極地で生きていける気はまるでしないので、私がいわゆる冒険を志すことは金輪際ないと思います。
ハイキング程度の山にすら登る気がないのですから。
でも、というより、だからこそ読んでしまうのかもしれないのが冒険旅行の本です。
探検家の憂鬱
著者:角幡 唯介
発行:文藝春秋
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著者は冒険家であり、ノンフィクションライター。
ただ、この本は冒険の過程そのものを書いたものではないので、例えば、中に書名が挙げられていた『凍』などのようなキリキリとした感じはなく、読み物的なぬるさが魅力なのだと思います。
ブログの記事なども収められているので、その感はいや増すというもの。
それが悪いわけではありませんが。
もちろん、硬質なテーマのものもあって、著者が考える冒険や、冒険者の心理のスパイラルにはなるほどという感じです。
おもしろかったのは、自分の冒険行を本にする人ならではの、冒険を実行することと冒険を文章として表現することの間での葛藤についての文章。
順調な冒険は読み物としては単調で、不謹慎ながら、「遭難」という出来事が起きれば、本になった時の緊張感は比べようもありません。
けれども、ひとたび「遭難」に追い込まれれば、生きるか死ぬか。
生きて帰れれば、極限を描くという得難い体験ができますが、書くことすらできない可能性が高くなるのです。
それが冒険というものなのでしょうけれど、私自身は、生きて帰ってくる冒険行しか読みたくありません。
死を読みたいわけではないので。
加えて、石川直樹さんの『最後の冒険家』を読んだ時の気持ちがどうにも忘れがたいからというのもその理由です。
神田道夫氏は、この本のなかでもテーマとしてとりあげられていました。
それにしても、「冒険」って「大冒険」になるととたんにコミカルに感じてしまいます。
「惨事」と「大惨事」はそんなことはないのに。
これも、子供の頃からの読書体験の刷り込みでしょうか。
narkejpさん、まさにそれです。悟空の大冒険。アリババとも思ったのですが、よく考えると、あれ、アリババと40人の盗賊ですよね。大冒険がありすぎてわからなくなりました(笑)
確かに。「悟空の大冒険」とかね。まるっきり子ども向けアニメの題名になっちゃう(^o^)/
冒険に出かけるのが発覚して怒られた少年が、「これからは空想の中だけで冒険をします」と答えて、後に文豪になったのは、ジュール・ヴェルヌだったかな?マーク・トゥエインだったかな?