲訴訟である。「公務員なんだから職務命令に従うのは当然。いやなら最初から教員になんてなるな」。そんな暴言を平気で抜かす馬鹿というのは結構よくいるものだが、私は真正面から反論しよう。あなたはこの教員を批判して偉そうにしているが、たぶんあなたはこの教員よりも全然日本の歴史を知らない。問題の根本とは、君が代のルーツと歴史的問題、政治性、ナショナリズムの問題、そしてその意味合いを全く考えず、ノーテンキに平然と君が代を歌唱演奏できるあなたの方こそ、話にならないほど歴史を学んでなさすぎるのだ。
田原らの多数意見とは、次のごとくである。つまり、「君が代がはらむ侵略の歴史への認識は、個人の自由であり内心の自由としては保障される。だが、内心の思想信条の自由と、外部露見的な教員としての行動は峻別される。職務命令を受けたからには公務員として伴奏の命令に従うべきであり、それは内心の自由とは区別して遵守すべき行動なのだから。実際の君が代伴奏拒否の意思表示にどれだけ一般的に、行動としての意義、当人にとってやむにやまれぬほどの意味合いがあるのか。否、あるとは思えない」といったところである。
しかし田原ら多数意見者よ、それはおかしい。歴史認識問題というのは非常にデリカシーのある問題だからだ。少なくとも、この教員は自らの伴奏拒否が職務命令に背くということを認識していた。それでも実際の行動として、やはり自分の歴史認識に基づく人間としての良心、教育者としての良心には逆らえなかったから、伴奏拒否に踏み切ったのである。「あ、なんか今日は、弾きたくないです」といった、軽はずみの気持ちで行動するような職業人はいない。ましてや公僕である教員なら、なおさら自分の職責に対する自覚は強いはずだからだ。
教育者として、子供たちを前に、間違った歴史認識に基づく行動つまり平然と君が代をピアノ伴奏を披露することなど、自分にはできない。教育者として自分が正しいと信じる行動を、子供たちに示したい。そういった強い良心の発動がそこにはある。君が代という曲に込められた歴史問題に対する内心の強い信条があるからこそ、また歴史認識問題は個々人の正義感に直結するデリカシーの強い問題だからこそ、実際の伴奏拒否行動があるのである。そこに因果関係を見出せない田原ら多数意見者には、公務員法より当然に優越する日本国憲法で保障された思想信条の自由への尊重態度がないばかりか、個々人の思想信条に対するデリカシーがあまりにない。
ちなみにこの日野君が代伴奏拒否訴訟に田原が関わったことは、この度の告示日に際しての新聞報道では触れられていないのである。
No.7 那須弘平(なすこうへい)
年齢67
現最高裁判事、第3小法廷
関わった主な裁判① 日野小学校教員君が代伴奏拒否裁判(07年)
①のときの役職・判断 裁判長・合憲(多数意見)
関わった主な裁判② 2005年総選挙での選挙運動格差に関する違憲訴訟(07年)
②のときの役職・判断 大法廷裁判官・違憲(反対意見)
関わった主な裁判③ 和歌山毒物カレー事件裁判(09年)
③のときの役職・判断 裁判長・林真須美被告の有罪・死刑を支持
死刑制度への賛否 「基本的に国民にゆだねたい。量刑・死刑の判断には冤罪の可能性もあるから慎重さが必要だ」
足利冤罪事件への考え方 「検証の必要性はときとして認めるが、裁判官の独立の原則に照らし、検証には慎重さが必要だ」(消極的)
前の田原と同じ裁判を、多数担当してきた人物だ。まあもう、日野君が代訴訟に関しては繰り返さない。が、那須よ、何をかいわんや、である。田原よりも悪い点は、足利事件の冤罪問題に対する法曹界での内部検証に、かなり消極的な姿勢であることだ。また、和歌山毒物カレー事件の事実関係には、いまだに不可解な点があると言われており、冤罪の可能性が実はゼロではないことを補足しておきたい。
No.8 宮川光治(みやかわこうじ)
年齢67
現最高裁判事、第3小法廷
関わった主な裁判① 警察官私物ノート証拠開示事件訴訟(08年)
①のときの役職・判断 裁判官・証拠開示命令を認める(多数意見。ただし補足意見も述べた)
関わった主な裁判② 自宅業者看板取り付け阻止事件裁判(09年)
②のときの役職・判断 裁判長・逆転無罪(被告の阻止行動を正当防衛として認める)
死刑制度への賛否 「裁判官としての慎重な判断が必要。国内外の世論状況を踏まえた議論が大事だ」
足利冤罪事件への考え方 「科学的証拠の扱いについては、司法研修所のような機関での検討が必要
法曹界キャリア 弁護士出身。司法研修所教官―日弁連懲戒委員長
死刑制度、足利事件への考え方については、かなり具体的で、自分の教官経験に基づいた現実的な主張であるといえる。これまでチェックしてきた裁判官のなかでも、かなり真っ当な人物かもしれない。そうであることを期待したいものだ。
No.9 涌井紀夫(わくいのりお)
年齢67
現最高裁判事、第1小法廷
関わった主な裁判① 韓国人原爆被爆者国家賠償請求訴訟(07年)
①のときの役職・判断 裁判長・国の責任を認める
関わった主な裁判② 住基ネット違憲住民訴訟(08年)
②のときの役職・判断 裁判長・住民側敗訴
関わった主な裁判③ 2005年総選挙での選挙運動格差に関する違憲訴訟(07年)
③のときの役職・判断 大法廷裁判官・合憲(多数意見)
死刑制度への賛否 「基本的に国民にゆだねたい」
足利冤罪事件への考え方 「なぜ誤判が生まれたのか、その司法過程の検証が必要」
司法キャリア 裁判官出身。最高裁総務局長―大阪高裁長官
③の違憲訴訟はこれまでも紹介してきたものだが、涌井は選挙運動格差を合憲と判断している。だが、前にも言ったように、私はおかしいと思う。一連の在外被爆者訴訟である①に関しては、国家の賠償責任を認めており、当然といえば当然だが、妥当な判断を行なっている。しかし、②の住基ネット違憲訴訟での判断は、受け入れがたいものだ。行政機関による住民の個人情報管理は、国家―個人の関係、人権問題など、議論すべき問題が多数あるばかりでなく、技術的にも完全に安全な管理運営なんていうものは不可能だからである。そればかりか、国家・行政機関の不法な個人情報利用の危険性があるからだ。
旧防衛庁―現防衛省が情報公開法に基づき、特定の思想信条を持っている可能性がある一般市民や集団をリストアップし、監視していたことが、2002年、2007年と続いてスクープされている。たとえば、公務員の個人情報は、どいつが反国家的な発言や行動をしているかを含めて、厳重に管理していて、一方で一般市民の個人情報は、行政機関間横断的に、内密に横流しして所持・監視している恐れがかなりあるのである。
そんな行政機関に都合のよい使用環境にある、住基ネットの存在は、本当に違憲ではないのか。行政側の使用環境も合わせて判断したかというと、はなはだ疑わしい限りである。ただ足利事件への考え方は、裁判官出身の現役裁判官としては、まあ真っ当である。
以上、今回国民審査に照らされる9人の最高裁判事の人物像に、一人ずつ迫っていった。だが、これとてもまだまだ詳細なチェックには当然ながら程遠いものである。今後も続いていくこの国民審査制度を、もっとチェックしていく所存だ。国民として、もっとブーイングしていい情報環境の現状なのだから。







