青空のテニスを楽しもう

町田市成瀬台の野村テニス場をずうっとずうっと残そう。青に加えて、白の課題を自分をモルモットとして考える。

アダプテーション アブダクション ちょっと違った、少し縮小してみよう。

2018-05-28 12:58:55 | 日記
2018-05-28 12:58:55 刑事さんから電話が来た。ハイテンションになったが、共通認識を持ちましょう、と提案があった。

 早速、相手のある仕事のためのエクササイズ、ルーチンワークでのコミュニケーションを鍛える。仮説部分と実証部分を分けてコミュニケートする。

 「アルス・コンビナトリア」の方法。松岡正剛は便利だが、社長は失敗する。

わたしは
  ①隠された意味をあらわし指し示すための概念化
  ②検索する自己を励起するための概念化
  ③退行した精神(effete mind)を広い解釈領域に転換するための概念化

これを、

みずほ銀行の内部犯行もあり得る2017/11/15 12:30-12:40のATM還付詐欺、

と題して、詐欺の犯罪立証を如何モデル化するか。

  1.分業化された刑事告発受理の件を明示する。
  2.犯人は自分達の知っているアドレスの無人ATM店舗へ誘導する。
  3.カードが差し込まれて2つあるATMの右側のATMにコマンドラインを表示する。
  4.銀行画面・支店画面・預金種類画面の画面表示シナリオをスキップ(飛ばして)ワンストップ入力画面(犯人口座番号・振込金額・振込ボタン)の操作を実行させた。

  後は派生的問題で、
  町田警察署では、ATM還付詐欺の告発では、銀行から被害届がないと捜査しない。
  みずほ銀行では、ATM還付詐欺の被害者からの報告に対して、ワンストップ画面で入力させられたか、丁寧に尋ねる基本作業をしていない。
  だから、ATM還付詐欺から、みずほ銀行の内部犯行もあり得る2017/11/15 12:30-12:40のATM還付詐欺、に変えた。これは、1.の上で極めて重要な変化だ。

  これらの事実は2017/11/15に起きたコトだが、①②③の努力は私だけ、これから、刑事、みずほ銀行のシスプロと深めると良いが、刑事からの電話を受けたばっかりだ。本来なら、みずほ銀行のシスプロが丁重に尋ねて来るのが筋だが、民事を先行させて、こうなった。お陰で、③が膨らみ、②が緊張し、①は余計なコトまで言いたくなる。

 ここは、刑事さんに優しく伝えるために、アドレス、カード、コマンドライン、ワンストップ、言葉の意味を伝える。その前提として、ネットワーク管理を説明して、遠隔操作、再起動コマンド、通常アプリコマンド、ワンストップアプリコマンド、を説明する必要がある。

 再度、告発状を出すのであれば、インターネットで、書式を学ぶ必要もあるだろう。

 ここに至るまで、半年、そして、5年間の事実がこうだ。これでは③が異常に膨らむ。

還付金等詐欺による預金等の振込認知件数・被害総額
期間 件数 金額
平成25年 1,817件 16億8,799万円
平成26年 1,928件 19億9,165万円
平成27年 2,376件 25億4,599万円
平成28年 3,682件 42億6,023万円
平成29年 3,137件 35億8,542万円
警察庁『特殊詐欺の認知・検挙状況等について(平成30年1月~2月)』のうち「還付金等詐欺」より

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あれ、さがせない、デザインでは使われているね。さて、裁判を論じる、組織論、ATMの設置運用管理上の穴でも論じるか。


 続くアブダクション が直観では終わっているが、司法界の判事・検事・弁護士に要件事実を述べたが、感想がない。

 もう、いい足りないコトはあるか、え、そんなに優しい裁判長は両脇の若手の裁判官に資料を指せ示され援助され、多分ATMの操作画面・コマンドライン・ワンストップ入力画面と言われても、本日が初めてって雰囲気が少し伺えたね。

 では、対策は「アブダクションは説明的な仮説を形成する過程である。新しいアイディア(観念)を導く唯一の論理的操作である。帰納はひとつの値を決めるにすぎず、演繹はまったくの仮説の当然の帰結を生むだけである」と、過程を選ばざるを得ない。少しスキップすると出て来るので私に必要な程度にサマライズする。


 貪り読めるコツ、知らない極端な専門家たちの吐露や告白、未知の領域の観察や報告、斎藤勝裕『ぼくらは「化学」のおかげで生きている』、柳家花緑『落語家はなぜ噺を忘れないのか』、本田直之『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』「読みのスキル」竹谷靱負『日本人は、なぜ富士山が好きか』、小島寛之『数学的決断の技術』、厚香苗『テキヤはどこからやってくるのか』、為末大『日本人の足を速くする』さまざまな語彙と文章と文脈をもって「書いてある」。この「書き」が「読み」に感染する。

 会社経営とカジノ資本主義にうんざり、旧弊の社会に新たな可能性を拓き、
IT産業に新たなコア技術の指針。
ポストコンピュータ技術とマイクロファイナンスと公益資本主義とが、
勇気を日本人のベンチャーキャピタルはなのだ。

https://1000ya.isis.ne.jp/1392.html

 産業の中心になるはずがない金融業がわがもの顔で世界市場を席巻に、警鐘を鳴らしていた。

 デフタ・パートナーズ、こんな日本人がアメリカにいたのか。経済状況と財務感覚がたちまち変質した。80年代はベンチャーキャピタルの投資総額は毎年3000億円以下だったのに、それが2000年ごろには10兆円。
 実際に会社で仕事をしている者たちよりも、そこに投資している連中のほうが高いリターンを得る。
 IRR(内部投資収益率)が大手を振った。10年よりも5年、5年よりも1年、IRRを重視する目先きばかりを追う集団。
 ROE(株主資本利益率)ネットバブルがはじけた反省、経営者は短期に株価を上げないと評価されない。
 多くの経営陣はストックオプションの権利を付与されていた。呆れるほどの高収入になったCEOも続出した。
 ファンドマネージャーたちの思惑とぴったり利害が一致した。CEOたちは資産を圧縮する化粧なおしして、短期的にROEを上げ、株価に結びつける、研究開発にまともに取り組めば「それが売上と利益を生むには最低でも7年から10年がかかるはず」ベンチャーは絶対に育たない。
 「金融工学」「参入障壁のない完全競争市場」“擬似サイエンス”リスクヘッジの理屈。
 実体経済の価格の乱高下を平準化させる有効性が経済一般・金融一般にあてはまらない。
 企業価値は時価総額ROEだから、企業価値は「1株利益÷1株当たり純資産」「資産を小さくすればいい」ロジックでは内部留保をためるより、それを配当金として分配だ。

 企業の体質がガタガタになり、本格的な力がつかなくなっていく。
 ①金融機関からの借り入れ、②現行株主立てする株主割当増資、③内部留保、の3つ。③の内部留保会社の「ダム」を作っておくにお金がまわらくなってった。
 「5年以上株式を保有する株主だけが取引できる市場」をつくる。

 デフタ・パートナーズ1985年原さんはその会長だ。

 企業経営者群「スモールビジネス」とか「地域経済」「ベンチャービジネス」「それなら松岡正剛がいい。これからの時代の人だ」、太いものに巻かれるのが大嫌い。当然に負けん気も強い。探求心が抜群に旺盛なのである。
 「知的工業」とか「知的工業製品」「へえ、考え方に対しても投資ってあるんですか」ファウンダーの知能にこそ投資すべきなんです」「担保をとらないと資金を融通しない連中は、たんなる金儲け屋ですよ」とも笑った。

 「日本はね、まだリスクキャピタルのことがわかっていないし、アーリーアダプターがいませんねえ」。
 アントレプレナー(発見型起業者)がつくった新しいコンセプトにもとづく製品やプロジェクトを他に先駆けて買ってくれる人。

 『21世紀の国富論』(平凡社)、時価会計主義と減損会計の問題点、ベンチャーキャピタルがただの金融業になってしまった理由、市場主義者の限界、ビジネススクールの弊害、株主至上観の誤り、ヘッジファンドが価格を歪める力をもちすぎた原因、公開企業はストックオプションを廃止するべきだ、ヘッジファンドの有害になるファクターを除去する新たな競争のルールを作るべきだ、株式交換を用いた三角合併を食い止めるべきだ、リスクキャピタルには税制優遇措置を組むべきだ、といった提言を連打。

 予見は次のようなものだ。
 いま多くのIT産業はサービス化に向かい、アマゾン、グーグル、楽天のように“消費者化”している。しかしそれでは知的工業製品を下敷きにした新たな産業社会はつくれない。現在のコンピュータ主義が続くとは考えない。
 サーバとクライアントの両方の役割を果たすように、PtoPが成立するインターネット技術の基礎である。
 少しでもデータ構造を変えようとすると、たいへんなコストがかかる。リレーショナル・データベースは構造に柔軟性がないのだ。リレーショナル・データベースに代わるものを技術開発する。XMLとの絡み。

 3つの技術は、マイクロプロセッサ(インテルが代表)、オペレーティングシステム(マイクロソフトが代表)、クライアント・サーバ型リレーショナル・データベース(オラクルが代表)、計算と情報処理を高速にパーソナルにできる。

 自分で情報や知識を編集しようとか、相互の編集環境をつくると、工夫でカスタマイズ。ハードとソフトが分断。

 6つの新技術が開発される。①マイクロプロセッサに代わる次世代プロセッサ、②組み込み型ソフトウェア、③新たなPtoPネットワーク技術、④ネットワーク・セキュリティ技術、⑤ソフトウェア・スイッチング技術、⑥デジタル・ディスプレー・コントローラ。

 ①は計算ではなくコミュニケーションに特化したDSPチップ(デジタル信号処理プロセッサ)、
 ②はハードと統合されたソフトウェアで、ウィンドウズのような大きなものではなくずっと小さくなるもの、
 ③は新たな考案されつつある「インデックス・ファブリック理論」にもとづいて開発される、
 ④はそのためのセキリュティ技術、
 ⑤中継用交換機の機能をIP網とその上のソフトウェア処理で代替するもの、
 ⑥は動画像を処理する半導体技術によるデジタル・ディスプレーである。

 ③の「インデックス・ファブリック理論」編集工学的である。

 ③のための「インデックス・ファブリック技術」「IFX」という。
 エンベッド(組み合わせ可能)な技能観とは、「アソシエーションによる編集技術」。

 「新しい資本主義」のために「公益資本主義」、いくつもなされている。
  根底に「教育」と「医療」がある。
 飢餓とコア技術とマイクロファイナンスとは、同じである。

 最近思うのは、そこには「日本」への強い愛着がある。
 アジアの新たな産業を日本の資金と日本語によっておこすべきで、アジア人に日本語をおぼえてもらうべきだ。

https://1000ya.isis.ne.jp/1566.html

アブダクション
仮説と発見の論理

仮説にかけるセンスと
仕事を仕上げる腕っぷしにかかっています。

コンピュータ、ネットワーク、サーバー、ストレージ、アプリケーション、サービスなどのコンピューティング・リソースをいったん「クラウド」(雲)に借り置く。バラエティ(多様性)、ボリューム(情報の規模)、ベロシティ(処理速度)、お金をかけて必要な情報の解釈をせざるをえないる。

仮説力をもったアブダクティブ・アプローチが理解されてない。「アブダクションは説明的な仮説を形成する過程である。それは新しいアイディア(観念)を導く唯一の論理的操作である。帰納はひとつの値を決めるにすぎず、演繹は仮説の当然の帰結を生むだけだ」と。


1182夜、アブダクションは「仮説的推論」、適切な説明のための仮説をつくる。これは方法論です。
「三段論法のような演繹法も仮説を設定している」と捉えてぐらぐらしている。
 演繹法では説明仮説はつくれないアブダクションだけです。

(1350夜)の『プラグマティズムの帰結』思想的な回路を通るのは避けましょう。

“3A編集工学”「アナロジー、アブダクション、アフォーダンス」の3つのA、アブダクティブ・アプローチを採用(アフォーダンス1079夜)。

 思考には直観的、ピンとくるとか、ハッとわかったとか、「新しいアイディア(観念)」です。
「しくみ」。ストッパーがあったり、抜け道(バイパス)があるのかも。
 「非仲介的な直観などありえない」直観(intution)は何かを媒介にしている、直観は媒介的なんだ。
 1182夜では、アブダクションをあえて「推感編集」。

 「ロジカル・シンキング」コンサル屋「論理的な考え方をしてみること」MECE(ミッシー)「重なりなく、漏れなく、ズレもなく」(Mutually,Exclusive,Collectivity, Exhaustive)、重なりから生じうるもの、漏れ(欠番)が表示すること、ズレこそがつくる意味、重なりには重なるだけの、漏れるには漏れるなりのコンテクスチュアルな事情が隠れていた。ロジカル・シンキングは消そうとしてしまうんですね。裁判はダメです。

 分析的な推論の代表には「演繹法」(deduction)があり、拡張的な推論には「帰納法」(induction)と、そして第3の仮説的論理ともいうべきアブダクション(abduction)があります。


 演繹法はすこぶる段階的で、分析的(analytic)です。順序だてていく推論です。かつまた、はなはだ解明的(explicative)な推論です。だから科学のロジックづくりにはけっこう向いている。技術革新をしたいのなら、またノーベル賞をとりたかったら、演繹に徹したほうがいいでしょう。
 一方の帰納法のほうは観察事実をいろいろ集めてそこから共通項をさぐって推論するものなので、そのぶん自己点検的で自己監視的な推論です。帰納法はセルフモニタリングする推論なんです。

 演繹法は与えられた観察データを“説明する”ための論理を形成するもので、わかりやすくいえば、「◇◇◇だから、☆☆☆である」という論理を数珠つなぎにしていって結論を引き出すという、そういう推論です。

 最初の大前提(→人は死ぬ)は、仮説のようでいて仮説ではないのです。一般的な常識のように設定できるか、あるいは数学的な公理のように前提になっているような、そういう大前提を下敷きにしておく必要がある。

 自己決定的で、問題解決的だという性質をもっているということになります。だから技術や科学にはふさわしい。最初の一般的な大前提に偏見や誤りがあると(たとえば「民主主義は正しい」等々)、結論もおかしくなる。

帰納法のイメージ
 合理的な科学はもっぱら演繹的に進み、実験的な化学や技術は帰納法を有効に活用し、全体としては演繹的なリクツでまとめる、ダイコトミー(二分法)が大いに適用さた。別「アブダクション」です。


フランシス・ベーコン(Francis Bacon)

ルネ・デカルト(René Descartes)
 「あたかも戻ってくるように推論を仕上げる」というところが、たいへん大事なミソです。ツボです。途中で先に進んで、そこから戻ってくるんです。

 アブダクションはまたの名を「レトロダクション」(retroduction)仮想した概念や事例のほうに推論の道を行って、そこからまた戻りながら推論の内実を仕上げていく。
 拡張的推論(amplative reasoning)だ。

 「われわれが直接に観察したこととは違う種類の何ものか」を推論できる。帰納法には「違う種類のもの」は入りません。アブダクションは「違うもの」を引き込む。

 「われわれにとってしばしば直接には観察不可能な何ものか」を仮説できる。哲学や社会学がこれまで前提にしてきた概念で言うと、いわば「ないもの」さえ推論のプロセスにもちこむ。アブダクションには「飛躍」(leap)がある。

 できる例外性や意外性をとりこめる、既存の社会観や価値観にとって例外的だったり意外だったりする、必ずしも希少価値や珍しさを求めるではありません。

 社会も技術も商品もいつかは必ず「ゆきづまり」、何によって打開をはかるか。
 結局は考え方と方法の「ゆきづまり」打開策があるかと問う。


 正解のないお題が、最初の最初に出てくる「丸い四角って何ですか」「オーケストラっぽいものって何ですか」「エントロピーと聞いて何が浮かびますか」とか…。

 経営や自治体や個人の成長にとって、芸術や工芸の発展にとって、論証だけ?。意外な企業や例外的な学習法は生まれないし、育ちません。そこには新たな発見の論理が入りません。

 新たな打開や発見に向かうには、何重ものレイヤーが古い層から最近の層まで重なってちらちら見えていて、そのどこかの具合が絡んだり渋滞したり、極度のストレスを受けているのです。難渋を突破するために、仮説領域を導入する。

 「探求の論理学」(the logic of inquiry)「ゆき先」を変えた領域のなかで提示する。
 「アブダクションの論理学」(the logic of abduction)。

 「発見の文脈」(the context of discovery)のための推論です。「正当化のための文脈」(the context of justification)含めて拡張するべきなのです。
 

 ①私がトルコの地方の港町で船から降りたとき、一人の人物が馬に乗り、4人の従者がその人物の頭上を天蓋で蔽っているのに遭遇した。これほど重んじられているのはこの地方の知事か、それに準ずる人物だと思った。これは私の仮説による推論である。

 ②ある化石がいくつも発見された。それは魚の化石であったが、発見場所はかなりの内陸地だった。この現象を説明するためには、この陸地がかつて海洋であったと仮説するしかない。

 ③多くの文書がナポレオン・ボナパルト(あるいはギルガメシュ)という名の支配者に関連していた。誰もその人物を見たことはないのだが、その人物が実在していたか、物語られていたと考えるしかない。これも仮説である。

 ある意外な事実Cは、その事実Cのための仮説Hとどこかで結び付いているんですね。だからこそ、そのことは意外に思われたのです。

 われわれはふだん、あまりにも例証の羅列と蔓延した常識にとらわれているものです。それゆえ「ゆきづまり」に直面してしばらくすると、なにもかもが困難な事情に見えてきます。そして、その原因がさっぱりわからなくなってしまいます。

 しかし、どんなことにも意外な兆候というものがあります。意外であるということは、そこに仮説の余地があるということなんです。「アブダクティブな示唆」が立ち上がる、それをときに「閃光」とも呼ぶ。

 まさに「ひらめき」です。直観です。(995夜)の「点-閃光」(point-flash)を想わせる。閃光こそは洞察の入口です。
 発見的で探求的なアブダクティブ・アプローチが3段階になって進む。次の3段階です。


アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド (Alfred North Whitehead)
 フェーズ1は、探求中の問題について、考えられるたくさんの説明の可能性をあれこれ推理しているプロセスです。「洞察の示唆」を求めているプロセスです。あるところで閃光が走る。仮説の入口です。閃光は一つとはかぎりません。

 第2フェーズでは、思い浮かんだ諸々の仮説のドラフトの中から、その問題の打開にふさわしいドラフト仮説が選び出されます。レリバント(妥当性が高い)なドラフト(シナリオ候補)から選んだ仮説です。何がレリバントであるかは、勘もありますが、当初はいろいろあてはめて確認してみればいいでしょう。「これを適用すると推論がぐっと加速する」と感じられるなら、それがレリバントな仮説です。

 第3フェーズではこの仮説にもとづいた分析的推論や演繹的推論がゴールをめざして走る。元の推論の道筋に戻ってくる。

 3段階にわたるアブダクティブ・アプローチの、第1・第2フェーズで、どんな作業(認識・推理・思考・表現)をしていいのかが掴めないと、アブダクションのよさがわからない場合があります。
 企画や表現の推論過程に入っていくとき、仲間たちとディスカッションやブレストばかりして、認識・推理・思考・表現のいずれかをかなりお粗末なものにしている、自分が当初に浮かんだ直観や途中にひらめいたアイディアの位置(アドレス)がごちゃごちゃになって突破力を失ってしまう。
 次の4つの条件や基準を意識したり、テイストとして携えている。

 A「もっともらしさ」(plausibility)。
 プラウジビリティ、「もっともらしさ」、「ぴったりくる、うまくあてはまりそう、似合っている、いい具合だ」、誰もが服装選びならピンとくる、論理や推論や思考過程にもちこむ。大胆にもちこんだ。

 B「検証的可能性」(verifiability)。
 アブダクションは仮説の先行的導入で進捗する、幾つもの導入仮説をしだいに切り落としていくプロセスが必要です。少し検証的であるがコツです。
 結論を急いで、どんどこはまずい。フィルターをかけ切り落とすコツです。ムダな情報を切り落としても、使ったフィルターという武器が残る。このフィルターに「略図的原型」にもとづく思考を使います。フィルタリングには「いったん怪しむこと」が必要だ。妥当な仮説を残すには、その仮説に疑義を挟んでみる。
 ドラフト仮説にいつまでもこだわってはまずい。「最も魅力のある仮説は、そうでない仮説よりも反証可能性が低い」。

 C「取り扱い単純性」(simplicity)。
 魅力のあるものが複数ありすぎは、単純なものを選ぶ、幾つかの仮説を複合編集的につなげていく。
 単純性というのは論理的な単純性ではなく、「もっともらしさ」にもとづく単純性だ「うん、これだったんだ」と思えるようなわかりやすさがある。
 ジグソーパズルのピースが見つかる感じではなくて、仮説による推論のあれこれのプロセスに、あたかも別のところからのマッピング・レイヤーがふわりとかぶさって、下に置いておいた地形やプロジェクト・ストリームがはっきり浮き上がって見えてくる感覚です。

 D「思考の経済性」(economy)。
 思考上の経済力(157夜)(1042夜)思考力をどのくらい節約して、効率をあげられるか。節約というのは省力化よりも、複合思考のループ(回路)を最小の複合性にする。
 人間には動物から受け継いだ能力があり、「よりよく推測する能力」(power of guessing right)、アブダクションはその生き物たちがもっていた自然的本能(natural instinct)をうまく活用する。
 推論がかなり佳境に入ってから本能を使う。秀れたアスリートや優れたアーティストたちがやっている。

 とても気持ちがいい、自分で推理をして「山道の霧が晴れていく」「抜き手をきって海原を進んでいく」快感がある。

 第1に、試みを「アブダクション→演繹→帰納」の順です。
 仕事のコアコンピタンスだ(たいていの仕事はそうなっていますね)、最初から問題の中に含まれる「驚くべき事実C」にできるかぎり早く注目してしまうことを奨めたい。

 問題に含まれる意外性や例外性をできるだけ早めに発見して、早々に「ゆきづまり」を想定して、どんなに非常識に見えようとも、意外性や例外性を議論できる仮説ステージを早期につくってみる。アブダクションを最初におこしてしまう。

 問題に異質性にも注目する。九鬼周造(689夜)が「いき」です。

 次に、アブダクションによって仮説されたステージで、与えられた問題をさまざまな角度で検討して、この仮説から観察可能な予測がどのくらいあるのかを演繹的に導き出しておく。

 帰結の方向が見えてきたら、その帰結が社会や企業や人間の認知過程でどのくらい確かめられるものになるのかを、帰納的に(インダクティブに)調べます。


 探索探求の最初の段階でアブダクションによって「発見の文脈」にアテをつけ、最後の段階で仮説がどのくらい経験的な観測にもあてはまるかを帰納させていく。


 当初のアブダクションと最後の帰納とのあいだで、適宜、演繹的な実証説明をする。

 第2に、慣れてくると容易にできる、問題がどんな帰納的帰結をもたらすかを想定し、アブダクティブな仮説をつくるクセをもつ。

 問題の帰納的帰結には3つのタイプを見通す。
 単純帰納(crude induction)、量的帰納(quantitative induction)、質的帰納(qualitative induction)、その複合形がある、いずれが問題の帰着にふさわしいかをあらかじめ想定しておく。

 単純帰納は過去の経験や既知の知識⇒未来の出来事や未知のカテゴリーの傾向についての一般化をおこなう、
 量的帰納は数学的確率論⇒一般化をおこなう、
 質的帰納は仮説を意味的に検証⇒一般化をもたらす。
 帰納法がすぐれて自己修正的で自己規制的である。
 オートポイエーシスな方法にも似ています。1063夜。

河本英夫
 第3に、アブダクションの効力を最も劇的にしている、
 アブダクティブ・アプローチの積み重ね、必ずや新たなルールとロールとツールを生み出す。
 問題解決にまつわる新たなルールが輪郭をもって立ちあらわれます。
 ルールを推進するためのロール(ときに新たなチーム)が想定できる、
 最後にそれらを円滑に理解すべきツールが、イノベーティブに見えてくる。

 その推論(仕事)にとって、いったい新たなルールが必要なのか、新たなロールを加えればいいのか、それともなんらかのツールの開発が推論(仕事)を革新できるのか、

 アブダクティブ・アプローチをしているかぎり、それは必ず見えてくる。
 既存のルール・ロール・ツールに汲々としては、この発見プロセスには立ち会えないし、新たな提案に立ち向かえない。

「メタファーの活用」と「関係の重視」だ。

イヴァン・ムラデノフ(Ivan Mladenov)

 思考や推論には「概念」(category 独 Kategorie)、わかりやすくいえば抽象力をもった言葉です。

 概念は、概念化(カテゴライズ)することで生まれます。たとえばリンゴから「赤」「球体」「果物」を導き出すのが概念化です。人生から「生」「死」「退屈」を抜き出すのも概念化です。その概念は他にもあてはまる。

 ある方向でつくられていく概念の群れには、上位概念と下位概念ができていきます。中間概念もできます。意味のうえでの包含関係は多くはツリー構造的に、内属外包的に、交差したりレイヤーをまたいだりしてトポロジカルになります。

 概念はかなり入り交じる、出自や系統がわかりにくくなる。子供のころに「好き」とか「大事」といった言葉でいろいろなことを選別していたのが、「愛」とか「重要」とか「必要」という言葉を知ると、ちょっと困ってしまう。

 概念に「しるし」をつける。有名な「イコン」(類似記号)、「インデックス」(指標記号)、「シンボル」(象徴記号)という思考記号(thought sign)の区別です。

パースの記号の10クラスの分類
『パースから読むメタファーと記憶』
 
 「しるし」が付いたからといって、概念化がおわってからの記号化であって、イコン、インデックス、シンボルの区別によって、思考が意味深くなり、豊かになり、しない。
 概念化するに何かの発生特質の傾向があった。
 概念化のプロセス3つのしくみ。

  ①隠された意味をあらわし指し示すための概念化
  ②検索する自己を励起するための概念化
  ③退行した精神(effete mind)を広い解釈領域に転換するための概念化

「隠された意味をあらわす」「検索する自己を励起する」「退行した精神に広い解釈を与える」、アブダクティブ・アプローチに重要です。

 何の違いか、メタファーの違いに対応する。
 1182夜 推論は「注意」(attention)から「注意のカーソル」の動きをそのつど追える、推論の本来です。「注意は後続する思考に大きな影響を及ぼしている」。

 「注意」はいったい何をおこしながら進行しているか、注意が向けられた対象や流れがもつ「意味らしさ」の外示作用(デノテーション=denotation)と、内示作用(コノテーション=connotation)とを、二つ感じながら進みます。

 文章を読んでいる、文字があらわす言葉や文意が示す直接的で外示的な意味を掴みつつ、その文字や言葉や文意が含むであろう暗示的で内示的な意味を追っている。

 電車から窓の外の町を見ていても、映画やテレビドラマを見ていても、まったく同じようにデノテーション(外示)とコノテーション(内示)がおこっています。

 これらは完全に同時には進まない。行ったり来たり、入ったり出たりしながら、進んでいく。
 これを詳しく解剖すると、「隠された意味をあらわす」と「検索する自己を励起する」と「退行した精神に広い解釈を与える」という作用になっている。


松岡正剛 『概念工事』(1980)
 定位的な思考が数分たりとも持続できない。脳(認知作用)がそうなっている。
 眼球は一点を凝視しつづけられなく、しょっちゅう微細に動く、耳から入る音響からその音源の方角を決められません。

 哲学史が早くからあきらかにしたように、同じことをそのまま静止させて考えられるようにはなっていない。「自同律」といわれてきたもので、同じことを考える前にループに入ってしまう。眠る前に何かを考えていると、たいていループを体験している。

 定位的になれずに、どうなってしまうか、のべつ注意のカーソルがちらちら動く。ときに大胆にも動く。認知的にいうと、必ずや連想的になり、類推的になっている。

 思考習慣は、類似(likeness)や類像(icons)を追う。メタフォリカルです。思考は「メタファーのゆらぎ」の中を進む。

 連想的な類似思考をしつづけている、バスストップを通過しているのか、わからない。注意のカーソルのアドレスと動向が自分で見分けにくい。混乱する。

 「検索する自己」をあきらかにし、自己がデノテーションとコノテーションを適度に使いながら、「隠された意味」を追い求めている、自分の連想思考がどこに向かっているかがはっきり見えてくる。

 メタフォリカルな概念工事が「退行した精神に広い解釈を与える」作用。
 注意のカーソルが進んでいく(つまり推論を前に進めていく)、次々にカーソル・ポイントに登場する対象や情報のあらわれに光を当てている。通り過ぎた「あらわれ」を次々に後ろに退行させている。レトロスペクティブにしている。「今は山中、今は浜」の歌が「森や林や田や畑、あとへあとへと飛んでいく」のです。
 次々に後退していく「あらわれ」は、カーソルの地点から見ればいささか暗い「遠のく風景」を注意のカーソルを動かしている「検索する自己」から見れば、その退行していく暗い領域には、なんらかの意識や精神が残響している。

 退行している領域こそは、自分がそのつど想定してきた連想のつながりの総体(あるいはその一部)が脈動していた。
 「検索する自己を励起する」、「隠された意味をあらわす」作用とともに、「退行した精神に広い解釈を与える」作用をもたらしていた。同時ではなく、アブダクティブな構造を残存されていた。

 アブダクティブ・アプローチとは、仮説形成のプロセスには、メタフォリカルな3つの作用がはたらいていた。

 3つの概念化プロセスの違いがメタファーの違いにも即応している(969夜)。


ドナルド・ハーバート・デイヴィッドソン(Donald Herbert Davidson)
 
 仕事に役立たせるには、二つの違いを身におぼえさせる。
 ひとつは、クライアントなどの相手がいる仕事のとき、
 ひとつは、調べたり書いたり作ったりする仕事のときです。
 二つはかなり違います。
 なぜなら相手がいる仕事の場合は、相手に対してアブダクティブにかかわる必要があり、自分でパソコン仕事やデザイン仕事をするなら、自分に対してアブダクティブになる必要がある。
 相手にアブダクティブになるとは、先方に対して仮説を共有させる骨法。
 「もっともらしさ」「検証的可能性」「取り扱い単純性」「思考の経済性」を相手と一緒に共有する。
 自分にアブダクティブになるとは、自分で「隠された意味をあらわす」と「検索する自己を励起する」と「退行した精神に広い解釈を与える」を実験しつづける。

 基礎的には、まずは読書によって骨法をマスターしておく。読書というのは、著者のテキストを読むことですが、その理解にはいろいろなことが複雑におこっている。
 テキストも大きくいえば「導き出す」と「振り落とす」という二つのフィルターで出来ている。テキストライティングをを辿りつつ、読み手のアブダクションをどう出入りさせるか。
 読書をする、自分の好きなテキストや信用したい誰かのテキストを選び、理解をアブダクティブな方法で身につける、仮説したいと、実証したいを、演繹したいと帰納したいを区別して束ねる。
 ノートをとったり、図解する。ヴィジュアルな仕事やアコースティックな仕事が好きならば、ドローイングやソフトダイアグラムや、演奏や気楽な作曲をする、できるだけアブダクティブになる。
 相手のある仕事のためのエクササイズ、ルーチンワークでのコミュニケーションを鍛えます。仲間どうし、会議での発言、チーム内での注文と制作などを、仮説部分と実証部分を分けてコミュニケートできる。
 小さな仕事をしているときに自分なりのアブダクティブ・モデルを何度もつくって確認し、大きな仕事になったとき(複数の相手が登場する)、そのモデルの実効性を試す。
 「アルス・コンビナトリア」の方法。



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